2-8 私は嘘つき
杖にヒビが入って、それからあっという間に折れた。真ん中付近から真っ二つに。
「え、ちょっと待ってまずい!」
リゼにとって、魔法を使えない魔法使いとバレたなんてのは些末なことになった。あっという間に生命の危機。口枷がなくなったようなもので、狼はすぐさまリゼの頭に噛み付こうとする。咄嗟に伏せてこれを回避。
よし、今だ。
「リゼそのまま伏せてろ! 風よ吹け! 切り裂けウインドカッター!」
地面に伏せたリゼを上から噛み殺そうとしている狼の尻に、風の刃が地面に平行に直撃。敵を確実に殺せるように、鋭くなるようにと意識した。その結果、風の刃はそのまま胴、首、頭と順番に裂いていき、ついでにさっきリゼが押し付けられてた壁にも裂け目を作って止まった。地面に伏せたリゼはなんとか無傷。狼の血は大量に浴びてるだろうけれど。
けれど、危機はまだ終わってなくて。
「わ! やだ来ないで! 助けて!」
狼の子供がついにフィアナに襲いかかった。二体同時来た狼に対して、さすがに狩人の見習いであるフィアナは驚きながらも、そのうち一体にナイフを振る。狼の片方にナイフが刺さった。けれどその間にもう一体が確実にフィアナの喉に噛み付く軌道で迫っていて。
「させないんだから!」
狼の死体から這い出できたリゼが、折れた杖を持ってこれを守る。跳びかかってくる狼に向かって杖を振って、これをはたき落とす。断末魔なのか悲鳴なのか、形容し難い声をあげながら狼は地面に叩きつけられる。
リゼは、そいつの体にもう一度杖を思いっきり振り下ろした。
たぶん、その狼は死んではいない。まだ死んでいないだけで、放っておけばすぐに息絶えるだろうけど。
他の狼の気配はなかった。リゼとフィアナの息の音だけが聞こえる。おそらく、目的である狼退治はなんとか終わった。
成功した。そう言うことはできないけど。
「ごめんなさい……なんというか、その。わたし実は、魔法があんまり使えなくて……えっと……コータの方がずっと魔法がうまくて、それに助けてもらってただけで…………ごめんさい」
リゼとフィアナ、ふたり並んで膝を抱えた状態で座っている。背中は、さっきの段差の壁。俺はリゼの肩に乗っているが、口を挟めるような気分じゃない。そもそもさっきからフィアナは、膝に顔を埋めて黙っているだけ。リゼが一方的に喋って、謝っているだけだ。
フィアナが失望しているというのはわかった。この子が最初に、魔法を見せてほしいって言ってきた時の顔。ただの手品を魔法だと思いこんで無邪気に喜んだ様子。リゼのことを偉大な魔法使いだと信じていた。
けれどそれは嘘だった。すごいのは使い魔の方。リゼ本人はまったく才能がなくて、そしてフィアナが一番怖がっていた瞬間に助けてくれなかった。
リゼは途中で言葉をつまらせてしまった。さすがに悪いと思ったのか、言葉が続かない様子。なんだか落ち込んでいるように見える。
昨日今日の付き合いでしかないけど、こんな表情も見せるのかとすこし意外に思った。
「おーい! フィアナ! リゼさん! いるかー?」
フィアナの父親の声が聞こえる。集団からはぐれて、いなくなったから心配しているだろう。俺が声をあげて返事をして、場所と無事を知らせる。
リゼもフィアナも、なにも言わなかった。
俺たちの落ちてしまった場所が確かに狼のねぐらで、俺達はそこに住んでいる群れを殲滅した。これは村人たちにとって十分に満足のいく結果だったらしい。
村長は喜んで、あなたは本当にすごい魔法使いなんですねとリゼの手を取り丁寧にお礼を言った。たぶんそれで、リゼはさらに傷つく。それでも表面上は笑顔を取り繕っていた。村人たちが口々にリゼを褒めてお礼を言うのを早めに切り上げて、宿の部屋に急いで戻る。
あまり人と話したい気分じゃない。
「それでリゼ。これからどうするんだ。フィアナはたぶん、お前のこと村のみんなに言うぞ」
そうなれば、この魔法使いはやはり魔法の才能がないリーゼロッテ・クンツェンドルフだと、みんな確信するだろう。村を救った英雄からお尋ね者に転落だ。どちらも正しいリゼの姿なんだけど。
「うん。そうだねー」
「村長たちはさっきは、お礼に宿代は村で出すし、しばらく村にいていいって言ってくれたけどさ。早めに村から出た方がいいんじゃないか?」
「うん。わかってる。ちょっとこっちに……ううん。動きづらいよね」
そう言ってリゼは俺の体を抱えあげて、水の入った桶に入れた。
さっき被った狼の血が、俺の体に染み込んでいる。血が固まったから、さらに体がバキバキに固まって動きづらくなってしまった。しゃべるのは問題ないけど、体から血を抜かないといけない。ぬいぐるみの体では必要ないと思っていたけれど、そういうわけでお風呂タイムである。水だけど。冷たいが、それは仕方ない。
血が水を吸ってふやけて溶けて、だんだん体が動くようになった。体から血が抜けきるまでしばらくかかるだろうし、そこからさらに乾かさないといけないと考えれば手間だな。やっぱり普通の体が恋しい。
部屋に戻ってからリゼが最初にやったのが、桶を借りてきて水を汲みに行ったことだった。使い魔のことを気遣ってくれるのは嬉しいが、なんだか調子が出ない。
「ていうかリゼ、お前も体が洗えよ。ていうか着替えろ。ずっとその格好でいるつもりか?」
「ううん。いい」
狼の血で汚れているのはリゼも同じだし、地面に転がったり倒れたりで服も顔も泥だらけだ。そのままだと気持ち悪いだろうに、リゼは気にする様子もなくベッドに倒れ込んだ。
もうなにも考えたくない。どうにでもなれという様子。
間違いなく自業自得とはいえ、フィアナを失望させたことは辛いんだろう。
こういう時にどんな風に慰めてやればいいのかなんて、俺にはわからなかった。けれどこんなのでも旅の相棒だから、ずっとこの様子だとまずい。悠長に立ち直るのを待っている場合でもない。リゼがリーゼロッテだと村人たちが知るまで、時間はあまりかからなさそうだ。
なにより落ち込んでる女の子をそのままにしておくのは、俺の気持ち的にもあんまりいい気分じゃない。だが俺は無力だった。こういう時はどんな魔法を使えばいいんだろうな。
「あの。リゼさん、いますか?」
その時、部屋のドアの向こう側から声がした。
フィアナの声だった。