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第83話 嚶鳴の母

 トン、と水が窓を打った音がした。それは次第に強く、激しくなっていく。

 不意に生まれた沈黙は雨音に包まれ、じめじめとした空気がこの生徒指導室を支配する。どれくらい経ったか、外も僅かに暗くなり始めていた。

 先生も立ちあがり、室内灯の明かりをつける。


「それで、わざわざこんな話をするために呼び出したわけじゃないだろう?」


 いつまでも切り出さない俺に対する苛立ちを滲ませ、半目でこちらを見つつ、若干荒く椅子に座る先生。


「さっきまでのが本題だったんですけど~……なんて言ったら怒ります……」

「ああ」

「よね、やっぱり!」


 冗談で誤魔化す感じを演出しようとした途端、先生の半目が睨みにランクアップした。

 慌てて言葉を訂正するも、ランクダウンする様子は見られない。俺の行動が全部、誤魔化しているですませられる時点で改善は有り得なそうだ。

 そもそも、先ほどまでの話題自体、先生の状態から浮かび上がったものだし、本題とするにはあまりに無理があったのも確かだ。


「タイミングを探していた……というのが正直なところだったんですが」


 言いやすいタイミングがあればと会話を続けてみたものの、中々無いし、いずれ言わなければと思えば、ここがそのタイミングになるのだろう。

 思わず吐き出しそうになったため息をぐっと飲み込み、姿勢を正す。こればかりはだらしなく、適当に言うことは憚られた。


「高校を、辞めようと考えています」


 軽口ばかり吐き出すこの口も、この時ばかりは堅く、しっかりとした声を放った。

 いつの間にか睨みから変わり、真剣にこちらを見据えていた先生の目が大きく見開かれる。


「どういう、ことだ?」

「明確な期間は分かりませんが、おそらく長期に渡り学校に通えなくなるので……いとこ叔父にもそれほどの負担は強いれません」


 勿論、命蓮寺公輝の財力からすれば、この高校に通う学費でさえも雀の涙程度のものだろうけれど、そういう問題じゃない。結局は俺の金でないのだし。


「学校に来られない理由とは? 高校より優先すべきことか」

「……はい。先生は、ある程度俺……というか、俺の家族のことをご存じですよね」

「ああ……」


 先生が気まずげに顔を俯かせる。

 何も、俺が家族共々行方不明になったということが、全国的なニュースになった訳ではない。

 当時、世界的な不況に陥り、その影響で一家心中が社会的な問題になっていたという。俺たちが行方不明に、異世界に飛ばされたのも同時期で、ニュースにもならなかったようだから、椚木家が突如行方不明になったというのも、当時親しくしていた鏡花らにも伝わらなかった程度にはニュースにならなかったらしい。

 そして、全て事実を知っているのが、俺から直接聞いた公輝さんや蓮華を始めとする一部の人だけだ。俺が入学する際に先生に俺について公輝さんから説明があったとはいえ、あくまで行方不明としてと考えるべきだろう。


「俺は、ずっと遠いところにいたんです。そこで、家族を失いました」


 嘘は無い。真剣に聞いてくれる先生に対し、誤魔化すような言い方をするのは決して快いことではないけれど。


「家族を……すまない、なんて言葉をかければいいか」

「気にしないでください。過ぎたことですし、実は、あまり悲しくないんです。俺にはその時の記憶が殆どなくて、両親のこともあまり……」

「記憶が、ない……? そうか……だから……」

「疑わないんですか?」

「お前は他の生徒とは何か違うと思っていたからな……」


 自嘲するように先生が笑う。


「教師になって8年、まだ新米か、そこから卒業したばかりかだが、それなりに生徒たちと接してきたつもりだ。お前はその中でも特別……子供らしくなかった」


 言葉を選ぶように、先生はそう言った。まるでそれ以外の意味が込められているかのように。


「まぁ、そういうわけですから、俺は、記憶を取り戻すために、もう一度、かつていたあの場所に帰らないといけないんです」

「帰る……まるで、そちらが故郷のような言い方だ」

「正しくは、戻る、ですかね? ただの誤用ですよ。国語の教師である先生の前で恥ずかしいことですが」


 そう頭をかき苦笑するが先生は笑わず、俺の腹の底を見透かそうとするように目を細めた。


「どうしても、今なのか? いつから記憶が無いのか、もどかしいが、教師であってもそこに踏み込む権利はないだろう。だが、お前が入学してから、担任としてお前を見てきた中で、記憶の欠落が問題になるようには思えなかった。急ぐ必要も……っ」


 そう、捲し立てるように言った先生は、慌てて口元を押さえる。


「……すまない。お前の事情を軽んじているわけじゃない。ただ……」

「いえ、先生が俺のことを考えてくださっているのは分かっているつもりです。俺も、このままずっと逃げたまま、全部を忘れて生きていけると思っていたんですけどね」

「椚木……」

「嘘をつくのは疲れますから」


 自然と口元が上がる。俺は笑顔の筈なのに、対面の先生は俺の顔を見て悲しげに顔を歪めた。


「遠く、というのは?」

「少なくとも日本じゃありません。手紙や、電話をするのも難しいくらい遠く、です」

「そうか……」

「そう心配しないでください。俺にしたら、こちらよりも慣れた場所で」

「心配するに決まっている!」


 言葉を遮る怒号に反射的に肩が跳ねた。


「生徒は、お前は、私にとっては息子のようなものだ……」

「俺みたいな大きいのを息子という年齢でもないでしょ」

「私くらいの年だとな、もう幼稚園くらいの子供がいる友人もいるんだよ。恐ろしいことだが」

「それって……俺が幼稚園児みたいなものってことですか」

「そうかもな。お前は馬鹿だし、意外と照れ屋で、嘘も下手だ」


 なんだか、恥ずかしいというか、照れるというか……そんなことを口にすれば、余計馬鹿にされそうだ。


「たく、好木のせいだな」


 しかし、先に照れたのは先生だった。誤魔化すように頭をがしがし掻く姿は少し新鮮かもしれない。


「好木?」

「あいつが言い出したんだ、私を母のようだとか、お前が兄だとか」

「兄? ああ……そういえばそんなダル絡みされましたね……」


 あいつ先生にもそんな絡みしていたのか。意外と肝が太いというか。


「まあ、今はあいつはいい。お前の話だ。この話、命蓮寺さんには?」

「……まだです。これから話すつもりで」

「そうか……学校を辞めるのであれば、保護者の意見も必要だ。合意を貰えたら、一筆したためて貰え」


 絞り出すような先生の言葉に俺は胸が締め付けられる感覚を覚えた。

 先生は先生という立場を全うしてくれている。生徒が学校を辞めたいと言うのなら止めるのも教師の仕事だろうが、それでも俺の心情を汲み取って尊重しようとしてくれている。


「ありがとうございます」


 俺は先生に深々と頭を下げて、礼を言った。

 好木は先生を母親みたいと言ったらしいが、俺も彼女に母を感じていた……かもしれない。命蓮寺夫妻は蓮華の親という印象が強いし、セバスさんだって家族という距離感とは違うし……先生はこの世界じゃ色々と迷惑をかけた大人ナンバーワンかも……アラサーババアなんて言ったのやっぱり良くなかったな。もう何度目か分からない反省。


「今日はもう帰れ。私も自分の仕事があるし、そう長いこと構ってやるわけにもいかん。それに」


 私にも整理する時間が必要だ、と小さく呟き、先生が席を立つ。それに合わせて俺も立ち上がり鞄を手に持った。


「本当に、お忙しいところありがとうございました」

「ああ、全くだ。こんな時期に面倒かけて」

「何も言い返せません」

「言い返そうとするな、馬鹿」


 わしゃっと髪を掴まれ、少し荒っぽく頭を撫でられる。モンスタースチューデントとか、モンスターペアレンツとか、相手が相手なら訴えているところかもしれないが、俺は寛容な心で見逃すことにした。

 なんというか、ラブコメ主人公に頭を撫でられるヒロインになった気分だ。こんなんじゃ俺、先生に惚れちまうよぉ……。


「それじゃあ、気をつけて帰れよ」


 勿論甘酸っぱい展開など在るはずも無く、先生はそう言い捨て去って行った。


「そういや、傘持ってなかったな……まぁ、走ればいいか」


 窓の外を眺め、中々強くなってきた雨の様子を確認しつつ、小走りで昇降口に向かう。家まではちかいというほどでも無いが、もう今日は帰って寝るだけだし、ちょっと雨の中を走るくらい何の問題も無い。


 ……と、思っていたのだが、


「ぐすっ、ひぐっ」


 どうやら神様は全くもって迷惑なことに、もう一悶着用意してくれていたらしい。

 俺の下駄箱の前で体育座りをしながら泣きべそを掻いているちんちくりんを見つけて、俺は思わず頭を抱えるのだった。

ギャグが足りない(餓死)


は、さておき、誤字報告、いつもありがとうございます。

便利な機能~♪と思って脳死しながら適用適用していたのですが、

実際はちゃんと理解できておらず、指摘いただいた方、また僕の無知故に困惑させてしまった方、大変失礼いたしましたと、改めてお詫びさせていただければと思います。


その点は僕の中でもクリアになりましたので、

今後もより読みやすく、楽しんでいただけるよう、ガンガン誤字指摘いただけると助かります!(丸投げッティ)

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