10-13 魔法使いの師匠
翌朝。俺とリゼ、それからサキナはザサルの街を歩いていた。街の中心部の中でも、特に人通りの多い市場。そこを抜けて、少し人気が少なくなってきたかという通りの一角に、「ロライザ道具店」はあった。ロライザというのが、店主の名前とのこと。苗字を持っていない市民らしい。
「師匠、いるかしら? お邪魔するわねー。あらクルシャ。久しぶりね」
他に客のいなさそうな店内に、サキナは遠慮なく入っていく。師匠に対して使うタイプの口調じゃない気もするけれど、まあサキナと師匠はそういう関係だったのかも。俺達もそれに続いて店に入る。
店内は雑然としていた。日用品として市民が使う道具なんかが、ところ狭しと置いてある。文房具や食器、あるいはハンマーなんかの工具。大小様々な物が、背の高い棚に乗っていて視界は悪い。
サキナの師匠というから魔法道具屋を想像していたけれど、そういう感じではなかった。もしかすると、実は魔法道具も置いてあるのかもしれないけれど。
見た感じ店主の姿は見えない。その代わり、店の中心にあるカウンターには猫が一匹乗っていた。よほどの老猫と見える。毛布にくるまるように丸まって、微動だにしない。眠っているのか死んでいるのかすら、俺には判断がつかなかった。
そのまま店内の様子を見て回りつつ、俺を肩に乗せたリゼはカウンターの方へ向かう。と、視界の端に人影が見えた。ロライザだろうかとそっちを見る。
「ロライザ殿。お客さんが来たようですよ」
その人物は、店の奥に声をかけた。男の声をだ。サキナの師匠はそっちにいるのか。いやそれよりも。
ロライザに声をかけたその人物の声。妙に聞き覚えがある。それから、一拍遅れて姿を見せた。
ゼトル・ニベレットがそこにいた。
「ぴぎむぐっ」
叫びかけたリゼの口を慌てて抑える。リゼもまた、これはまずいと思ったのか物陰に隠れた。幸いにして、ゼトルには姿を見られていない。
それから手を伸ばしてサキナの袖を掴み、引っ張っていう。
「え。ちょっとリゼちゃ」
「しーっ! サキナさん、ちょっと事情がありまして! 一旦出ましょう!」
「えー? えっと、お客さんでしたら師匠、先にそっち片付けといてー。また後で来るから!」
とまあ、なんとかゼトルの視界には入らずに店を出ることができた。探査魔法なんかを使われたら、俺達の存在は一発でバレるだろうけど。
「すいませんサキナさん。あの男、ゼトルって人なんですけど……わたしとはちょっとややこしい関係でして」
ややこしいも何も、一方的にリゼが悪いんだけど。それを正直に告白することはできないから、そこはぼかして言うことに。
「えっと。なんといいますか。以前旅していた時に、あの男とちょっと、なんというか、喧嘩になって。ほら。わたしってクンツェ……なんとかの名門とか全然関係ない、庶民の出じゃないですか。首都に住んでる名門のニベレット家の当主さんとは、なんかぶつかっちゃったんですよね。本当です信じて」
「ええ。信じるわ。わたしだって、名字を持たない庶民の出だもの。名門の人間って、血筋にこだわってばかりで中身がないわよね」
「ううっ……」
リゼが辛そうなのは、自分もその名門だからだろうか。それとも、名門である実家でのあれこれを思い出したのだろうか。その心中はわからない。
「と、とにかく。わたしはあの男と顔を合わせたくないのです……」
「そう。ならもう少し、外で待ちましょうか」
「はい。ありがとうございます……」
この大人の魔女にも、それなりに苦労した過去があるのかもしれない。とにかく俺達は、そのまましばらくその場を離れた。
ゼトルがなぜ、あの道具屋にいたのかはわからない。普通の客として来てるとは考えにくいな。どちはかというと、ロライザというサキナの師匠個人に用があるんだと思う。
「そうね。師匠はあれでも、若い頃は相当優秀な魔女だったと言うから…………って、それを言ったら、今でも若いって怒られるけど。実際見た目も若いしね。まあそれは置いておいて。庶民の出の魔女なのに、一時は首都のお城で王様のために働いてたらしいわ」
「王様付きの宮廷魔道士ですか? それとも、魔術院の職員とか?」
「詳しくは教えてもらってないのよね。でも、お城の中で行われる権力闘争に嫌気が差して、辞めてザサルに移ったっていうのは聞いた」
魔術院。首都にある、国内の魔法に関する事象を扱う公的機関だっけ。
いつの時代も、権力が集まる場所では争いが起こるんだな。悲しい話だな。
ゼトルは魔術院の偉い人とのことだから、昔の知り合いなのかも。彼がロライザに会いに来た理由が、単に旧友に会いたくなったからなのかな。それとも首都の城関係の仕事で、協力を要請するとか助言を求める必要がある事態が起こったとかかもしれない。
いずれにしても一番大切なのは、リゼとあの男が顔を合わせてはいけないってことだ。
そのまましばらく外で待っていると、ゼトルが店から出てきた。その様子を、俺達は物陰に隠れて観察する。
特に俺達を探してるという様子はない。逃げるように店から出たサキナが気になって、探査魔法で見てみるなんかの趣味は、あいつには無いらしい。よかったよかった。
ゼトルがこの店に来た理由が重大だから、それどころではなかったというのとかも。
とにかく、あの男がいなくなったんだ。今度は俺達の番。
「師匠。お待たせ。サキナさんが帰ってきたわよ」
「全く。少しは弟子らしい態度を見せたら? もっと師匠に対する敬意ってのを払ってほしいわね」
「そうは言っても。師匠って全然尊敬できなさそうな見た目だから」
そう言いながらサキナを出迎えた女性を、俺達も見る。サキナとのやりとりで、この人がロライザなのは間違いない。そうは見えないけど。
その女性は、大体二十歳くらいかなという年齢の美人だった。長い髪は艶があり、肌は若々しい。というかサキナの方が、成熟してるように見えるし年上としか思えない。
道具屋の看板娘。そう言われたほうが納得できる風貌だった。
いやいや。聞いてる経歴からすれば、それなりに歳を召してる方としか思わなかったのだけど。
リゼも同じことを考えてるんだろう。驚いた表情を見せながら話せないでいる。
その若い女は、驚いている俺達の方に目を向けた。サキナが友人だと紹介すると、女は笑顔を見せる。
「弟子がお世話になっています。わたしがサキナを育てました。魔法使い兼道具屋の主人、ロライザです。よろしくね」




