9-20 信仰の原点
古い倉庫の汚さとカビ臭さには、さすがに慣れているのか特に言及しなかった。物が雑然と置かれている様子に、さすがに探すのが手間だとは言ったけど。
初めてここに踏み入れるカイ達は、辟易とした様子を見せたぞ。特に鼻が敏感なユーリは大変そうだ。倉庫と外の空気が交じる扉付近から動こうとしない。
「古いものが多いというのはわかりますわね。資料価値があるかどうかは別として」
「国が管理するほどの文化財があるかは、別問題だからね。全部まるごと、蒐集趣味の金持ちに売っぱらえばひと財産になるかもしれないけど……」
「古いだけだと価値がないんですか?」
「古さに価値を見出す物もいるさ。けど、全部が全部国が保有すべき宝にするわけにはいかない。維持管理も手間がかかって高くつくからね。調査はして、後は民間に放出した方が大事にされることもある。価値をよくわかった人間にね。もちろん……こういう物を見逃しちゃいけないから、調査は大切だ」
リゼの質問に答えながら、シュリーは棚に置かれた目的の物を手に取る。アーゼスの印章。マルカと共にそれを近くでよく見る。
「水晶が反応したのですから、本物は間違いないでしょうね。あとは紋様ですけれど……」
「リゼ。作動させるために使った粘土は……これか。なるほど」
「似てるのはいくつかありますけれど、でも別物ですわね」
「そうだなー。でも傾向としては、行程や時期を考えても特に矛盾しない」
印章や粘土板を見ながら、あれこれ話し合うふたり。どうやら興味深い何かが得られているようだった。それは良かった。呼んだ甲斐があった。
会話の内容がどんどん専門的になっていき、知らない固有名詞が出てきた所から、俺は会話を聴いたり理解するのを諦めた。
「…………つまり印章から刻まれる紋様の形から、それが作られた大体の時期がわかるんだ。アーゼスはレメアルドが建国された後に旅に出た。最初は首都から東の方へと行き、それから南下して海沿いの都市を回ってから、西へ西へと進んでいったと言われている」
「伝えられてきたその旅路が正しいのであれば、この街に訪れたのはヴァラスビアでの仲裁伝説の後ということになりますわね」
「そうだな。で、長い旅の間にずっと印章を作って配ってきたけれど、期間の長さ故に作風が変化してる」
例えば紋様の形。ひとつひとつ違った紋様が描かれているのは知っていたけど、そのパターンにアーゼスの趣味みたいなのは読み取れるらしい。そして、趣味だから多様しているパターンは年齢によって変化がある。
他にも材質の変化もあるそうな。印章作りに使われているのは、大型動物の骨や牙。旅の途中で材料となるそれをまとまった量入手して、いくつかの印章をまとめて作る。材料がなくなったら別の土地で入手して作る。
俺がヴァラスビアの印章と同じ物だと判断できたように、あの印章とこの印章は素材が同じ。紋様のパターンからも、近い時期に作られたものだと推測できる。
ここがヴァラスビアからそこまで離れていない都市というのもあって、この印章はこの地を訪れたアーゼスが残した物と考えて矛盾がない。
つまりシュリー達は、違う地の印章がここに流れてきた可能性を考えてたんだな。
まあ確かに、魔法使いの男が印章を持ち出した結果、離れた田舎の街で見つかったという例を知ってるわけだし。そこを疑うのも学者の使命か。
「まあ学術的な話はこれぐらいにして。あまり若者諸君には興味の湧かない話題だろうし。じゃあちょっと興味の引きそうな話しをしよう。この街で使われているゴーレムの魔法陣と、例の動く木の魔法陣は間違いなく関係性がある」
別に、さっきまでの話に興味がないわけじゃないけど。けれど今回の依頼の確信となる話題となれば話は別だ。こういう事のためにシュリーを呼んだわけだし、さすがこの歴史学者はわかってくれる。
「アーゼスの足取りを考えるに、ヴァラスビアで仲の悪い魔法使いの仲裁をした後、彼はその魔法について興味を持ったと考えられる。その源流を探って、自分の技術に取り入れようとしたわけだ。…………リビングデッドの方の源流は、まだわからない。アーゼスが知っていたかもね。けれど歩く木の方は見つかった」
ヴァラスビアより少し北にある小さな街。独自の信仰の祭りの中で唱えられる祝詞。サキナックの先祖は、それを元にして木を動かす魔法を作り出した。
「木が動けばみんな驚くよな。そして、この魔法は植物を自由に動かすって魔法だと思ってしまう。もちろんそれは間違いではないのだけど……本質は少しずれている。例の北の街の信仰を詳しく調べてみたんだけど、元は地母神信仰を始まりとしていた」
「じぼしん?」
「母なる大地に対する信仰さ」
なるほど母なる大地。それならわかる。作物が実ることとかに対する感謝とかの文脈で使う気がする。
「地母神信仰は世界中どこにでも見つかる。太古の人間が自然と抱いた念なんだろうね。食料をくれる大地を神と崇める気持ちは理解できる。……そう。大地だ。地面。植物に対する信仰じゃない。……それが、時代が下っていつの間にか植物にその対象が広がったという事なんだろう」
「なるほど……」
信仰とか魔法のあり方に関しては、俺は専門外だ。だから完璧な理解が出来ているかは怪しい。けれど木々を動かす魔法のルーツが地面にあるのだとすれば、似た魔法を使って土の塊をゴーレムとして動かすのは理解できる気がした。
両者の間には間違いなく繋がりがある。
「ヴァラスビアから北の街へ向かったアーゼスは、そこで地母神信仰にまつわる魔法を会得して……ゴーレム作りに応用した。木々を操るように、土や泥で作った人形を操れるように」
「鉄でできた人形はどうですか?」
「うーん…………鉄も地面を掘れば出てくるものではあるから……アーゼスは応用として、作ったのかもしれないな。伝説ではそうなってるわけだから……」
クレハにとって一番気がかりな質問に、シュリーは少し困った様子を見せる。学者として推測はするけれど、それを確信はできないという様子。
土と鉄では、確かに物が違うもんな。地中にあるから一緒なのかもしれないけれど。
「そこは調べていかないとな。わからないことはまだ多い。この倉庫や、街の資料を再度見ていかないといけない」
これ以上はよくわからない。シュリーはそう結論づけた。




