第75話 それぞれの想い
「彼はどうしたんですか?」
「賢者タイムというやつでしょう」
トイレから先程の、蓮華と諸住君がいた部屋に戻った後、俺はソファにうつ伏せに転がりながら死んでいた。チーン。生き返らせないでください。
そんな俺を見て好き勝手話しているのは諸住君と冥渡ちゃんである。セバスさんは蓮華を彼女の部屋に連れて行った。なんでも蓮華は想像以上のダメージに今日はもう機能しないだろうとのことだ。もう勝手にしてくれ。
「ああ、さっきトイレに行っていたのはそういう」
「したくてしたくてたまらなかったのでしょうね。なんたってお嬢様のおっぱいを散々堪能され、香りも存分に嗅がれ、そりゃあ辛抱たまりませんよ。恰好付けたくもなりますよ」
「なるほど、若いなぁ。その純粋さが羨ましくなります」
本当に好き勝手言ってやがる、コイツら。
が、反応する気もおきない。もう、起きあがりたくない。このまま溶けて肥料になってしまいたい。そうすればこの矮小な己も少しは社会の役に立てるだろう。
「でもさっきのは格好良かったなぁ。僕が女性だったら惚れてたかも」
嬉しくない。
「まあでも僕はフィアンセがいるから浮気になっちゃうね。ああ、安心して蓮華ちゃんじゃないから」
そのアピールいらない。マジで。
「いやあ、蓮華は渡さないとか、単刀直入に行こうとか、愛してるとか、もう格好良過ぎでしたね。私は女性なのでもう惚れちゃいましたよ」
こいつは馬鹿にしてしかいないし、的確に生傷をえぐってくるし本当に嫌い。冗談抜きで。
「ちなみに私はフィアンセどころか恋人もいない完全フリーなので狙い目です」
ヘー、ソッスカ。じゃあ婚活サイトにでも登録して。
「うーん、起きませんね」
「絶対聞いていますけどね」
「仕方ない。僕もあまり時間がないし、一方的でも話させてもらうね」
そう言ってソファに倒れる俺の上に座る諸住君。ぐえっ。なんだよそのボケ。天然ボケキャラなの?
「僕は諸住栄太……ってさっきも簡単に自己紹介したから繰り返しになっちゃうね」
あはは、と笑う諸住君。うん、いいから退こうね。
「改めて断っておくけれど僕は蓮華ちゃんの婚約者じゃないよ。僕にとって蓮華ちゃんは妹のような子で、そこに恋愛的な感情は生まれたことは無かった。勿論蓮華ちゃんもそうだろうね」
爽やか全開フルマックスで語る諸住君。モテオーラが凄い……怖い……。
「因みにフィアンセというのはどんな方ですか?」
「冥渡さん、それ聞きます? 困ったな……その、父の秘書の娘さんで、その仕事のサポートをされていた方なんです。年は8歳向こうが上で、僕も最初は相手にしてもらえてなかったんですけど、アプローチし続けて、つい昨年、向こうから、ずっと好きだったけれど立場的にも年齢的にも応えられなかった、けれどもう気持ちを抑えられないって逆に告白してくれて……ってアハハ、なんか恥ずかしいなぁ」
「素敵なお話ですね」
ちょっと人の尻の上でそんな惚気話しないでくれる? 思わずキュンキュンしちゃったよ。もっと深堀して聞きたいよ。
「って、僕の話はいいじゃないですか。今は蓮華ちゃんについて……っと、冥渡さん、ずっと立たせているのも悪いですし座ってくださいよ」
「しかしお客様の前ですから……」
「僕は構いませんよ」
「……では」
失礼いたします、と冥渡が腰を掛ける……俺の頭の上に。対面にもソファあるでしょうが!
「おも、い……」
「あ、喋った」
「いえ、とても女性に向けるべき言葉ではないのでノーカンです」
「あはは、そうですね」
何故か納得する諸住君。もうよくわかんねぇよ……。
「じゃあこのまま続けるよ、鋼くん」
退く、退かすという選択肢は無いの?
「僕が今日呼ばれたのはね、一芝居打ってほしいという蓮華ちゃんからのお願いを受けてだったんだ。いやあ、驚いたよ、なんでまた突然婚約者のフリなんてってね。けれど可愛い妹からの頼みだったし、あやめさん……あ、僕の婚約者も蓮華ちゃんを知っていて、是非に協力をと言われればもう断る理由は無かったよ」
どうでもいいけれど、あやめさんとお嫁さんって響き似てるね。
「あやめさんとお嫁さんって響き似てますね……あ、すみません、つい。続きをどうぞ」
俺喋った? と思ったら冥渡だった。同じこと考えないで。
「丁度日本にも来ていたから都合も良かったし。それで如何にもなボンボンって感じの演技をして、それを煙たがる蓮華が恋人役に君を立てるという構図にしたわけ」
ふふっと思い出すように諸住君が笑う。
「それにしてもあの蓮華ちゃんがねぇ」
「あの蓮華ちゃん?」
「ああ、いえ。子供の頃から見ているから、ですかね。あの子が普通に恋に悩んでいるというのは新鮮で」
恋とか簡単に言うな。
「あの子は才能や家柄、何より彼女自身が研鑽を重ねて培ったその能力から完璧人に見られがちですが、実際は漫画やアニメが好きな真面目で純粋な普通の可愛らしい女の子なんです。そんな彼女が嘘を付いてでも気を引きたいと思える人がいるなんて、兄としては喜ばずには居られないでしょう? 勿論変な奴だったら無理矢理にでも離したでしょうけれど」
「鋼様は変な方ですけれどね」
「ははっ、確かに」
確かにじゃねぇよ。
「蓮華ちゃんは、彼に選んで貰えなくてもいい。けれど、このままもつらいからって。鋼くんは不器用で、ひねくれ者で、面倒くさくて……優しいって、そんなことを言っていたよ」
……。
「だから、悩ませてしまうかもしれない。苦しめてしまうかもしれない。けれど、それでも、自分という、鋼くんを愛している人がいる、ということを覚えていて欲しい……って」
諸住君はそう、少し嬉しそうな声色で語った。
「ねえ、鋼くん。聞いていいかな。どうして、僕と蓮華ちゃんが婚約者のような間柄でないと分かったんだい? 蓮華ちゃんは僕のことは話してないって言っていたのに」
俺を圧迫していた2人が退いた。俺は軽くなった体を上げ、諸住君を見る。
「蓮華は、本当に婚約者がいたなら隠しておけるやつじゃない。あいつは器用だけれど……不器用だから」
「……はは。これは本当に野暮だったかもね」
「そうでもないですよ。芝居をしてまで俺を試したっていうのは驚きましたし……」
彼女らしからぬ穴だらけの強攻策。もしかしたら、俺が近々……というのを悟られているのかもしれない。
「じゃあ、最後に一つ。鋼くん、蓮華ちゃんと恋人になって、いつかは結婚したいと思ってる?」
随分と嫌な質問だ。流石は蓮華の兄貴分と言うべきか。彼も俺について何かを感じ取っているのだろう。
けれども、その真剣な眼差しに誤魔化すということはとても出来なかった。
「俺には……自分が分からない。ガキっぽいですけど、友情的な好きと、恋愛的な好きと、その違いが。だから愛しているなんて言ってもそれが本当にそういう意味で成立するかは分からない。我ながら最低なことに、彼女に向ける感情に似たものを抱く相手は他にもいるかもしれない」
俺は小さく息を切り、笑った。その俺の顔を見て僅かに表情を歪めた諸住君と、僅かに目を伏せてこちらを見る冥渡の反応を見ると、きっとちゃんと笑えてなかったんだろうけれど。
「蓮華は大事です。愛しているって言葉に嘘は無いんだと思います。だから……俺は、やっぱり、彼女のそばにいるべきではないんです」
俺の近くにいて不幸になった、してしまった人達が消えない。記憶から消したい、忘れたいと思っていたはずなのに。
けれど、かつての仲間であるブラッドと再会して、分かった。
俺は、忘れたいなんて言いながら本当は忘れたくないんだ。消してしまいたくないんだ。彼を。彼女を。
たとえ彼らを失ったことが、新しい道を選ぶことが出来ないほどの傷痕を遺していたとしても。
だから、俺は……。
◇
「ここまでで宜しいですか?」
「おう」
冥渡に送られ、地上に出る。空は夕焼けで紅く染まっていた。結局蓮華とはあれきりで契約時間内でもあるが解散になった。
蓮華が考えて部屋に籠もっているかは分からない。三択、いや二択……まあ、絞りきれないのなら何を言っても同じだ。
「なあ、冥渡。蓮華は、俺があいつを嫌いと言う度にどう思ってたのかな」
その疑問は殆ど何も考えず無意識に近い状態で出てきた弱音だったのかもしれない。どっちつかずの自分を自覚してなお、どっちつかずでいてもいいのかという、弱音が。
「残念ながら、私には分かりません」
「……そっか」
冥渡の返答に特に返すことなく、話を打ち切って大きく伸びをする。ああ、気持ちいい。
「鋼様は」
「ん?」
「私を恨んでいないのですか」
振り向く。冥渡は普段の無表情や明らかに作った表情とは違う、鋭く冷えた目を此方に向けていた。それが妙に凛々しくて、なんだか可笑しい。
「私が現れなければ、鋼様とお嬢様は今もきっと……」
「さあ……どうだろ」
確かに冥渡の言うとおり、彼女が現れなかったら、今も俺はあの家で暮らしていたかもしれない。それはきっと穏やかで愛おしい時間を生んでくれたことだろう。
けれど、実際は違う。現実には俺はあの家を出て、快人達に出会うこととなった。
「恨まれてるって思うか?」
「……」
「いや、思われたいのかな」
はっと、冥渡が目を見開く。そんな彼女を見て俺は少し口角を上げた。
「やっぱ、似てるのかもな……」
「え?」
「いや……、もしもお前が恨まれてるって思うなら、それがつらいなら、蓮華を守ってやってくれよ」
「守る……」
噛みしめるように冥渡が繰り返す。彼女の見せる人間らしい姿に嬉しくなる。
彼女は似ている。関心や執着を抱かず、抱けずどんな嘘や冗談も口に出来てしまう。自分を持てずにいる。
唯一俺に対してのみ、それでもたまに感情が籠もるのは俺に対しては少なからず関心や執着のようなものがあるのだろう。ならば、それを膨らまして行けばいい。
俺が、そうしたみたいに。
だから俺はお節介にも笑いかけた。
「冥渡、考えろよ。俺だっていつも考えてる。何が正解なのかとか、どうすれば変われるかとか」
残念ながら間違えてばかりだが、それでも無駄じゃない。考えた時間を、間違えた答えを、傷付けた人達を、無駄にしてはいけないんだ。
「俺もお前もまだ道半ばだ。まだ何も終わってない。歩き続ければ何か見つかるだろ、きっと。それに、もしも間違えたらセバスさんや他の使用人の仲間達……それに蓮華が見つけて、また道に戻してくれる筈だ」
俺の言葉を間抜けに小さく口を開けながら聞いていた冥渡だが、
「……なんだか、随分説教臭いですね」
そう言って笑った。俺よりも少し年上なのに、まるで小さな子どもみたいに、けれど何か込み上げてくるものを堪えるように、心から笑った。
「でも、不思議な気分です。……そうですね、考えてみます。私なりにですが」
「ああ……ちゃんと答えを出せよ。それまでは逃げることは許さない。お前は俺の専属メイドなんだろ?」
「あ……」
「それじゃあな」
「はい……また」
最後、冥渡の声は僅かに震えていた。ひょっとしたら彼女は涙を流しているのかもしれない。それはとても貴重なシーンだっただろうが、背を向けてしまえばもう見えるわけもない。
ただ、いつか珍しくも何ともなく、彼女も泣いて、笑えるようになる筈だ。ならその時までお楽しみは取っておこう。
そんなことを思い、やけに火照った頬に手を当て冷ましながら、俺は帰路についた。
くぅ~疲れました!
次回からはまた日常編になるかなと思います。(ストックあり)
が、鋼くんが蓮華ちゃん達に拾われてからの回想も書くならこのタイミングなんだよなぁ……と悩んでます(ストックなし)