8-9 鞄の中身
しばしの間、荷台の中に沈黙が降りる。馬車を動かしてるルファも会話が気になるのか、チラチラとこっちを振り返っていた。
俺達が黙っているのは、ユーリの言っていることの意味がわかりかねているから。ハスパレの葉なる物がなんなのか知らないから。
ディフェリアが黙っているのは、なにか事情があるからなのだろう。話すにはためらわれること。
ユーリが黙っているのは、こいつが元々寡黙な性格をしてるから。それでも黙ってるディフィリアの次に、現状をよく理解しているのはこいつなわけで。
「それは薬として使うの? それとも、もっと別な理由?」
「よしユーリ。俺達にもわかるような説明をしてくれ」
説明を端折って、ディフェリアへの詰問をどんどん進めていこうとしてる。話に置いてけぼりはあんまり嬉しくないから、とりあえず俺は口を出すことにした。
ユーリは俺を見て首をかしげてから、こくりと頷く。
「カイには、一度話した事がある、と思う。この国の南の方に生える、痛み止めに使える植物」
「あー……名前までは覚えてなかったけど、その話はわかる。その植物の葉を乾かしたものを煎じて飲めば、その人を苦しめる痛みが消えるっていう奴…………だっけ」
カイの答えに、ユーリが頷いた。たぶん、ふたりで旅をしていた頃にされた会話なんだろう。
ここからはカイが説明を引き継いだ。
ハスパレというのは植物の名前。地面から生えるタイプの植物で、春には花をつけるという。
暖かい地方で育ちやすいから、この国の南側に多く分布している。
花や茎にも痛み止めとしての効能は含まれているけど、葉に最も成分が含まれているらしい。だから使われるのは主に葉だ。そういう理由で、この植物の知識がある人間には「ハスパレの葉」で独立したひとつの言葉となっている。
痛み止めとして使われる。つまり薬の一種という認識がなされている。
使い方としては、葉をすり潰したものを水に溶かして飲むか、乾燥させた葉を煎じて飲む。乾燥させた方が保存が効くから、ハスパレが自生しない地方へ持っていく時はこっちが選ばれる。
「それから、ハスパレの特徴として、乾燥させると匂いが強くなる。匂いに敏感な種族は、気付きやすい」
ユーリが、なおも鞄を凝視しながら言う。
「革の鞄の匂いで誤魔化されてたから、自信はなかった。でも、なんとなく、そんな気はしてた。鞄の中身は、ハスパレの葉でしょう?」
匂いに敏感なワーウルフのユーリは、それに気付いていたというわけだ。
狼とか犬にまつわる種族は匂いに敏感だから気づきやすい。ワーウルフは当然そうだ。
それに、野生の狼も。
「飲んだ時ほどじゃないけど、匂いだけでも、少しは効果がある。痛み止めじゃない方の効果もね」
その効果がなんなのかは、俺にも察しがついた。
「気分の高揚とか興奮とか。ハスパレの葉にはそういう作用もあるんだろ?」
俺が正解を言うとは思ってなかったのだろう。ユーリは驚いた表情を見せたけど、すぐに頷いた。
俺の世界にも似たようなものはある。適切な量を使えば痛み止めになる物質。しかし使い方を間違えれば、強い依存性を持つ危険な薬。
それを服用すれば、いい気分になれる。もっと吸いたいって思うようになるし、その衝動が止められなくなる。
麻薬をはじめとする薬物と似たような物なんだろう。
「ワーウルフは人の心を持ってるから、匂いを嗅いでも、なんともない。でも、野生の狼なら、こうなる」
つまり、さっきみたいな感じか。人の心とはつまり、理性なんだろう。
理性が弱く匂いには敏感な野生の狼が、薬物の匂いを嗅いで興奮した。そして依存性もあるそれを手に入れたくて、この馬車を襲ってきた。
興奮状態で理性が完全に飛んでるから、撤退などせずに延々と突撃をしてきた。それこそ、全員が死ぬまでだ。
これがさっきの狼達の行動の真相ってことか。
「その中身、ハスパレの葉だよね?」
ユーリが再度ディフェリアに問う。ディフェリアは、さすがに沈黙を通すことは無理だと悟ったらしい。
「はい。その通りです。……マウグハの街に、これを必要としている知り合いがいます。それを届けるために、どうしても行かなければいけません」
「この旅は、そのためのもの? 前は、獣人だからヴァラスビアにいられなくなったって、言ってたけど」
そういえばそうだった。獣人解放同盟がやらかした事件のせいで獣人への風当たりが強くなったから。出会った時にはそう言われたはず。けれど、マウグハに急いでいるとも言っていた。
そのふたつの理由は別に両立してもおかしくはないか。
「両方とも本当です。わたしの友人がマウグハにいて、彼女はひどい病に冒されています。体中が痛む症状に苦しめられていて…………痛み止めが欲しいという手紙が来ました。ハスパレの葉は、北部ではほとんど手に入りません。まだヴァラスビアの方が手に入りやすいので、せっかくだから持っていってあげようと…………」
ディフェリアは涙ながらに、そんなことを語った。本当かどうかはわからない。けれど筋は通ってはいる。
「マウグハには獣人が大勢います。わたしの知り合いも、たくさん。そのつてを頼って、向こうに移住するつもりです。……なので、そんな友人のひとりにお礼がしたいのです。…………こんな風に、狼に襲われるだなんて思ってもいませんでした」
かわいそうな獣人の女の独白。俺にはそう思えた。
獣人という理由で住んでいた街を追われ、旅の途中で同胞を亡くした。そして大切にしている荷物のおかげで、野生の狼に襲われる。不運な女性だ。
同情できる相手だと思う。
「いいじゃないですか。健気な人ですよ、ディフェリアさんは。マウグハまで乗せてってあげましょうよ! 報酬をカイさん達にも渡すとか、そういう約束ならいいんじゃないでしょうか!」
馬車を走らせながら話しを聞いていたルファが、そう提案した。雇用主のルファがそう言うなら、まあいいか。俺達としても報酬が出るなら文句はない。
守ってあげよう。多少凶暴でも、敵が狼なら勝てる。
ユーリだけが、ディフェリアに疑いの目を向けてるようだった。
「ひとつ、約束して。それは本当に、薬として使うって」
「は、はい。本当です。友達を助けるための薬です!」
「…………ならいい。もし違ったら、その時は許さない」
それだけ言って、ユーリは黙り込んだ。それ以上の説明はしたくないという様子。
ディフェリアを疑うのは、ワーウルフが獣人を見下しているという感情からなのか。それとも別に理由があるのか。
それは、わからなかった。