第80話 タイムリミット
「とまあ、そんなことがあったんだよ。困っちゃうよな全く」
「知るか」
一切の興味が無いように目線一つ寄越してこない昔馴染み……という表現でいいのか分からないが、彼、いや彼女は何か石ころのようなものを磨きながら冷たい返事を返してきた。
なんだよもうと文句を吐きたい気分だ。なんたって俺は彼女に呼ばれたからこそ、放課後寄り道もせずに真っ直ぐ彼女の住むアパートにやって来たというのに、当の本人は「ああ来たのか」などと気のない言葉を浴びせた後、ただのんびりと石磨きをして呼び出した理由の一つも語らないのだ。
気を遣って「何か話題を」と手近な今日あった話を語った俺を労うことこそあれ、邪険に扱うなんてそれこそ何様だと言うものだ。
「ブラッド、今度は石磨きの内職でも始めたのか? アルミホイルを丸めただけの物が売れる時代だからどこかしらに需要があるんだろうが」
「バイトは全て辞めた。もう金を稼ぐ意味も無いからな」
「ああ、そう」
フリーターからニートにジョブチェンジしたらしいかつての仲間に溜息を吐く。なら今やっているのはそれこそただの手慰みのようなものか。暇そうで羨ましい。
「これは、交信用の魔石のメンテナンスだ」
「交信? 異世界とってことか?」
「ああ」
そんな物があったのか。知らなかった。暇そうなんて思って悪かった。口に出していなくてよかった。
「交信用といっても此方の世界の携帯電話とは違い、ただ此方から合図を飛ばすだけの物だがな」
「合図?」
「此方の合図に合わせて向こうが門を開く。合わせて俺達が開いた次元の隙間から転移をするという流れだ」
「なーほど」
よう分からん。元々剣と魔法の異世界で育った俺も魔法知識は大して無い。何をしろと言われても従うしか無いのだからそれでもいいけれど。馬鹿は頭の良い奴の言うことにそういうものだと無理くり納得して受け入れるしかないのだ。
「んじゃあ、その石が磨き終わったら晴れて異世界転移をするって流れか?」
「他にも準備はあるが、諸々含めて……そうだな、来週くらいには整うだろう」
「はー」
つまり、俺がこの世界にいれるのは後一週間程度らしい。突然というか、意外と猶予があるというか、いざ目の前にしてみるとなんとも気が重くなるものだ。
多分遠足前に突然行きたくないと主張する子供はこういう感情なのだろう。残念ながら我らが嚶鳴高校では一年次に遠足やそれに準ずるカリキュラムは存在しないから経験は無いけれど。
そういうのは……そうか、二年の二学期からだ。何かと騒がしく、楽しみなイベントではあったがそれも参加できないかもしれないということになるのか。
「それはちと、惜しいかもな」
「コウ?」
「……いや」
ただ、だからとて、今更あの世界に帰るという決心が揺らぐことは無い。
「分かった。そのときが来たら、連絡してくれ」
「……ああ」
歯切れの悪い返事。どこか気まずいように表情を歪めるブラッドに思わず苦笑してしまう。
「なんからしくないな。お前が遠慮してどうすんだよ」
「遠慮?」
「顔に書いてあるぞ、申し訳ないって」
「……俺がお前にそんなこと思うものか」
「くくく、そうだな。お前は俺を裏切って殺そうとしたんだしな」
「う……」
「あっはっはっ! なんだよ、その顔!」
「うぐっ、げほっ!」
バンバンと音が響くくらい背中を叩いてやると、ブラッドが面白いくらいにうめいた。
若干目に涙を浮かべて睨んでくる。らしくない反応だ。
この世界でブラッドも変わったということだろう。らしくはないが、悪くも無い。
「……痛い」
「裏切られた俺の心の痛みはもっと、もおっと深いけれどな」
「それは……」
「ま、冗談だ。傷はとっくに癒えた……ってか」
当時の俺が痛みを感じていたかどうかは怪しいが。
「ブラックジョークはこれくらいに、問題はこれからなんだよな。どうやって皆に別れを告げるべきか」
「別れ、か」
「思えば初めての経験かもしれない。記憶はかなり朧気だが最初もいきなり、戻ってくるときも別れの機会なんて無かったからなぁ」
「ああ……ん? コウ、待て、お前記憶が戻ったのか!?」
「ほんの少し、なんとなくな。まあ、今はそれはいいだろ」
「良くないっ! それなら俺のことも……!」
「お前のこと?」
「……いや、なんでもない」
珍しく興奮に頬を上気させるブラッドを不思議に思いつつ、しかし具体的な疑問を抱くほどにはならなかった。
「磨かなくていいの、それ」
「……磨くさ」
ムスッと少し苛立ったように口を尖らせ、止めていた手を再び動かすブラッド。推定俺より10個上のアラサーのくせして可愛らしい仕草をしなさるものだ。
「しかし、一週間か……なあ、お前ならちゃんと別れるのと、いきなり居なくなるの、どっちがマシだ?」
「いきなりだな」
「いや、何となく考えていたことだけど、いざ一週間後にここを去るって思うとそういうこと考えなきゃって思ってさ。転校生の気分ってこんなんなのかな」
「それなら……ちゃんと別れた方がいいだろう」
僅かに考える間を置き、ブラッドはそう答えた。
「そっか。俺はいきなり居なくなる派なんだよなぁ」
俺がそう正直に返すと、ブラッドは呆れるように溜息を吐いた。
まあ、俺もそれでいいと心から思うわけでは無い。けれど、だからとて正直に別れを告げるというのもあまり現実的には考えられなかった。