ふたりきりの居残り特訓
この作品は、武 頼庵(藤谷 K介)様主宰「初恋」企画参加作品です。
「こてーっ! めーーーん!」
「ほら! もっと思い切って飛び込んで来い!」
飛び込みの甘い後輩に発破をかける。
「うりゃーーー!」
「よ~し、来い!」
と、その時、
ピーーーー!!
ホイッスルの音が体育館中に響き渡る。
金属製のホイッスルをくわえた杉山先生が、自分の腕時計を指差し「時間だ」とアピールしている。
いつの間にか、もうそんな時間か……。
今日はここまでだな。
「全員整列!」
僕の号令に従い、男女別に部員達が整列する。
「今日の稽古はここまで!
一同、神前に礼! お互いに礼!」
「「「「ありがとうございました!」」」」
部活終わりの夕方。
秋の新人戦から一月が過ぎ、徐々に日が短くなってきた。体育館をネットで区切った半分が、僕達剣道部の練習スペースとなっている。もう一方を使用していたバレー部は、もう活動を終えていて誰もいない。
僕は嘉岡市立第二中学校二年、山岸悠介。
三年生が引退した初夏から、この剣道部の部長を務めている。
「山岸君。だいぶ声が出るようになってきたわね。部長らしくなってきたわよ」
「ありがとうございます」
防具を外し、副顧問の優里ちゃん先生と話していると、一人の女子部員が目の前で立ち止まった。
「あの……山岸君、お願いがあるんだけど……この後、また頼めるかな?」
控え目な口調で居残り特訓を願い出てきたのは、カナリアの様な声の持ち主、石井雪乃 14歳。
清楚な顔立ち。
サラサラのロングヘア。
部活動後で少し汗ばんでいるが、それさえも彼女の数多い魅力に一花添えている様にすら思える。
石井さんを初めて見たのは、中学生になって一か月程経った頃だった。
遅刻スレスレで昇降口に駆け込んだ僕の目に飛び込んできたのは、廊下を涼やかに歩く一人の女子生徒。腰近くまである綺麗な黒髪をリボンで括り、背筋をピンと伸ばして歩いていく。
その姿は、今まで見たどの女子よりも飛びぬけて清らかで美しい、いや、神々しいとさえ思えた。
そう、彼女は女神様だ。
その姿を見た瞬間、僕の世界から一切の音が消え、”女神の行進”から目を逸らせなかった。
そんな訳で、僕はもう一年半くらい、石井さんに片想いしている。
「あの……山岸くん?」
去年は別のクラスだったが、願いが叶って今年は同じクラス。しかも二学期の席替えでは、驚異の幸運が僕に舞い降りて、隣の席になれた。
横を向けばいつでも好きな人がいて、時々目が合うとニコって微笑んでくれる。もしかして、石井さんも僕の事――
「おーい、山岸く~ん。帰ってこーい!」
ハッとして我に返ると、両手をメガホンの様に口に当てている女神、いや石井さんがいた。
「……ごめん。ちょっとボーッとしてた」
「大丈夫? 疲れてるんじゃない?」
「平気平気! ちょっと考え事しちゃって……」
「ふーん……。考え事って?」
「秘密です」
あなたの事ですよ。
でも、恥ずかしくてそんな事言えないけど。
僕達二人を残し、ゾロゾロと帰っていく部員達。
先生達も、いつの間にか職員室に戻ったらしい。
あれ……そう言えば僕、返事したっけ? 好きな人と二人きりの居残りなんて、こちらからお願いしたいくらいだから、まぁいいか!
「雪乃~、頑張れよ~~!」
同じクラスの中島恵美子が、石井さんに声を掛けて体育館から出て行く。どうやら中島で最後みたいだな……。
中島を見送った石井さんが、僕に向き直る。さっきまでの笑顔から一転して、真剣な表情になっている。
「山岸君、『形』の練習がしたいんだけど、見てもらえる?」
試合型式かと思っていたら『形』か……。
(注:形……日本剣道形。木刀を用いた演武と捉えて下さい)
「良いよ。それじゃ防具は着けないでやろうか?」
「はい! 宜しくお願いします、部長! プフッ」
「……二人の時は部長はやめてくれって、いつも言ってるだろ! それと、最後のプフッて何だよ」
「はーい、すいませーん」
ペロッと舌を出す石井さん。
ニヤニヤしている彼女はきっと、『部長(笑)』とか思っているんだろうな。これくらいの軽口は言い合える仲になれたのだから、嫌な気はしないけど。
竹刀から木刀に持ちかえて、石井さんと向き合う。防具を着けずに立ち合うのは、初めてかもしれない。いつ見ても綺麗な顔しているなぁ……おっと、集中集中!
お互いの目線が合ったところで一礼。
木刀を構え蹲踞する。
呼吸を合わせて立ち上がり、そのまま剣道形一本目に入る。
「ヤアアー!」
「トウ!」
打太刀の僕。
仕太刀の石井さん。
(注:打太刀……先手・演武の負け役・上級者
:仕太刀……後手・演武の勝ち役・下級者)
綺麗に形が決まる。
お互い正眼の構えに戻り、そのまま二本目に移る。
「ヤア!」
「トオオオウ!」
二本目の仕太刀は、面打ちでなく小手打ち。
これも見事に決まる。
やはり石井さんの剣は真っ直ぐで美しい。
先月行われた新人戦の市予選では、持ち前の真っ直ぐな剣で、女子個人戦でベスト8まで勝ち進んだ。
僕は、まあ自慢する訳じゃないけど、男子個人戦の部で優勝したよ。地区大会では呆気なく一回戦で敗退したけど……。
「山岸君。この小手がどうしても納得いかなくって……。その……手取り足取り教えて欲しいんだけど……」
不安そうに上目づかいで見つめてくる女神な石井さん。瞳がウルウルしている。
ああ! もう、なんて可愛いんだろう。
「どの辺が上手くいかないの?」
「あのね……ここのところが――」
その時、体育館入り口に人の気配を感じた。
「そこだ、雪乃。押し倒しちゃえ!」
あの声は中島だ。まだ残っていたのか。……と思うのも束の間……えいっ! という石井さんの声が体育館に響く。
次の瞬間、僕の視界には体育館の天井が映っていた。
……え?
視界の右下には、僕の道着を掴んだ女神こと石井さんの笑顔。僕の上に石井さんが半ば乗り掛かっているような状態だ。
「私、小学生の頃から合気道やってるんだ~」
投げられたって事? 全然見えなかった。
「どういう事?」
「だから~。小学生の頃から合気――」
「そうじゃなくって! 何で今、僕は投げられたのかって事」
「それは……これから話します」
「はぁ……。じゃ、どうぞ」
石井さんは僕の襟首を掴んだまま、真顔になった。何か深刻な話でもするんだろうか? でも石井さんていい匂いだなぁ。女の子特有の甘い香りがする。
「あの……山岸君て、好きな人っている?」
「はい?」
「だから、誰か好きな子、いる?」
「そりゃまあ僕だって人並みに男の子だし、いると言えばいるし……いないと言えば――」
「どっちなの!」
石井さんの腕に力が入って、襟元が絞まる。
苦しい~。
落ちるぅ~~。
慌ててタップする僕。
「ゲホッ、ゲホッ」
「あ! ごめん。つい力が入っちゃった。で、山岸君の好きな人って誰?」
「どうしてそんな事聞くの?」
「どうしてって……そんな……やだ恥ずかしい」
これはもしや……
「あの……石井さん? もしかして僕の事……」
「……好きです」
マジで⁉ ホントに石井さんが僕の事を?
石井さんはポッと頬を赤らめて恥じらっている。
女神の恥じらい。
夢みたいだ。
これは僕も言うしかない!
「ぼ、僕も、石井さんの事が好きです」
「本当⁉」
石井さんは、目を見開いた。
「本当だよ」
「じゃあ、両想いって事だよね。嬉しい~!」
はしゃぐ石井さん。
また腕に力が入って……く、苦しい。
絞まる~!
落ちるぅ~!
慌ててタップ。
「あ、ごめん。つい……」
「ゲホッ、ゲホッ。……そろそろ起き上がっても良いかな?」
「うん。そうね!」
やっと解放された。
床に座り込んだまま、向き合う。
「あの……山岸君。 さっきの、本当?」
「本当だよ。僕は一年の時からずっと石井さんが好きです」
「嬉しい~! じゃ、私達恋人同士だね。これから宜しくね、山岸くん!」
「は、はい。宜しくお願いします、石井さん」
「ちょっと~! 彼氏なんだから名前で呼んでよ~!」
拗ねた顔をする石井さん。
これは名前で呼ばないと機嫌、直りそうにないな……
「ゆ、ゆ……ゆき……。はぁ、緊張するな……」
「早く~!」
「分かってるって! ……ゆ、ゆゆゆ、ゆきの!」
「山岸くん、吃り過ぎ!」
「そんな事言うなら、石井さ……ゆ、雪乃だって僕の名前、呼んでみてよ!」
「あたしはいいの」
えぇ、それってどんな理屈ですか?
僕の事は呼んでくれないって事?
「だって、恥ずかしいじゃない。みんな見てるんだよ」
「……はい?」
もしや……恐る恐る入り口を見ると、男女入り乱れた集団が全員、こちらを凝視していた。全員、帰ったはずの部員達だ。今のやり取りをみんなに聞かれてたってことなのか? よく見れば顧問の杉山先生に副顧問の優里ちゃん先生までいるじゃないか!
「い、石井さん、これどういう事?」
「石井さんじゃなくて、ゆ・き・のでしょ?」
「いや、だ~か~ら~っ。教えてください! 雪乃さん」
「何を?」
「この状況を」
「わかんない?」
「分かんないよ!」
「しょーがないなー。告白よ。コ・ク・ハ・ク!」
「そうか、告白か……ってそうじゃなくって!
なんで帰った筈のみんながそこに勢揃いしてるのかって事だよ。先生まで……」
「え? そりゃあ、私が告白するから?」
「何故に疑問形?」
みんな知ってたって事? 先生まで。
告白ってもっと、こう……体育館裏なんかでこっそりとやるものじゃないんですか? もっと恥じらいたっぷりで上目遣いに「……好きです」な~んて言うものではないんですか?
あっ! 言ってたか……。
その時、石井さん、もとい雪乃が高らかに宣言する。
「みんな~、私達恋人同士になったから~。あたしの彼氏に話しかけんな~!」
「「「「「は~~い!!」」」」」
なんて揃った返事だろう、先生まで。
「特に女子、それと優里先生。私達の邪魔したら、分かってるわよね?」
「「「はーい」」」
何という脅し……。
さっきまでのカナリアボイスはどこ行った?
あーあ……女子全員、下向いちゃったよ。
優里ちゃん先生まで目を逸らしてるし……。
あの……雪乃さん、キャラ変わってませんか?
「ゆーくん」
「⁉」
ゆーくんだって! 皆さん、聞きました?
お忘れでしょうからもう一度名乗りますけど、僕の名前は「悠介」です。
ゆーくん……なんて良い響きなんでしょう。
僕は今、女神の祝福を受けました。
この世に生まれて14年、人生最良の日を迎える事が出来たんです。
お父さんお母さん、産んでくれてありがーー
「ゆ~くん!!」
「は、はい!」
「私以外の女子と話したらダメだからね」
「そりゃ無理でしょ。だって僕、部長だし」
「女子への連絡は全てっ! 私を通す事!」
「……はい」
怖いよ。
目ヂカラが恐い。
血走ってますよ、女神なのに。
「他に恋人らしい事と言えば……毎日お弁当作ってきて欲しい?」
「うちの学校、普通に給食だし!」
「私、ゆーくんの為なら、何だってするわ!」
「そう言いながら脱ぎ始めるな! みんな見てるから!」
うわっ、見えちゃったよ。捲り上げたTシャツの下からピンクのブラが! 石井さんて意外と……。
「……あらやだ。私ったら、はしたない……」
「心臓に悪いです」
「浮気なんてしたら……後ろから絞め落とすからね!」
「浮気なんてしないよ!」
「ホント? 嬉しい。あらゆる手を使って隣の席を勝ち取った甲斐があるわ!」
「……えっ?」
「あっ!」
席替えってクジ引きだったよね……。
あらゆる手って何ですか?
勝ち取ったって何なんですか?
もしかして、さっきみたいな脅しを……。
怖っ! 雪乃さん、こわっ!
「コホン。……今のは忘れて!」
「……はい」
雪乃が僕をギロリと睨む。だから、目が怖いって!
「帰りは一緒に帰ろ!」
「それは喜んで。
ところで雪乃さん。質問なんだけど……居残り特訓って、以前はもっと大勢いたよね。もしかして、徐々に人数が減ってきたのって、もしかして……?」
「そうだよ。みんなに頼んだの。二人きりにしてって!」
雪乃はニッコリ微笑んだ。
だけど僕は、その笑顔から病的な何かを感じ取った。
このまま付き合って、無事でいられるんだろうか? でも、今さら断れる空気じゃないし……。
とにかく、女神の逆鱗に触れてはいけないと悟る僕がそこにいた。
せっかく好きな人と両想いになれたというのに、何か思ってたのと違うぅ~!
先行きの不安を感じずにはいられない、僕の初恋成就でした。
お読みいただき、ありがとうございました!