第68話 夜は長いらしい
命蓮寺家は命蓮寺グループ本社の最上階部分に存在する。
そういう意味では馬鹿みたいに広い庭があるみたいなコテコテの豪邸ではない。グループの社長が会社の上に住むのはどうなのだろうと思いはするが、公私無くせわしなく働き続ける公輝さんを見ているとそういうものかと納得をせざるを得なかったりする。
セバスさんを始めとする使用人のみなさんも家というよりグループ全体に属する社員のように思えば分かりやすい。公輝さんではなく、外国人の奥さんの意向によりメイド服、執事服着用が義務付けられた彼らだが意外にも本人たちの満足度は高く、一般社員のモチベーション向上にも貢献しているそうな。確かにメイドさんオア執事さんに茶を入れてもらえれば癒されるということも分からなくない。
という解説を挟んだところで命蓮寺グループのある命蓮寺ビルに到着した。下四階は商業スペース並びに福利厚生施設が入っており、間二十階はオフィススペース、上二階が命蓮寺社長ご家族の住む生活スペースとなっている。改めて見るとすげぇなこれ。
「こうやって見上げてると倒れてきそうな錯覚を覚えますよね」
「そういうことを言われると本当に倒れてきそうだからやめろ」
てっぺんを回ったこともあり灯りの落ちた外観であってもなお威圧感のあるビルだ。こういう巨大なビルはそこらかしこに存在するが中身を知ってるからこそ余計そう感じるのかもしれない。
「正面は閉まっているので裏口から行きましょう」
「なんかお前慣れてるな」
「メイドとして当然の嗜みです」
メイドとして当然でない嗜みを持つお前が何を言う。まあ、研修とかあっただろうしその中で教えられたんだろうけれど、コイツが言えば潜入ルート的な意味で知っていると思ってしまうのもしょうがないよね。
カードキーを通して関係者通用口から中に入り、エレベーターで上がる。無駄に広く静かな場所よりこの小さな個室の落ち着くこと落ち着くこと。
「蓮華はどうしてんのかな」
「もうお休みになられているのでは無いでしょうか」
「そりゃそうだよね」
「ホッとされてますね。チクっちゃいましょうか」
「やめれ」
俺にも落ち着く時間というのが必要だ。それなりに疲れているし眠気もある。
「あふ」
「あらあら、欠伸なんて下品ですよ」
「いやいや欠伸は眠気を抑える動作だから。必要なことだから」
「必要なら人前でやっていいということであればこの世にトイレは必要ございませんね」
「そうだね」
はい、論破ー論破され俺ー
「まあ、リラックスされるのも仕方ないですよね。なんたって一緒にいるのが私ですから。鋼様専属メイドであるこの冥渡冥が最早鋼様と一心同体の身であることは最早否定することあたわずですし」
「寝言は寝て言え」
「すぴぃ……コウサマセンゾクメイドデアル」
「猿芝居やめろ!」
直立したまま寝たふり寝言のふりをする冥渡に思わず突っ込む……が突っ込んだ後になって失敗を悟った。
こいつ、このまま寝たふりさせておけば良かった。
実際、突っ込まれた冥渡はしたり顔で何故かハイタッチを求めてくるしで、うざったいったらありゃしない。
だが、上手い。こいつには我ってものが無い。相手、つまりは俺に合わせて100%意見も主張も変えられる。その知識も技術もある。だから話が合うし弾む。たとえそれによって心の距離というやつに変化が起きないと分かっていても。上手いように彼女に転がされている訳だ。
「ハイタッチーハイタッチー」
「鬱陶しいなマジで!」
冥渡から見れば俺に対する行動はこれが正解なのだろう。ある程度の距離感を持って生産性のないギャグめいたやり取りを繰り返す。互いに歩み寄らず、好き勝手なリーチでジャブを放ち続ける程度の。
だが、にじり寄ってきて、かつハイタッチを求める手を顔に押し付けてくるのは不正解だと思います。
ーーピンポン。
正解音ではなく、エレベーターの到着音が響いた。
「うわっ!」
「きゃー」
冥渡に追い詰められていた俺はエレベーターが開くと同時に背中の壁を失い後ろに倒れた。さり気なく冥渡によって脚払いをされたのも起因する……というかこれが原因だ。ついでに前からも、別に体勢を崩す要素の無かった冥渡に押し倒されるというオマケ付きだ。
専属のくせにご主人様をここまでからかうのはどうなの……って、いやいや! 別にまだ専属って認めてなんていないんだからね!?
「密室のエレベーターで随分とお楽しみみたいですね、鋼」
「……え?」
エレベーターの外に鬼がいる。
金髪碧眼の鬼だ。角度的にそのすんごい双丘によって表情は見えないものの、腹芸は上手いくせに全く感情を隠していない剥き出しの怒気で透けて見えるようだ。
俺は咄嗟に体勢を直し、正座した。ちなみに冥渡も同様である。
「れ、蓮華さん? もう1時ですよ? 寝ないと美容に悪いとかなんとか……ほら明日も用事が、いやもう今日ですけれども」
「そう、今日です」
低音では決してないのだが、やけに地を這い蹲るような、そしてそのままにじり寄って首を絞めてきそうな音色に背筋が延びた。
「勉強会は良かったです。元々鋼は参加しないだろうと思っていましたし、綾瀬君を始め大事な友人であることに変わりはありませんから、交流を深めたという意味では悪いことはございませんでした」
「はい」
「ですが、私は今怒っています。どうしてか分かりますか?」
分かりません。なんで英語の直訳みたいに喋るのかも分かりません。
「1日は約24時間ですが、もう既に1時を回ってますよね?」
「そうですね」
「今日、この日は私にくれると、そう言いましたよね?」
「……言いましたけど」
「なのにもう1時間も無駄になっているじゃないですか!」
「いや、そうだけどそういうこと!?」
確かに約束した。俺は昨日の自由を引き換えに今日の俺を売った……と言えば聞こえは悪いが。蓮華が昨日のことに触れない以上、俺も今日彼女に従う義務がある。それでも精々睡眠時間くらい与えられそうなものだが。
「おお、鋼よ。眠るなんてとんでもない」
「いや睡眠は必要だから。なんなら珍しく疲れから睡眠を欲してるから」
「私は勉強会後、0時直前までしっかり眠りましたから問題無いですね」
「お前の話じゃないし、なんなら寝てるのはズルい!」
「それに、昨日の鋼のことは触れない、知ろうとしない約束ですから、私は何も知りません。だから疲れてるとかも知りません」
拗ねたように唇を尖らす蓮華さん。普段のクールで自信に溢れ大人びた彼女らしからぬ子供っぽい表情……これがギャップ萌えちゃんですかと言うには俺個人はすっかり見慣れたものである。
だが、昨日のことについて言われるともう何も言えない。鏡花とぶらり記憶巡りの旅をしたのもそうだし、命蓮寺家の使用人まで使って大暴れ(物理)をしたことなんてのも、それこそ口が裂けても蓮華には伝えられない。
「……わーったよ」
蓮華には迷惑も心配も散々掛けてきた。これ以上彼女の負担になるわけにもいかない。
そんな俺には睡眠時間をぶっ飛ばして彼女の望みを叶える以外の選択肢は無かった。
「嫌々みたいな顔して、夜更かしして遊ぶなんてよくやったじゃないですか」
「昔はな」
「たった一年半程前のことです。昔というほどの過去にするつもりはありませんし、まだまだ懐かしませたりなんてしませんよ」
蓮華はそう優しく微笑みながらしゃがみこみ、正座する俺と顔をあわせてくる。
「少し、汗臭いですね」
「そりゃあ男の子というのは汗を掻くもんだ。暑い季節だしな」
「では少し時間を上げますから身を清めてきてください」
部屋で待っていますね、と囁き、俺から離れる蓮華。
「冥渡さん」
「はいお嬢様」
「その名前浸透してるのかよ」
「鋼をお願いします。しっかりと目を覚まさせてあげてくださいね」
「はい、私の収めた一子相伝の暗殺術『カタストロフィ』を応用すれば、死の逆、即ち覚醒を促がすことも容易でしょう」
「不穏!」
なんで風呂行って暗殺術使われなきゃあかんねん! 思わず関西弁になっちゃうやねん!
「あ、これは豆知識ですがカタストロフィというのは咄嗟に思いついた名前で本当の名前ではありません。そこだけは嘘です。勘違いしないでよね、もう」
「他のところは嘘じゃないってこと!?」
ことこの場に置いては拒否権が無い僕はツッコミを入れることくらいしか抵抗も許されず、首根っこを掴まれ引き摺られていく。
こうして長い夜が始まるのだった……続く!




