8-29 薬の効き目
懐かしい者の訪問に、フラーリという名の老婆はベッドから身を起こそうとした。ユーリは慌ててそれを止める。
「そのまま、寝たままで大丈夫、です。無理は、しないで……。病気になったって、聞いて、心配しました」
「ええ。歳には勝てないものね」
「体中が、痛むって、聞いています」
「そうよ。本当に……じっとしてたら楽なのだけど……ちょっとでも動いたら、駄目ね」
「じゃあ、動かないで。フラウが、ハスパレの葉を持ってきました。それで楽になる、はず……」
「まあ! あの子がそんなことを?」
本物の祖母と孫のような、穏やかな会話。ユーリが危険な場所だと承知の上でここまでやってきた、その理由がよくわかった。
こいつは本当に、フラーリに懐いていたんだ。
フラーリもまた再会を喜んでいる様子。しかし病はひどいのだろう。動けば痛むという言葉に嘘はないらしい。時折軽い身じろぎをした程度で、彼女は苦悶の表情を見せた。
少しディフェリアの方を向く。目の前の光景に微笑ましさを感じながらも、どこか後悔の念があるように見える。フラウを嘘つき呼ばわりした事への後悔だろうな。大丈夫。ふたりは仲直りできる。
ややあって、フラウが湯気の立つコップを持ってやってきた。コップの中身は当然、葉の煎じ薬だろう。フラウとユーリで協力して、それをフラーリにゆっくり飲ませる。できるだけ彼女を動かさないように。それに、熱い薬を一気に飲ませたりしないように。
「どう? おばあちゃん。楽になった?」
あれだけ苦労して手に入れた薬だ。もし効き目がなければ辛すぎる。不安げに訊くフラウに、フラーリは笑顔を向けた。それからゆっくり手を伸ばして、フラウの頭を撫でる。そこに、辛そうな様子は全くなかった。
「あ……」
「ありがとう、フラウ。だいぶ楽になったわ。ほら、この通り大丈夫」
「本当? 本当に痛くない? 無理してない?」
「大丈夫よ。あなたのおかげ」
「じ、じゃあ……ぎゅってしても、いい?」
少し涙声になりながら、それから恥ずかしさも混ざりながら、フラウは尋ねた。
たぶん、そうしてもらうのが好きなんだろう。けれど祖母が病気になって、出来なくなった。
ゆっくりと身を起こしたフラーリが、フラウの体を優しく抱きしめる。それから。
「ユーリ。あなたも」
「う、うん……」
ワーウルフの少年もまた、この老婆に抱きしめられるのが好きなのだろうか。老婆の体に身を任せて、フラウと共に腕に包まれる。
幸せそうな光景だった。
「ね、ねえフィアナちゃん。気持ちはわかるけど、わたしのお尻つねるのはやめて……」
「ご、ごめんなさい。でも……でもなんというか。この気持は……」
「気持ちはわかるけど、わたしのお尻は関係ない……痛い……」
こればっかりはリゼは悪くない。けれどフィアナは相当動揺していて、リゼの話しを聞かずお尻をつねり続けている。
目の間の光景は、微笑ましいものだ。けれどユーリがフラウとかなり密着した状態になっているのが、フィアナ的には許せないらしい。
別にふたりにそんな意図があるわけでもないだろけれど。でも看過できない事っていうのは確かにあるわけで。
この子にも子供っぽい嫉妬心があるってわかったのは、なんかかわいいって思えるんだけどな。
それから、昼食をこの家で頂く事になった。その段階になってようやく、俺達は自己紹介ができた。
ユーリと一緒に旅をする仲間。あと成り行きの同行者であるディフェリア。マウグハの街で偶然出会ったから、せっかくだからついてきた。
ユーリはこの家族からよほど信頼を受けているんだろう。ホムバモルがこんな情勢なのに、よそ者の俺達を快く歓迎してくれた。昼食を振る舞ってくれたのも友好の表れか。
そういうわけで、みんなで食卓を囲む。主な話題は俺達の旅のこと。
ホムバモルの外のことを、この一家は特に知りたがっていた。山と海に閉ざされていない、外の街の話は興味深いらしい。
この都市に迫る戦争が近いとか、そういう話題は出なかった。俺達があえて口にしていいのかは、よくわからなかった。
この都市が独立を目指しているとか、そのために他の都市に攻撃をしているってことを市民が知らないはずがないだろう。その結果戦争は避けられず、攻め込むか攻め込まれるかの瀬戸際にある。春になれば、国側がこの都市に攻勢をかける。そして壊滅させるだろう。
ユーリがこの都市に行きたいと言った理由もそれだ。可能ならあのおばあさんを連れ出したいと言ってたけれど、実際はこの家族全員を都市が壊滅する前に脱出させたいんだろう。
とはいえ、この家族がそれを望んでいるかはわからない。下手に切り出して気分を害するのもどうかと思うし。
だから、とりあえず様子見にした。あまり触れず、この家族とか都市内の情勢を見極める。ユーリの希望にしても、それから提案してもいいはずだ。
カイ達の商隊が到着するまで、数日の猶予があるのだから。
「それでね。その街の領主は、変な趣味があったんだ」
「へえ。どんな趣味なの?」
「兎を飼うのが好き。それも、領地の村で放し飼いに」
「え。それって大変じゃない。農家の人とか、怒らないの?」
「うん。困ってた」
「だよねー。でも、領主さんはなんでそんな事をしてるの?」
「兎が、元気に飛び跳ねてるのが、好きらしい」
「そっかそっか。それで、農家さんは冒険者に依頼をするのね?」
「うん」
「兎を退治して欲しいって?」
「そう。領主にバレないように……」
俺達の知らない話をフラウや母親に語るユーリ。カイとふたりで旅をしていた頃の経験なんだろう。
どうやらフラウは、言葉の足りないユーリから話しを引き出すのがうまい。ユーリが語ってない要素を的確に把握して聞き出す。それで会話を淀みなく成立させる。前にこの街にいた時、ふたりの間に会話が相当量あったのだろう。息が合ってるというか、フラウがユーリの扱い方を熟知しているというか。
ああ。またフィアナが嫉妬してる。リゼが、八つ当たりが来ないかとヒヤヒヤしてるぞ。かわいそうに。
そんな感じで、穏やかな時間が流れた。ところが、不意にそれを中断させる出来事が。
家の扉がノックされる音。それから、呼びかける声。
「あの…………近所で噂を聞いたのですが……ハスパレの葉があるって本当ですか? 本当なら、少し分けて貰えはしませんか……?」




