第77話 お願い
ざわざわと廊下が騒がしい。
一体何が……と思うまでもなくその原因は俺たち、いや、俺以外の俺たちだ。うん、もう俺関係ないよね。
どうやら校内全体が例のニュースの影響で普段以上に色めき立っているご様子。
文句無しの美少女である綾瀬光、桐生鏡花。ある層には需要のありそうな好木幽、イケメン主人公な綾瀬快人……飢えた紳士淑女らにとっては眩しく映っていることだろう。
「あ、あの、綾瀬光さん! 今、いいですか!?」
「す、すみません。これからお昼で……」
早速光が声を掛けられている。他の面々にも、それぞれが声をかけようと生徒同士で牽制し合っているらしく、全く落ち着かない……だろう。俺? 俺はあまり影響無いしよくわかんない。
「人気者は大変だなぁ」
「そうですね~」
「うおっ、香月!?」
「どうもです、A先輩」
注目の人気株達から数歩離れてのんびり歩いているといきなり香月に声を掛けられた。神出鬼没に定評のある陸上部のエースだ。
「お前は……暇そうだな」
「元々私は男子に好まれるタイプではありませんからね~」
「んなことないだろ。モテると俺は聞いている」
「確かに以前は声を掛けられることも多かったですが、私より速い方にしか興味がないとお伝えしていたら結構静かになりましたよ?」
うわぁ~……そりゃあ無理だわ。そんなの最早人じゃねぇもん。
「というわけで先輩。私も同席していいですか?」
「同席って、昼飯?」
「はい。光さんと幽さんとももっと仲良くなりたいですし」
「……あの二人には走らせるなよ」
「先輩、私を何だと思っているんですか?」
ランジャンキーです。などと言ったら喜びそうだから口にはしないが。
まあいい。こいつも分別は弁えているだろう。弁えている、よね?
「しかし、この調子じゃいつになれば昼飯食えるか分かったもんじゃないけどな」
見ると人集りが増えている。声を掛けられたら断っているものの足取りは思わしくない。
「それなら先輩、私いい場所知っていますよ」
そう香月が無邪気な笑みを浮かべた。
◇
「どうぞ~」
香月に連れられて来たのは部室棟の一室、あまり使われていない雰囲気の部屋だった。長テーブル二つをくっつけ、その周りにパイプ椅子を置いた程度のもので、物も少ない。
「はぁ……はぁ……ここは?」
「卓上旅行部の部室です。所属人数は4人で部活申請ギリギリですが、全員幽霊部員なので実質0人です」
「闇深いな……」
香月の全力ラン(香月的には全力には程遠いだろうが)に引っ張られ、一行は皆息を荒くしていた。おかげで追っ手を振り切れたわけだが。
「そろそろ降りろ」
「ま、乗り心地は悪くなかったですよ」
偉そうなことを言って背から飛び降りるゆうた。こいつ、早々に遅れて仕方なく拾ってやったのに御礼もない。これが非情なレースだったら早々に切り離して、登りで100人抜くのを強制していたところだ。
しっかり走らされた光と鏡花がじと目を彼女に向けるのもわかるよ。弁当は僕が全部持ちましたけどねぇ!
「でも怜南はどうして卓上旅行部に?」
「実は大学に入ったら長期休みを利用して世界中を徒歩旅行したいなーと思っていまして。その勉強で兼部しているんです。陸上部の方が忙しくて殆ど来れてないですが。ああ、皆さん遠慮なさらず。他の人はあまり来ませんからどうぞくつろいでください」
おい、さらっと凄いことを言ったぞ。世界中を徒歩旅行?
各々それが引っかかっているのだろう。それぞれ座り弁当を広げつつも、香月にちらちら視線を向けていた。
「あ、鋼さん。お弁当どうぞ」
「あ、ああ。悪いな光ちゃん」
「……ちゃんは要らないです。どうぞお召し上がりください」
記憶は戻っていない……はずだが、まるで以前のような笑顔を向けてくる光。これがいいことか、悪いことかはもう俺には分からない。
弁当を開けると中は見事な茶色だった。唐揚げ、コロッケ、切り干し大根……朝から手間のかかるものばかりだ。
「なんか悪いな。美味そうだ」
「か、勝手にやったことですから、お気になさら……いえ、お気になさるなら、今度なにか御礼してくださいね」
「……いただきます」
悪戯な笑顔を浮かべて、囁いた光への返答から逃げるように、唐揚げを口につっこんだ。うん、やっぱり美味い。好みの味だ。
「怜南ちゃん、徒歩旅行ってどこに行くです?」
「今考えてるのは砂漠の方かな。走り甲斐がありそうだしね」
「やっぱり走るのね……」
「走るのはいいですよ! 桐生先輩もどうです?」
「わ、私は遠慮しておくわ」
さしもの桐生鏡花さんと云えどランジャンキー香月には押されるらしい。普段すましている分存分にいじめられるといいさ。ふはははは。
「何ニヤニヤしてるのよ」
「しておりません」
おっといけない。標的にされてはたまらん。
「A先輩には他人事ではないですけれどね~」
「は?」
「お願い」
「お願い?」
「金曜日の勝負。何でも一つ聞いていただけるとのことでしたので、先輩に使うことにしました」
「香月さん、何故このタイミングでその話を出すんですかね……いやぁ、ぼくにはさっぱり……」
「私が徒歩旅行をする際は同行してください」
「……え」
悪魔だ……悪魔がいる。
徒歩旅行? 一緒に? なんで、どうしてそんな! 人のやることじゃありませんよっ!
「鋼、約束なら仕方ないね」
「……まあ、頑張って」
「旅行ですか。いいですねー」
「お兄ちゃん、ゆうは温泉でいいですよ」
順に快人、鏡花、光、ドチビ。
彼らは好き勝手言いつつ、しっかりと一線は引いてきている。俺は梯子を外された……。
「一人旅は心細い不安もありましたが、先輩がいるなら安心です~。大学は出席も緩いみたいですし休みも長いですから……三ヶ月はいけますね!」
「それはあまりに長過ぎじゃない!?」
「三日起きて一日睡眠という計算なら沢山回れますよ!」
「どこの冒険王だよ!? 俺時間が足りないなんて言ってないからね!?」
こんなんじゃ俺……大学行きたくなくなっちゃいますよ……!
「なんか、凄いスケールの話だね」
「……それって三ヶ月、二人きりということ?」
「怜南ちゃんと、鋼さんが……でも、それは……」
「これはお土産に期待です。行く国が決まったらちゃんと教えるですよ?」
それぞれがそれぞれ、好き勝手感想を呟いている。くそ、外野は無関係だと思って……!
「待て、香月。冷静になれ。あのレースは出場者全員が命令出来る対象だ。ほら、あれには快人も鏡花も出場してたじゃないか!」
「ちょ、鋼」
「何言ってるの、貴方」
「君達は黙っててくれないかなぁ! ほら、先輩と仲良くなる絶好のチャンスだぞ?」
抵抗を見せる快人、鏡花を香月に売り込む。それがせめてもの抵抗だった。だが、何も突拍子もないことではない。先程香月はこのランチが光やドチビと仲良くなる機会だと言った。つまり、こいつは交流を深め、広げたいのだ。その意欲がある。
快人は元々好意を抱くほどの相手。そして鏡花はこういう機会でも無ければ交流なんて深められないレアキャラだ。香月なら何を優先すべきか分かるだろう。ね?
「勿論、分かった上でA先輩を指名しているんですよ~」
「なんでやねん!」
「ん~実際徒歩旅行ってハードじゃないですか。財力的にも毎日ホテルというわけにもいきませんし、時には過酷な環境下でビバークする必要が発生したり」
「どこ行くの想定してんだよ!」
「ビーバー食う? 食べれるですか?」
「幽ちゃん、ビバークだよ。緊急時に野宿すること」
馬鹿な聞き間違いをするゆうたと、甲斐甲斐しく解説する光。このドチビ、成績はいいくせにバカキャラはNGだろ。
「当然体力はいります。けれど何があるか分かりませんし、咄嗟の判断力、知識も必要ですよね。その点はA先輩はクリアされているかと」
「いやいや、何が根拠で言ってんだよ。俺はベース引きこもりだぞ」
「勘です」
「勘かよっ!」
「え~、当たるんですよ? 私の勘」
当たりそうだけれども!
正直別世界の、多分こちらの世界より過酷な場所を徒歩で年単位で旅していたけれども!
「それに先輩が言っていたことですが今最も交流を深めたいと言えばA先輩ですからね」
何故!? っと、口にする前に香月は近寄ってきて、俺の耳元で囁く。
「先輩の底が見てみたいんです。あの夜のことも含めて興味が尽きません」
どこか艶めかしい言葉。唇が度々触れてくる距離でそう言い放った香月はすぐに何事も無かったかのように離れる。
だが、他の面々、特に鏡花と光から飛んでくるどこか俺を責める視線はこれが何事も無かった訳ではないとありありと示していた。というか、何故そんな目を向けられなくちゃいけないんだ。被害者だ、俺は。
「……君ね、軽率な行動はよしたまえよ」
「あはは、そうですね。A先輩、勘違いして告白なんてしてこないでくださいね~?」
「わはは、そう言われなければするところだったよ」
「うふふ」、「げへへ」などとそれぞれ明らかな作り笑いを浮かべて“冗談”を流す俺たち。これで周りが納得するかは知らないが、少なくとも香月はあくまで自身の好奇心に従っており、悪意は含まれていないと読み取れるだけで十分か。
彼女は何か腹の奥底で悪逆たる意思を隠し持っている感じではない。そういう奴は何人も見てきたし、何度も騙され、何度も見破った。その連中より上手く隠し通せる程、香月が悪意を抱くことに慣れているとは到底思えない。
ただ、その方が楽だっただろう。香月はただ情動のままに行動している。ある種、今日の告白ブームの流れを経て、ランチ場所を探している際に接近しこの卓上旅行部へ案内、徒歩旅行の下りから“お願い”を俺に使う流れはまるで脚本が用意されているかのような手際だった。
これを意識してやっていればまだ分かりやすかっただろうが、おそらくこいつは偶然廊下で俺たちを見かけてから全て勘、思いつきでやっていたのだろう。それこそ先程の耳打ちも、ああした方があの夜、ブラッドとのことを周囲に漏らさず、手っ取り早く意志を伝えられると踏んだ、衝動的なものだったに違いない。
この、衝動的、情動に揺り動かされるままという野性的な直感、行動力が他の何よりも厄介なのだが。
「は、はは」
「うぇへへ」
思わず頬を引きつらせる俺に対し、やはり香月は心底楽しげに、俺との作り笑いを浮かべあうというゲームを楽しむように笑顔を浮かべていた。
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システム的にどう見るのがいいのか分からず反映が遅れるかもしれませんが……よろしくです!