第78話 面影
「たく、香月にも困ったもんだ。俺なんかを標的にして何が楽しいんだか」
卓上旅行部の部室から抜け出てのトイレを済まし、一人愚痴りながら部室棟を歩く。あの騒がしさに慣れていたのか一人だと妙に静かに感じた。
「鋼さんっ」
「お、綾瀬妹」
「光です。ひ・か・り」
「す、すみません光さん……」
こちらに歩いてきた光と合流し早速怒られた。
しかし呼び方一つに拘りすぎじゃなかろうか。俺なんて椚木でも鋼でも、ゴミでもウジムシでもバカイヌでもブタゴリラでもいいのに。
「んで、光ちゃんはどうしたんだ? 気まずくて逃げてきたか」
「何も気まずくなんて無いですけど……その、私も……で」
ぼそぼそと早口で言う光。
あっ、ふーん。紳士の椚木鋼くんはその態度から余裕で察しましたよ。まあ、こちら方面に来ていた時点でそうじゃないかと思ってましたけどね。
「便所か」
「普通口にしますか!?」
怒られた。なんだよ、口に出しただけで……って確かに言い方に配慮が無かったかも。紳士の称号は返納しよう。
「ごめんごめん、お手洗いだった。いや、お花摘みの方がいいのか?」
「言い方の問題じゃないですよ! まったくもう……ちょっと来てください」
光に引っ張られトイレのある方へ。何か暴力でも振るわれるのかとビクビクしていた僕だが、光はトイレの前で手を離し、
「これでよし……少し待っていてくださいっ」
制服のリボンで俺の腕を手すりに固定しトイレに入っていった。
……ナニコレ。なんで俺固定されてんの?
だが拘束については素人丸出しだな。ただ責められることでもない。今時拘束なんてするのは警察かSMクラブのS担当くらいなものだ。光に手際良く出来たら色々と疑う必要が出てくる。
光の今回の拘束について一番の問題点は俺の手を片方、右手しか拘束しなかったことだ。つまりフリーの左手で簡単に剥がせるワケダ……ワケ……ワ……結構固いなオイ!?
言い訳かもだけど俺右利きなんだよ。こう右手を封じられて左手で拘束解くなんてのはあまり慣れてないっていうか……拘束されても千切ってた脳筋タイプだったし正統派な縄解きは、その、意外と焦るもんだ。ここを、こうして、こうこうこう……こうっ!
「やっぱり逃げようとしてましたね」
「げっ、綾瀬光っ!」
「げとはなんですか、げとは」
思ったよりも手間取り、抜ける前に光が出てきてしまった。ミッションフェイルド。
最早細かいリアクションでさえ見逃してくれなくなった彼女はじとっと俺を睨んで来ていたが、やがて諦めたかのように深く溜め息を吐いた。少し悲しげな顔をしながら。
「鋼さん、私のこと嫌いですよね」
思わず変な声が出そうになる。確かにリアクションを振り返るとそう取られてもおかしくないかもしれない。いつも通りと言えばいつも通りなんだけど。
だが、よくよく考えずとも彼女のこの変化は僥倖かもしれない。嫌いだと思わせ、認めればそれで俺達の関係性には決着がつく。そもそも親友モブなんてものはヒロインからは毛嫌いされてなんぼみたいなところもある。
光は一度は記憶を消してまで遠ざけ、しかし記憶を奪ってもなお、またこうして傍に来てしまった。
もしも彼女が、あの身体にハンデを持ちながらも優しく、健気なあの少女の生まれ変わりであるのなら、彼女の行動力や今優等生として周囲から高い評価を受けていることは素直に嬉しい。
けれど、なればこそ俺は彼女に関わるべきでないというのは何度も思考したことだ。そして、いよいよ彼女を遠ざけるチャンスが目の前に来ている。一度は記憶さえ奪ったのだ。今更日和ることなど許されはしない。
言え、言ってしまえ椚木鋼。俺はお前が嫌いだと。お節介はやめてくれと。彼女は傷付くだろう。だが、それが俺という呪縛から解放され、彼女が救われる結果に繋がるはずだ。
「俺は……」
口を開く。一度は傷つけたんだ。中途半端な優しさでは誰も救われない。だから……、
だけど、
「そんなこと、無い」
口から出たのはそんな最低の本心だった。
僅かに貯めた分、言葉には真剣みが出てしまう。当然後から止めることなど出来ず、光の脳は俺の言葉を認識した。軌道修正は不可能だろう。
「その、少し話していきませんか? まだ、お昼休みもありますし」
光からのどこか固いその提案に俺は頷いて答えた。丁度近くに、どこかの部が設置したのだろう、室内ながらベンチがあったので並んで座る。いつぞやを思い出す構図だ。
「……すみませんでした。変なことを聞いてしまって」
「いや」
「私、後悔したくないんです」
ポツリと呟く。
「生まれたときからずっとそう思ってきました。人生は一度きり……けれど私には別の自分の記憶があるんです。うっすらと、ですが……多分、前世というのだと思います」
「前世……」
「はい。笑わないでくださいね? 他の誰にも、両親や兄にも話したことはないんです」
笑わない。というか正直驚いている。今の光に、うっすらというのがどれくらいかは分からないが、最低でも前世があると認知出来ているというのは十分普通のことではない。
「私が変なんだと思います。それこそ他の人の頭の中は見れないので、実際は分かりませんが、普通ならもっとオープンに情報も出ているでしょうから」
「まあ、俺も前世は分からないな。よっぽど……」
業を積まなければこんな事にはならないと思うが。
「よっぽど?」
「……なんでもない。けれど、どうして前世があることが後悔無く~なんて考えに繋がるんだ? デリカシーが無い言い方かもしれないけど、前世があるってことは人生一度きりでないかもしれないってことだろ」
「それは……」
光は顔を俯かせ、僅かに思考する。まるで自分自身に問いかけるように。
「前の私は、恋をしていて、けれど叶えることが出来なかったから……」
「叶、える」
「あの人を、守りたいという願いを」
守りたい。
それを、彼女が、レイが?
「その想いは今も私の中に確かにあります。原動力と言っても過言ではありません。昔の私はとても弱くて、守ってもらってばかりだったけれど」
違う。俺は守れなかったんだ。
俺がもっと強ければ、空想のヒーローみたいに何も無くさず何にも負けない、そんな存在なら、彼女の魂を別の世界まで彷徨わせることなんて無かっただろうに。
「けれど、今度は私が守れるようにって頑張ってきたんです。印象ばかりでその方がどなたなのか、そもそも今私たちが過ごしている世界のことなのかも曖昧ですが……でもいつか大切な人と出会えたときに今度は支えられるようにって」
そう言って光ははにかんだ。
すこし控えめに笑うその姿はやはり彼女に酷似していて、思わず彼女の頭に手を伸ばし、
「やあ、光ちゃん」
突然、廊下に響いた声に強制停止させられた。
危ない、今俺は光の頭を撫でようとしていたのか?
ありえない、そんなのはラブコメ主人公の特権であって日常でやったらただの気持ち悪いナルシストだ。セクハラで停学もあり得る。有り得ない?
とにかく、我に帰してくれた声の主に感謝……だがこの声、どこかで聞いたことがあるような、無いような。
「村田先輩……?」
ムラ太……村田? ああ、村田。村田君。
同学年、生徒会、イケメンの村田君。
しかしなぜこんなところに?
「光ちゃんがこっちの方に来たって聞いてね。来てみたんだけど見つけれて良かったよ」
「生徒会の用件ですか? それなら放課後とか、急ぎならメールしてくだされば」
「ううん、私用、かな」
恥ずかしげに首に手を添える村田君。なんだろうこの会話。違和感がある。言葉にはし難い何かが。
「光ちゃん、少しいいかな?」
光が、えっと小さく喉を鳴らした。明らかな拒否感によるものか、視線を彷徨わせ断る言い訳を探す仕草の後、
「あの、今、先輩と話してて……」
物凄く控え目に、俺を口実に使った。
……そこまで申し訳なさげに巻き込まれると俺もツッコミづらい。
と、ここで村田君と初めて目が合った。軽く会釈するが向こうはそれも無し。
「少し外して貰えるかな」
無遠慮な物言いに、思わず顔をしかめる。
「えっと、話してたんすけど」
「それは後にしてよ」
イラッとくる言い方だ。
どうやら、彼はそれなりに無礼、いや自分の中でランク付けした格下の相手はぞんざいに扱うタイプらしい。そして俺は格下みたいだ。
昨日出会った諸住君との違いはそこか。彼は芝居だったし実際はいい人(いい意味で)だったので無礼そうでもそのオーラがあったが、村田君の場合は素でやってる。
これはまずい。俺の頭の中で警鐘が鳴った。
「君がどこか行かないならいいよ。こっちが移動するから。行こう光ちゃん」
「おいっ」
「何? どこの誰か知らないけれど、あまりしつこくするのはどうかと思うよ」
そう、見下すように笑う村田君。
まずい、こいつはまずい。俺はこいつに関わるべきじゃないかもしれない。
思わず立ち竦む俺に、村田君に腕を掴まれた光が叫ぶ。
「椚木さんっ!」
「くぬぎ……? ああ、どこかで見たかもと思えば金曜日に会長と香月君の勝負を邪魔した人か」
蓮華と香月の邪魔? なるほど、周りの認識はそういう感じになってんのか。
「邪魔って、何言ってるんですか、村田先輩!」
「僕も全部見ていたわけじゃないけれど、写真部の子がぼやいてたよ。会長と香月君の間にいつまでも君がいるせいでいい写真が撮れないって。そのあげく会長を巻き込んで転倒するなんて、よく今日学校来れたと感心するよ」
うわ、コイツ。
ペラペラと嫌みを言ってくる村田君に疑惑が確信に変わる。間違いない、彼は。彼は本物の……
「村田先輩! 鋼さんに失礼です!」
「光ちゃんは優しいね。けれど、だから彼みたいなのを勘違いさせてしまうんだ。椚木君だったかな、会長達に接触して自分が大きくなったと思い込んでいるみたいだけれど、あまり勘違いしない方がいい。光ちゃんが言えないだろうから代わりに言うけれど、彼女も迷惑しているんだ。言い方は辛辣かもしれないが、身の程は弁えるべきだよ」
村田君はミジンコを見るように俺にそう吐き捨てる。そして、彼は見ていないが光、彼女は明らかにその目に怒りの感情を浮かべていた。
ああ、村田君、彼は本物だ。彼は本物の……敵役モブだったのだ。
ありがたいことにまた一つレビューを頂きました!
嬉しくて五度見くらいしてます。
本当にありがとうございます。これからも頑張ります!
そして、ここでのお知らせを忘れていましたが、短編をひとつ、しれっと元旦に投稿しています。よくある恋愛もの練習作です!
よろしければご覧ください。
そしてそしてそして、お気付きの方も多いでしょうが、なんとこの話で!
総文字数333,333文字丁度達成です! 調整結構苦労しました。
誤字脱字修正などで変化するかもなので記念にスクショでもどうぞ!