2-10 今後の準備
時計がないから何時なのかはわからないけど、目覚めた時には太陽はかなり高い位置にあった。昼まで寝てたってことか。ベッドの方を見れば、リゼとフィアナはまだ眠っていた。
村長たちは狼退治のお礼として宿代と食事代を出してくれるし、しばらく泊まってくれて良いと言ってくれた。懸念事項も晴れた。リゼを追う存在もいるから、一つの場所に長居するのは得策ではないけど、少しゆっくりするのもありかもな。
ふと自分の体を見る。桶に張られた水はすっかり赤茶けた色になっている。完全にというわけにはいかないけど、体に染み込んだ血はだいぶ抜けたようだ。後は体を乾かせば…………。
「ぐえー! やめろ! 痛い苦しい!」
「えー? だってこうしないと、きれいにならないでしょう?」
一時間後、リゼは外で俺の体を雑巾みたいに絞っていた。血が混じった水がドバドバと地面に落ちて染み込んでいく。
ぬいぐるみの体だから、こんなことされても死んだり怪我したりするわけじゃない。けど、かなり苦しい。
リゼは桶一杯分の水で血を薄めるだけでは不十分と見たのか、起きたらまず最初に桶ごと俺を水場まで持っていき、水を換えてじゃぶじゃぶと俺の体を洗い始めた。ていうかお前こそ、昨日から着替えてないだろ。服が血と泥だらけのままでどれだけ過ごすつもりだ。
どうもリゼ的には使い魔の体のこと優先のようだ。それからも繰り返し水に浸けられては絞られを繰り返し、ようやくリゼにとって満足のいく程度の綺麗さになってから解放された。
死ぬかと思った。
「リゼさん。お母さんの要らなくなった服持ってきました。それと地図も。あの服もお洗濯しておきましたので、夕方には乾くそうです」
「おー。ありがとうフィアナちゃん! やっぱり持つべきものは友達だね!」
「えへへ……」
「いいのか。友達を雑用に使ってるんだぞこいつ」
まあ、地図と服とに関しては俺の頼みでもあるんだけど。
俺の洗濯が終わったらリゼもようやく着替えた。魔法使いのローブは同じデザインだからか、着替える前と後とであまり印象が変わらない。
それから昼食にしても遅い時間に、今日はじめての食事をとっていたところで、さっきフィアナに頼んでおいた物が来たというわけだ。
リゼが食事を終えるのを待って、みんなで部屋に戻る。まあフィアナは来る必要はないんだけど、聞かれて困ることじゃないから一緒に行くことにした。
まず最初に、リゼには魔法使いだとはわからないような服を着てもらうことにする。
たぶんこれから行く場所でもリゼはお尋ね者で、そこでいちいち手品を披露するわけにはいかない。魔法使いの格好をしてれば必ず疑われるだろうし、お前がリーゼロッテかと尋ねられるだけでもかなり面倒だ。
だから魔法使いのローブは脱いでもらって、別の種類の女の子に見えるような格好になってくれと言ったところ、あっさり承諾してくれた。
村娘が旅に出ました、というような格好なら良さそうだから、いらない服があるかどうかフィアナにたずねてみた。フィアナの服はリゼには小さすぎるから、親しい大人の女性の服。これを仕立て直せばいい。
「お裁縫なら任せて! 得意だから!」
たぶんリゼは、裁縫がしたいだけなのかも。鞄から裁縫道具一式を当たり前のように出すってことは、普段からこれ持ち歩いてるってことだろうし。俺の体になっている猫のぬいぐるみも、そういえばリゼの手作りだった。手品といいこれといい、手先の器用さに関しては素直に褒められるだけの技量を持っている。魔法使いの才能がなければ失格という家に生まれたのが、こいつの最大の不幸なんだろう。
さて。裁縫をしながらもうひとつの問題を考えることに。
フィアナが持ってきてくれた地図を広げる。この村では村長のところにしかない、貴重なものだ。この世界では紙や本っていうのは高価なものらしい。
この村を含めた周囲一帯の様子を簡潔に描いたもの。ここの領主様なる人物から配布されたものらしくて、そいつの領地は全部カバーされている。一方でそれ以外の場所についてはあまり描かれていない。さらに言えば領土内も、点在する村や領主様のいる中心地である街の位置関係や、道のつながりがわかるという程度。あまり使えたものじゃない。
まあいい。これを見ながら今後の旅の方針を決めるぞ。
「ふたりの旅の目的ってなんなんですか?」
旅という言葉が出てきたら、ふとフィアナが尋ねた。
「わたしは、立派な魔女になる修行をして、家に帰らないこと」
「俺は、元の世界に戻る方法を探して、家に帰ることだ」
服をハサミで裁断してちょうどいい大きさに仕立て直しながら答えるリゼと、その隣で座りながら答える俺。
「真逆なんですね」
「そうだなー。ていうかリゼ、家に帰りたくないから旅に出るってやっぱり変だと思うぞ?」
「いやいや。そんなことはないよー? 故郷なんて狭い場所に閉じこもるのはゴメンだー! みたいな感じで旅に出るのは珍しいことじゃないよ? ていうか、家に帰るために旅に出てるコータの方が変だよ! 冒険しに行くんだよ? なんで帰ることばっかり考えてるの?」
「俺は冒険もしたくない! 旅やることになったのはお前のせいだろ!」
「ぎゃんっ!」
飛び上がってリゼの背中を思いっきり叩く。ぬいぐるみの体でもそれなりに痛かったのだろう。まだ体に水分も残ってて重い一撃になっただろうし。リゼは変な悲鳴をあげた。ざまあみろ。
フィアナはそんな俺たちを見つめながら、楽しいという風に笑う。
「ふたりって本当に仲がいいんですね」
「そうなんだよねー! わたし達って本当に最高のコンビだと思わない?」
「ぐえっ」
やめろ。抱きつくな。そこは二人揃って否定するべき場面じゃないのか。おいこらやめろ。
フィアナには他言無用と言った上で、旅の事情は全部話した。リゼの家のことも、泥棒したことも、それから俺の出身のことも。魔法はないがこの世界よりも遥かに科学の発展した世界に、フィアナは関心をもったようだ。俺の帰るべき世界に。
とにかく、俺の旅の目的ははっきりしている。こんな世界にはあまりいたくないし、もとの世界だってあまりおもしろい生き方してたわけじゃないけれど、家族や友達はいたわけで。そういう人達が、今頃いなくなった俺のこと心配してると思う。それについては罪悪感があるし、帰れるものなら帰りたいのが本心だ。
でもまあ、リゼのことは嫌いじゃなくなってるし。あと、帰る方法が見つかるまで時間はかかるだろうなという覚悟も実はしてるんだけどな。それまではこいつに付き合おう。
さてそんなことより旅の方針だ。