第74話 異世界転移マンは尿意とともに
※若干下品なお話になりますので、苦手な人はこれを機に好きになってください。
人間の三大欲求。
食欲、睡眠欲、性欲。
しかし、“これ”の前ではそれらはただの雑兵に過ぎない。
此、即ち、尿意。
人が日常的に行いながらもあたかもそれ自体が意志を持っているかのように表現される、尿意こそ、人類の最大の敵だった……?
もしも、巌流島の戦いで武蔵が尿意を催していたら勝者は佐々木小次郎だったかもしれない。
もしも、本能寺の変で織田信長が尿意を催していたら火を消せていたかもしれない。
もしも、藤原道長が尿意を催していたら「尿意をば 我が世とぞ思ふ 望月の かけたることもなしと思へば」と歌ったかもしれない。
歴史の陰に尿意有り。いや、尿意が無かったから今がある……? つまり、偉人達はおしっこなんてしなかった可能性が微レ存……?
「鋼?」
「はっ!」
蓮華の声に意識を取り戻す。危うく尿意に全てを持ってかれるところだった。
「鋼、自己紹介をして」
「へ、あ、はい、椚木、鋼です」
促されるまま名乗った。
意外なことに俺の腕に押し付けられた蓮華の胸も、蓮華とその婚約者だという諸住君に挟まれている謎の状況も、蓮華のボーイフレンドと紹介された設定も気にならなかった。
トイレ。ただ、トイレだけを求めていた。
そして、俺の長き戦いの中で研ぎ澄まされた感覚が囁く。この状況、今俺が求められている役割を全うすることがトイレへ繋がる最善手だと。
急がば回れとはよく言ったものだ。ここでトイレに行きたいというのは悪手。蓮華もグルならば、尿意ありきでこの部屋に誘導された俺をみすみす逃がすわけが無い。
『私のボーイフレンドがおしっこを漏らすわけがない』とライトノベルのタイトルみたいな謎設定を押し付けられ却下される未来が見えるぜ……今の俺の状態ならトイレを却下という宣告を受けるだけでヤバい気がする。病は気からとも言うし、そうだ、私が耐えればそれでいいんだ……。
「僕は諸住栄太。彼女のお兄さんみたいなものかな」
「はあ」
声を漏らすのでさえキツい。体が尿で出来ているかのように、うねりを上げ、全身に痛みを撒き散らす。
蓮華と諸住君が何かを話しているのは分かった。ただ、音が消え、自分の荒くなっていく息遣いばかりが頭の中を支配する。
ーートイレに行きたい。
それだけが今の俺の全てだった。
しかし、ふと思う。それでいいのかと。
尿意なぞに支配されたままでいいのかと。そりゃあ俺は脇役であらんと心掛けている。決して強くはなく、キラキラ族に簡単に蹂躙されるようなか弱い存在だ。
けれども、
けれども、自分にまで負けることは是としない。ここでトイレに行きたいと思うことは即ち、既に尿意に負けているということなんじゃないか? 漏らしておらずとも心が既に尿意に敗北しているからこれほどまでにトイレを求めるのだ。
ならば、そんなことは認めるわけにはいかない。
手に入らないものに手を伸ばす虚しさは知っている。だが俺は、ただ伸ばして終わりじゃない、届かないのなら別のやり方を常に模索してきた筈だ。間違いだらけの、愚者そのものの人生を歩んでいるとしても、それでも俺は、諦めてはいけないんだ。
血が冷えていく。心が冷えていく。思考が、意識が、感情が研ぎ澄まされていく。
尿意を我慢しすぎて痛みが腹の辺りまでせり上がってきたが、構わない。痛みなら慣れている。痛みから逃げるんじゃない、痛みを当たり前のものだと、自分の一部だと受け入れるんだ。
かつての自分がそうだったように。
「しかし、物静かだね、彼は」
「クールなところがまたいいんですのよ?」
声が聞こえてきた。蓮華と諸住のものだ。
「ん?」
諸住が俺を見て怪訝そうに顔をしかめた。
「どうされました? ……鋼?」
そんな諸住を見て蓮華が俺を見て、固まる。それどころか、顔をどんどんと紅潮させていく。目を潤ませ、生唾を飲む。そんな彼女らしからぬ態度を横目で見つつ、それでも俺は極めて冷静だった。
懐かしい感覚だ。しかし、こうなってみると違和感は無い。たとえここが、今まで慣れ親しんだ戦場でなくとも変わらない。手段が力でないというだけだ。俺は今のこの場で与えられた役割を果たせばいい。
「諸住」
「ははっ、口を開いたかと思えばいきなり呼び捨てかい?」
笑いながらもどこか棘のある返しをしてくる諸住を睨み付け、俺は力の抜けていた蓮華の腕から自分の腕を引き抜いた。そして、
「あっ、ちょ、こ、鋼!?」
そのまま、蓮華の肩を抱いて身体を引き寄せる。蓮華の身体が傾き、俺の身体に全身もたれ掛かるような形になった。バクバクと波打つ彼女の心臓の動きが俺にまで伝わるようだった。
「蓮華は渡さない」
そう宣言する。
「へぇ……」
諸住はそう、余裕のありそうなリアクションをするが僅かに声は震え、視線はブれ、冷や汗も僅かながらに掻いていた。
「これが本当の君なのかな」
「さあな」
そんなの俺が教えて欲しいくらいだ。
今までの俺が偽物だったとは思わない。けれど、俺の意志に関わらず、根底にあるのが今の俺であるという意味では、確かに本当の俺というのは間違いではない。
「諸住、お前の、いや、お前等の目的は大体読めている」
諸住が眉を寄せ、また、腕の中の蓮華が震えた。
「普段なら回りくどいことを言って誤解を生み、面倒な問答をして落とし所を模索するところだが、そうしているほどの余裕もないからな。単刀直入に行こう」
一旦言葉を切り、普段なら決して口にしないその言葉を、俺は躊躇なく紡いだ。
「俺は、彼女を、命蓮寺蓮華を愛している」
「な……」
「ふ、ぇぁ……」
目を丸くする諸住。
そして、やかんみたいに顔を上気させてフリーズする蓮華。本当に爆発するんじゃないかと思えるほどに彼女の心臓が高鳴り、身体も熱い。まさかここまでの反応を返されるとは思っていなかったが。
だが、これがあんたの求めた答えだろ、諸住。いや、あんたらか。
「紛れもない本心だ。それくらい見破れるだろ?」
「……なんか、聞いてた話と違って困惑してるけれど」
「それはコイツも同じだろうさ」
動かなくなり、何かを真っ赤になってつぶやき続けている蓮華をソファに横たわらせ、立ち上がる。
「ねえ、聞いてもいいかな」
「構わない、が、その前に一つ用を済まさせてもらう」
「用?」
先程俺が入ってきた方のドアを開く。鍵は開いていた。開いていなければ強引に破るのも出来たが、余計な魔力の消耗は今後を考えると避けたかったので良かった。
「ああ、鋼様。素敵ですー。惚れ直しちゃいそうですー」
「邪魔だ」
頬に両手を当て恍惚としているようなポーズの冥渡を退け、驚いたように固まっている瀬場に、蓮華を頼むと伝えてから部屋を出た。
廊下を歩き、辿り着いたそこに入り、座って用を済ます。いや、用を足すという方が正しいだろうか。
「ふぅ……」
熱い吐息と共にそれは放たれた。
そして、血が巡り始めたかのように、冷え切っていた頭が熱を取り戻す。抑圧から解放された幸福感と快感を覚えながらも、最も強く浮かんできたのは……羞恥心だった。
「うわあああああああああああああ!!!!」
何やってんだ何言ってんだ俺はあああああああああ!
俺は膝に肘を付き、両手で顔面を押さえながらただただ悶絶し、叫び続けた。現在進行形でお花を摘みながら。
とりあえず一言。座りながら用を足せる便座を発明した人は神。
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