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第65話 イキらずにはいられない

 基礎は大事だ。英語は単語と文法を覚えなきゃ文章は(多分)読めないし、数学だって面倒な計算も突き詰めれば(多分)四則演算の集合体だ。

 殴る、蹴る、剣を振るう。敵意ある相手に相対して立ち回る。その中にも型と呼ばれるような何十年何百年の中で洗練され、かつ継承者達によって更に最適解を突き詰められている基礎が存在する。


 そんな事を改めて考えているのは俺の地獄とも言える訓練の記憶がうっすらとだが脳裏に浮かび上がってきたからだ。

 使命感と嫉妬と日々のストレスと、様々な感情をぶつけられたのは今となってはもういい。俺が傷つけられる程度のことは慣れてしまった……というのもすかしている感じがしてダサいが。


 ともかく、訓練の記憶のお陰で今まで身体に染み着いていた動きを理論からも見直すことが出来た。あの騎士連中、性根は最低最悪だったが腕だけは確かなようだ。改めて自身の動作が理知的で効率的なものに仕上がっていると分かり、面白い。

 当然旅の中で戦いの中で修正され状況にも適応して変化していったわけだが、根本にはしっかりと染み着いている。


ーーじゃあ、ここはこう……


「ひぎゃっ!?」


 動きに少々アレンジを加えて鉄パイプを振るうと、先程よりもロスを減らして威力を上げることが出来た。もう何人目か分からないヤンキーくんが吹っ飛ぶ様を視認しつつ、及び腰ながら突っ込んできた別のヤンキーくんを足払いして転ばす。

 身体のキレがいい。魔力を一切使わず、それでいてこの人数相手に欠伸混じり(実際には欠伸はしていないが気分的に)にあしらえている。


「そうだ! いつものアジトだ、早く来い!」


 薔薇園が電話に向かって叫んでいる。そうか、増援か。先程のヤンキーくんの肩に鉄パイプを叩き込み、改めて工場内を見渡した。

 残っているのは薔薇園と女数名、そして隅で腰を抜かして震えている丸尾。

 立ち回りを始めて早々に出入口前に陣取った、また集会前に裏口に手を加えて開かないようにしていた甲斐があり逃げた者はいなかった、多分。逃げられてもあくまでその場凌ぎにしかならないが。


「あ、これ返す」


 隅で腰を抜かしていたメガネちゃん、もとい丸尾くんに借りていたスマホを投げつけた。


「ひっ、がっ!?」

「あ」


 思ったよりも勢いが付いてしまいスマホは丸尾君の頭にクリーンヒットした。彼は線の細い悲鳴を上げそのまま倒れた。まあ、いいか。


「さて……」


 改めて残る薔薇園、そして女数名に目を向ける。女の中にはあのカフェ店員はいなかった。


「今回の情報源の女は?」


 極めて穏やかを心掛けて声を掛けたが女達は顔を青くし震えるだけ。薔薇園も若干顔が青い。これは……あの手を使うか。


ーー萎縮した相手には余裕と若干の狂気を混ぜて接してやればいい。勝手に悲惨な未来を想像して堕ちてくれるからな。


 かつてブラッドから授かったそんな豆知識を使う日が来るとは。当時は感情表現が下手だったし、回りくどいことをやるくらいなら斬った方が早いとか物騒な思考をしていたからなー、なーんて。

 俺はうっすら笑顔を作り女の一人に近付く。香水の臭いが鼻につく派手な女だ。


「な、何よアンタ!? アタシの身体が目当て!?」

「綺麗だね、爪」


 え、と短い声を漏らす女。何か勘違いも甚だしい発言をしていたけれど無視し、手首を掴み上げる。


「爪」


 もう一度、笑顔のままそう言う。

 女の爪は所謂ネイルアートという装飾が施されていた。殺傷性が高そう、パンが食べづらそう、耳垢をほじくるのに便利そうといった感想しか浮かばないのが自らの心の貧しさを表しているようで悲しい。


「それちょうだいよ」


 笑みを濃くしてゆっくりその手に自らの指を這わせた。

 楽しげな笑みを浮かべていても正直何一つ興味は湧いていない。今も、死ぬほど疲れて帰宅をするとゲリラ的に瀬場さんが我が家に来ていて「またカップ麺ばかり食べて……栄養たっぷりのカレーを作りましたから。ほら、手、洗ってきてください」と優しく言われた時のことを思い出してなんかいる。帰ったら美人がいる、かつこのカレーが死ぬほど美味い、かつ疲れたところで飯の用意をしなくていい……など椚木鋼くんきっての幸せエピソードだ。その日の夜は流石の俺も徹夜で不倫破滅系のまとめ記事を読みあさったね、念の為。


 などと考えて思い出し笑いをしていたのが功を奏したのか、女は身を小刻みに震わせながら涙を流し始めた。「嫌、怖い、助けて、イカレてる」などとぶつぶつ言っていらっしゃる。


「えー、欲しいのになー」


 我ながらガキっぽく気持ちの悪いしゃべり方だがネジの外れたイカレた感じは表現できてると思います。


「じゃあ代わりに桐生……写真の子の情報売った奴のこと教えてよ」

「写真の……あのドレイのこと……?」

「奴隷?」


 随分物騒な言葉だと首を捻りつつ、その一言で何となく関係性は分かった。こういったゲスなグループというのはどの世界にもいるものだと悲しくなる。どんだけ悲しくさせれば気が済むのか。


「あ、ごめんちょっと待ってて」


 視界にあるものが映り、女を離す、そしてこっそり逃げようとしていた薔薇園に駆け寄った。


「ヒィ!?」

「偉い人だけ先に逃げるってそりゃ無いんじゃないすか?」


 と、聞きはしたものの返事は求めず、肩に鉄パイプを叩き込んだ。ごりっと肩が外れる感触がした。


「があああああああ!?」


 悲鳴を上げてうずくまる薔薇園。うるさい。

 ちなみに他の死体(生きている)は静かなものだ。というのも意図的にダメージよりも意識を飛ばすことを優先したからだ。鉄パイプ先輩で脇腹を打ち痛みで意識を飛ばさせる「壁ドン」、または漫画とかで強キャラがよくやる首をトンっと叩くことで意識を飛ばす首トン……は俺には出来ないので勢いを強めて首に手刀を喰らわせ脳を揺らし意識を奪う「首ドン」のコンビネーションで対応した。

 恐らく打ち身くらいはあると思うけれど骨が折れたりは無いだろう。俺が殴った証みたいなのは極力少なくしたいもの、気持ち悪いし。

 後遺症? たぶんないんじゃない、知らんけど。そんなことは俺の管轄外ですし。


 叫ぶのに疲れたのか、うずくまったまま痛みに泣き出した薔薇園を見届け再び女のところへ。先程より怯えられている。


「で、奴隷って?」


 女達は助けてだの、許してだの要領の得ない命乞いしかしなかったので、鉄パイプ先輩を思いっ切り床に叩きつけへし折って見せると途端ペラペラと喋り出した。

 なんでも、あのカフェの店員は彼らにカモにされているらしい。定期的に金か別のカモの情報を提供しないとイジメられるらしい。それを聞いたときカッとなって殴りそうになったが自制する。イカンイカン、俺の紳士なイメージが崩れてしまう。


「こりゃあもう駄目じゃないの薔薇園ちゃん。棘なんてレベルじゃないよこれ」

「ぐぅ……っ」

「呻いてないでさ」


 怯えたように怒るように弱々しく睨みつけてくる薔薇園にキレそうになるのを必死に堪え、笑みを浮かべる。カレーを思い出せカレーを。


「加害者にも被害者がいるのは考えてなかったな。これも調べて貰うか? うーん……」


 ポケットからこれ見よがしに折りたたんだ紙を取り出し眺める。

 当然薔薇園は訝しげに見てくる。


「ああ、これ? お前の犯罪リスト」


 そう言って書いてあることを読み上げていく。犯罪らしい犯罪が並んだその内容は読んでいるだけで義憤に駆られそうなくらい酷いものだった。ちなみにリストは彼らを撒いた後コンビニでネットプリントしておいた。お金をケチって1ページしか刷ってないがそれでも中々の内容だ。

 これは命蓮寺家の人達にちょっぱやで調べて貰ったものだが、それでもこれだけ集まるならもっと出てくるだろう。


「俺を警察に突き出すつもりか……?」

「いんや」


 そんなつもりは無い。


「ああ、俺からお前等に何かする気は無いよ。勿論抵抗しなければこれ以上傷つけないし、今後も接触したりしない」


 薔薇園はその言葉の意味が汲み取れないようだった。痛みも忘れて呆けている姿はただただイラつかせてくれる。


「警察に捕まったら何年かしたら自由になっちまう。万が一殺したらそれまでだし……そう簡単に終わらせたら勿体ないだろ?」

「ひっ……」

「どこから始めようか。SNSの投稿? ネットの掲示板への書き込み? なんでもいい、少しずつ、最初はお前とは分からない内容で情報をじわじわ出していく。少しずつ大衆を煽って犯人やその情報を特定出来るように追い立ててやる。お前らを追い詰めるのは俺じゃない。この国の善意ってやつだ」


 我ながら陰気なことを思いついたものだし、決して誉められたらことではないのだろう。被害者の中にはこいつらのことを思い出したくない人がいて、情報がチラつくだけでつらいと思うかもしれない。

 ただ、誰にでもいい顔が出来ないなら、俺は誰のためでもなく徹底的にこいつらを潰す。陰湿でもなんでもいい。たとえ豚箱から解放されても決して彼らが許されないように。


「なんつってな……」


 溢れ出んばかりの正義感に苦笑が漏れる。我ながら実に真面目なものだ。これは完全にイキっている。

 女達は絶望したように顔を白くしていた。自分は関係無いと怒鳴らないだけマシか。ビビっているというのもあるだろうけれど。


「ふざけやがって……そんなこと出来るわけがねぇ! 第一てめぇも少しケンカが強いからって調子に乗るんじゃねぇぞ!? てめぇなんかテツさんが来ればなぁ!」

「テツさん?」


 未だにケンカ程度の話と勘違いしているオツムの悪さはさておき、新たな関係者の名前に頬が吊り上がる。


「あの人は負け無しよぉ! その筋の人からも一目置かれる存在だ、お前みたいに甘えたガキ一捻りだぜ!」

「よし、その痛そうな腕千切っちまおう」

「ひぃっ!?」


 冗談なのにビビる薔薇園。イキったり、ビビったりせわしないやつだ。


「本当に来るの?」

「あぁ!?」

「いや、だってさ、結構前に電話してたでしょ。だからこっちもゆっくり暴れて、説明もゆっくりやってたわけよ。早く来てくんないかなってさぁ」


 通して一時間強だろうか。おでこの血も止まっちまうよ。止まってないけど。


「わ、わざわざ待ってたっていうのか!?」

「せっかく向こうから来てくれるならここで潰しといた方が楽だろ」


 というよりも気絶したこいつらの惨状を見て騒がれるのが面倒なだけなのだが、こう言った方がビビるだろう。いっそのこと、このまま小便ちびらせたい。

 案の定キチガイを目の前にしたかのように怯える薔薇園だったが、ちょうどのタイミングで工場の正面口、シャッターがガラガラと開けられた。


「テツさん!?」


 救世主の登場を期待して反射的に目を輝かせて其方を見た薔薇園だったが、すぐさま固まる。

 そんな反応を不思議に思いつつ、俺も其方に目を向けると。


「こんばんは」


 そこにいたのはまるで喪服のように黒く染められたメイド服を着た女性だった。彼女は光の点っていない黒い眼で真っ直ぐに俺達を見る。


「初めましての方もいらっしゃいますね。私はメイドの冥渡冥(めいどめい)。命蓮寺家の使用人の中で唯一の鋼様専属メイドです」


 不穏な空気。あまりによろしくない彼女の雰囲気に薔薇園は飲まれていた。顔色も悪くなっている。だが、それは俺も同じかもしれない。

 どうして彼女がここにという疑問と同時に、やっぱり現れたかという諦念も浮かぶ。


 空洞のように深い闇を感じさせる黒い眼、日本人形のように肩口で切りそろえられた黒髪。背景と溶け合ってまさしく闇のような彼女は淡々と自己紹介をすると、お手本のような笑みを浮かべた。だが、どこか怖い。


 刺激臭が横から漂ってきた。ああ、薔薇園、お前ちびったのか。でもちびりたいのはこっちだ馬鹿野郎。

 あっさり気を失ってくれた薔薇園には興味もないのだろう、彼女は俺を真っ直ぐ見据え、まるで幽鬼のようにゆったりとこちらに歩んでくる。


「ご無沙汰しております、鋼様。ところで今日は月が綺麗な夜ですね」


 そんな、夏目漱石が訳したのはアイラブユーじゃなくてアイキルユーなんじゃないの? と思いたくなる一言を投げかけてきながら。

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