3-5 人の姿の狼
俺が撤退に同意すると、カイはほっとしたような表情を見せた。
「ありがとう。必ず安全なところまで連れて行く。ユーリ、頼む」
「うん」
カイはこの小さな魔法使いに何をさせるつもりなのだろう。ユーリに目をやると、彼は着ているローブを脱いでカイに渡した。彼のローブの下を初めて目にするわけだけど、思っていたよりずっと薄着というのが最初の印象。
上半身は裸。下半身は丈の短いズボンと簡素な作りの靴。それが身につけているもののすべて。露出狂のような、という感想を持ってしまったが黙っておく。ちゃんと隠すところは隠してるし。この世界に露出狂って文化があるかどうかもわからないし。
「が、がる……」
それからすぐに、ユーリの体に変化が起こった。彼の体がだんだん大きく、がっしりとした肉体となっていく。さらに体中から白い毛が生えてきて、指と足の先の爪が尖っていく。頭の上に三角形の耳が生え、口が尖ってその中に牙が伸びる。
体が膨れ上がるに従い着ている簡素な服はビリビリと破れていくが、それも問題ないような姿に彼は変わってしまった。
「ガルル……」
白い狼が四本足で立って、真っ赤な目でこちらを見つめている。前にフィアナの村で殺した一番大きな狼よりもさらに一回り大きい。その迫力に身構えてしまうが、敵対心はないようだ。あの大人しそうな少年の性格は変化していないらしい。
「ワーウルフだ。人間に変身できる狼の一族。ユーリの本来の姿がこれ。三人ぐらいなら余裕で乗せて走れる。さあ、乗って」
ユーリの着ていたローブを今はカイが身にまとっている。こうして見ればカイも魔法使いに見える。
カイは目の前の巨大狼にひらりとまたがった。リゼとフィアナもおずおずとそれに近づき、だいぶ躊躇いながらもカイの後ろに乗る。俺は相変わらずリゼの肩の上。
「行くぞ。しっかり捕まってろ!」
「ガオオオオオオオン!」
「うわっ!」
たぶん、カイ以外の俺たち三人はみんな同じような声を出したはず。雄叫びを揚げてからユーリは急に走り出して、みんなその体にしがみつくのに精一杯。
ユーリは冒険者や村人の生き残りが固まって迫るオークに対して守りを固めているその前までやってきて止まる。上のカイが、声を張り上げた。
「聞いてくれ! この村はオークに囲まれていてすぐに全方向から奴らが仕掛けてくる! このままだと全滅だから、一旦逃げようと思う! 目指すはワケアの街! そこにつながる道の間にいるオークを突破する! 死にたくない奴はついてこい!」
説得に長い時間をかけている余裕も無い。だからできるだけ勇ましく言ったのだろう。これでついてこない者は死ぬだけ。ついてきても、待っているのは死なのかもしれないけど。
冒険者たちは巨大な狼の迫力に気圧されながらも、その強さに希望を見出したのか後を追いかける者が多かった。それに比べると村人達の動きは消極的だ。自分の生まれ育った村であり、彼らにとってこの村は世界のすべてと言っていいだろう。そこから出るというのが難しいのもわかる。だが、その結果は死だ。
頼む、できるだけ大勢ついてきてくれ。
俺たちを乗せたユーリはさらに走る。さっきの酒場の近くを通ったが、そこでもオークとの戦闘が始まっていた。酒場の建物は完全に壊されていて中が燃えている。その入り口の周りに死体がいくつか転がっていた。冒険者たちは村人を守るため必死に戦っているが、劣勢は明らかだった。
その中を駆け抜けながら、ユーリは村人のひとりに襲いかかっているオークに唸り声をあげながら体当たり。命をひとつ救った。
「逃げるぞ! みんなついてこい!」
カイは呼びかけ続ける。その声に応じて戦いから離脱することを選ぶ者も多かった。けれど、怪我をした仲間や逃げ遅れた村人を放っておけずにその場に残る者も多い。仕方がない。そういう選択だ。
後に続く冒険者や村人たちを連れてユーリは走る。建物が並んでいた範囲を抜けて、田畑が並ぶ村の端の方へと入る。このまままっすぐ行けば森だ。それを貫いている道を走ればいずれは街につくという。けれどその前に。
「オオオオオオオオオ!」
「オオオオオオオオオ!」
多くのオークが待ち構えていた。これの進行を阻止しようとこちらでも少数の冒険者が戦っているが、やはり劣勢だ。こっちからの襲撃は当初予想されていなくて、俺たちがいた側にみんな駆けつけてしまったからか。
とにかく、このオークの壁を突破しないといけないわけで。
「リゼ! でかい魔法であいつら薙ぎ払ってくれ!」
「うぇっ!? わたし!? なんで!?」
「落ち着け! 俺を前に!」
たぶんカイは、俺の魔法を見てリゼも相当な魔法使いだと思ったんだろう。大きな誤解だがそれを説明する暇はない。
リゼが片手でユーリの体にしっかり掴まりながら、片手で俺の体を前に差し出す。リゼの手からカイの肩に乗り移った俺は前方のオークたちを睨みつけながら詠唱。
「風よ吹け! 切り裂け! ウインドカッター!」
即座に放たれた風の刃がユーリの足より速く前方のオークたちに到達。数体の首をまとめてはねる。それによって奴らで構成される肉の壁に穴が空き、そこをユーリは強引に突破した。
もちろんオークたちはすぐさま隊列を立て直そうとするが、この一瞬の間に数人の冒険者や村人が包囲網をくぐり抜けた。
「リゼさん! わたしの体をしっかり押さえててください!」
「ねえ! わたしの役目こんなのばっかりじゃん!」
走り続けて揺れているユーリの体の上で、今度はフィアナの体をしっかりと持つリゼ。フィアナは弓で後方のオークを射掛けて逃げようとする人たちを援護。すぐさま俺も肩から肩に乗り移りフィアナの頭の上で魔法を放つ。ファイヤーボールがオークの一体を殺した。
ユーリの足はオークよりも早い。オークたちの群れが夜の闇に紛れて見えなくなるまで、俺は魔法を撃ち続けた。
ここまで走ればオークは追ってこないだろうというところまで来て、ユーリはようやく足を止める。それから、ついてきて一緒に逃げ出した人たちが追いつくのを待った。決して多くはなかった。村人と冒険者合わせて二十人ほど。あの村にやってきた冒険者の数のほうが、これよりずっと多いだろう。
「俺たちは先にワケアの街に行く。そこで事情を説明して迎えをよこしてもらう」
生き残った冒険者のうち、頼りになりそうなのにカイはそう言った。それまでの間は休みながら歩いて村に向かうといい。もしオークが追いかけてきたら、その時は走って逃げろと。
「たぶん今は、オークたちは村の略奪に忙しくてこっちを追いかける暇はないだろうけど」
ユーリ背中の上で、カイは俺達にだけそう言う。村人達には聞かせたくないことなんだろう。それから、ユーリは街に向けて再び走り始めた。