第61話 嵐の前の晴天
遅くなりました。すみません!
何か文句を言いたげだが、自分から付き合っているとおばちゃんに言って調子づかせたことは反省している。
そんな様子の鏡花を引っ張って弁当屋近くの公園にやってきた。適当に歩いた先にこれ幸いと存在した公園であるが、連れてこられた鏡花さんは目を丸くし、
「ここ、知っていたの?」
などと訝しんできた。
宛もなく歩いて偶々見つけた感覚だったがもしかしたらここも身体の覚えている思い出の場所なのかもしれない。
「何となく歩いてたら見つけた」
誤魔化しても見栄を張っても仕方がないので正直に答える。
「その割に真っ直ぐ迷い無く来たみたいだけど?」
「本当だって。別に思い出してるのに黙ってるわけじゃないぞ?」
そんなことをしても仕方が無い。精々鏡花と合法デートが楽しめるくらいだ。そう考えれば騙す価値もあるかもしれないが、彼女は朱染にいい思いが無いようだし、やはりメリットは薄いな、うん。
「とりあえず座ろうぜ。あ、別に候補があるならそこでもいいけど」
「それはいいわ。元々ここに来るつもりだったから」
鏡花はそう言ってベンチに向かう。
公園といっても家族がピクニックを楽しむようなところではない、遊具も小さな砂場と錆びたブランコしか無い空き地のような場所だ。土曜日だというのに人一人いない。
「小さい頃よく遊んだわ。家が近いから大樹が外に出れるときは決まってここだった」
弁当の包装を解きながら、まるで美術館のアナウンスのように淡々と呟く。
「両親は共働き、自炊もしていたけれどさっきの弁当屋もよく利用してた。貴方が居なくなってからは、この公園を見る度に昔を思い出してつらくなったわ」
何度も何度も自戒したのだろう。その言葉を吐いて今更動揺などするわけもないという意志を感じる。それがまた、強く責められている気分にさせる。
鏡花が何を思ってるかは分からない。ただ俺に過去を伝えているだけか、責めているのか。分からないが、それでもパクついている弁当の味が分からないくらいには俺は動揺しているらしい。
「ごめんなさい。責めているわけじゃないの」
「いや」
責めているわけじゃないと否定を自ら口にする時点で、責めを自覚しているということだ。残念ながら俺の失踪が桐生大樹の死、そして桐生鏡花の虐めに関わっていると思うと、流石におちゃらけて誤魔化すことは憚られた。
多分、鏡花は俺を許してくれている。歩み寄って、理解して、受け止めて寄り添おうとしてくれている。それこそ俺の記憶とは違う、失われた過去を取り戻すために。
そんな彼女に俺は何が出来る。何が返せる。
鏡花を受け入れる? まさか、有り得ない。それじゃあまた同じ形で傷付けるだけだ。
俺は、また彼女の前から去らねばならない。それは他の誰でもない、俺自身の為だ。だから、せめてその前に彼女に関わる記憶を思い出し、遺恨を晴らしておければと思っていたのだけれど、それはあくまで希望であり、いくら望んだところでも駄目ならば駄目だ。
「上手くいかないもんだ……」
「何か言った?」
「いや、なんでも」
安いプライドが弱音を押し止める。鏡花には笑顔を向けて誤魔化し、弁当の唐揚げを口に含む。ん?
「うまい」
「今更? もう半分以上食べてるじゃない」
呆れの混じった微笑みを向けられ返答に窮する。
まだ昼飯時を僅かに回った程度だが、鏡花の表情には疲れが見えた。勿論肉体的ではなく、精神的にだろう。
もしかしなくても無理をさせているのかもしれない。いや、させているのだろう。彼女にとってここは愛憎思い出の入り混じる場所で、今彼女が住んでいる明桜町の環境に安らぎを感じていればこそ、この地で感じるのは憎しみが強くなる筈だ。
本人が気にしていない仕草を浮かべていても、今回ここで起きたイベントは結局鏡花の過去を揺り起こすものばかりだ。思わないところが無いわけが無い。
「帰るか?」
思わずそんな言葉が口をつく。
「何言ってるのよ、まだ住んでいた家に……」
「これ以上、お前に迷惑を掛けたくない」
ここまで連れてきておいてどの口が、と思わなくもない。ただ、失敗してもどうリカバリーするかが大事だから。俺の思い出せるかも不確かな記憶に拘るより、鏡花が傷付かないことの方がよっぽど大事だ。
「馬鹿言わないで。だったら、ここに来た意味が」
「それについては本当に返す言葉も無い。申し訳ないと思ってる。埋め合わせも」
する、と安易には言えない。言葉は途中で突っかかり、歯がゆさだけが残った。
「俺が甘かったんだ、ここに来れば何か思い出せるかもなんて確証も無かったのに」
「桐生? ……桐生じゃねーか! ここにいたのか!」
俺と鏡花の肩が跳ねる。
「鏡花」
「ええ」
僅かな合図とアイコンタクトの後、弁当の残りをかっこんで、ガラをビニール袋にいれる。
「じゃあそろそろ行こうか」
「そうね」
「おい、待て! 無視すんな!」
なんか雑音が聞こえるなーと思うと、奴が進行方向に躍り出てきた。
「なんだよ、変態ストーカー君」
鏡花の前に出て、突然現れた畜生、地獄の番犬こと丸尾君を睨む。
前回のトラウマがあるのか「椚木……」なんて神妙に呟きながら後ずさりする番犬。そのままハウス!
「……ん? ここにいたのか?」
妙な言葉だ。丸尾君の運命力が直感させた……というのはあまりに荒唐無稽。現象には必ず理由がある。丸尾君には鏡花が自分のテリトリー、地獄こと朱染にいる確信があったのだ。
見れば彼の額には汗が滲んでいる。息も荒いし、走っていたのかもしれない。気温は高く、相手は変態。
そんな凡な推理をすること自体無駄かもしれないが。警察呼ぶかぁ……
「良かった、まだ無事だったんだな」
「まだ無事?」
変な言い回しだ。
「おい、ストーカー」
「ストっ……なんだよ」
「お前、きょ……桐生がここにいるって誰から聞いたんだ」
「鋼君?」
後ろで「てめぇ、何訳分かんねぇこと言ってんだよ」という感じのニュアンスで鏡花が呟く。
「た、偶々だ」
「偶々? 嘘ついてんじゃねぇぞストーカー。ここにいたのかって言ったってことは桐生がこの辺りに来てることを知っていたってこと。無事だったんだってことは無事じゃない状況が有り得たってことだ。それが偶々で済ますことなのか?」
「いや、それは……」
明らかに挙動不審な態度で丸尾が狼狽える。やはり何か面倒ごとがあるようだ。
「椚木、少しいいか」
「俺?」
「……桐生には聞かせたくない」
「ちょっと、私のこと何でしょう? 蚊帳の外は」
「分かった。鏡花、少し待っていてくれ」
文句を言う鏡花を押し留め、丸尾君に付いていく。文句を言いたげな鏡花だったが、俺の声色から真剣みみたいなものを感じてくれたらしく、それ以上文句を言わずベンチに座った。
さて、丸尾君は何処へ……と思ったが公園の隅に行くとそこにしゃがみ込んだ。所謂ヤンキー座りというやつだ。身体は鏡花に向けて、おそらく彼女の監視もかねて……ではないか、ただただ愛玩動物のように見守っていたいだけだろう。この変態め。
「お前、桐生と付き合ってんのか」
「それ今どうでもいいだろ」
駄犬のように睨みつけてくる丸尾君。正直鬱陶しい。
前回は前回。あのひょうきんな椚木鋼君がデフォルトだとは思って欲しくない。俺も、鏡花も、こいつがストーカーで思い込みが激しく、カッとなればナイフを振り回す危険人物だと知っている。そんな相手に優しく接してやる必要もない。
やらなければいけないことは手短にだ。
「で、どうして桐生のことを知っていた。何となく出所は察しが付くが」
「……グループに写真が回ってきたんだ。桐生がいるって」
やっぱり。回したのはコーヒーショップの女だろう。
実際、丸尾が見せてきたスマホの画面にはコーヒーカップに優雅に口を付ける鏡花の姿が写っていた。
「変態」
「俺じゃねぇ! そりゃあ、すぐさまクラウドに保存したけどよ……」
「気持ちの悪い補足説明はいらない。それで? それだけじゃあ不十分だ」
「不十分……?」
「無事だったんだな、ってやつだ。写真が広まったことが何かあいつの危険に繋がるってことだろ」
「それは……」
明らかに目を逸らす丸尾。
嫌な反応だ。わざわざ危険なんて大袈裟な言葉を使ったのにこいつはそれに違和感を覚えていない。鈍いだけか、本当に危険があるのか。
「グループって言ったな。どういうグループなんだ」
「ふ、普通だよ。普通の」
「普通なら、許可も無く知り合いの写真を張り付けて危険な状況になるもんか。それに、お前が今答えあぐねてるってことは相手はお前が逆らえないやつが主幹となっているんじゃないのか」
「お前、超能力者か!?」
「その返しで確信になった」
面倒なことを。イライラする頭を押さえつけながらも、スマホを持つ丸尾の腕を捻った。
「痛いっ!」
悲鳴を上げてスマホを手放す丸尾。手放したスマホをキャッチし、写真に関するやり取りを確認する。使っているのは一般普及しているチャットアプリで、このチャットグループには50人ほどが入っている様だ。
「これは……」
前回の鏡花の話から、丸尾が陰キャ出身の高校デビューヤンキーというコテコテな存在だとは思っていたが、まさか所属するグループもコテコテな存在だったとは。
まず、おそらくコーヒーショップの店員だったと思われる女が鏡花の写真を貼り、『この子どうですか?』と発言。何人かが食いついている。わざわざ文字を打ち込んでいるとは思えない直感的で下品な内容なので流し読みだが、要約すれば『この女やっちまうか』という反吐が出そうな中身だった。
「か、返せっ! どわっ!?」
スマホを取り返そうと飛びかかってきた丸尾に足払いを掛けるとあっさりと転ぶ。無視。
ここまで丸尾は発言無し。グループ内で発言出来るほどの地位には、当然だがいないようだ。
「ん?」
一人、反応を示したことにレスが多く付いている。こいつがリーダー格か? プロフィール写真には、某世紀末覇者系マンガのやられ役の如く愉悦に顔を歪ませながら大きく出した舌にピアスが……といった風貌。就職苦労しそうだ。
が、こいつの発言は『気に入った。俺の前に連れてこい。可愛がってやる』みたいに見るに堪えないゲスっぷりを発揮していた。何人もが同調して気味の悪い妄想合戦と、気に入られる為に鏡花を見つけ出すという宣言と、一気にチャットが盛り上がっている。
「おい、まさかお前」
「ち、違う! 俺は、その、桐生を匿おうと!」
「それはそれで気持ち悪いな」
匿って何する気だったんだこいつ……というのは下衆の勘繰りとも思うが。
「鋼君?」
あれだけバタバタとやっていたのだ、鏡花が此方にやってきて声を掛けてくる。
「やっぱり、すぐに帰ろう」
「え? あ、ちょっと!」
鏡花の手を掴み、無理やり引っ張るように歩き出す。
グループチャットの中には鏡花の情報が随分と出ていた。名前、出身中学、かつて住んでいた場所……殆ど誰にも知らせず引っ越したのだろう、現住所までは辿り着いていないが、既にこの町には世紀末リーダー……というとまたビジュアルが変わるが、そいつの配下がうろついている筈だ。それこそ中学、元住所辺り、つまりはここ周辺は特に危険だ。
「鋼君、どうしたのよ。あの変態が何か……」
「いや、ただ状況が変わったんだ」
つくづく自分の浅はかさが嫌になる。俺がこんなところに彼女を連れてこなければ面倒にはならなかった。
浮かれていたのかもしれない。魔力を取り戻し、記憶も僅かに浮かび、何でもできると勘違いしていたのかもしれない。
困惑したままの鏡花の手をしっかりと握り込み、持ったままだった丸尾のスマホをポケットに仕舞い込んだ。
「鋼君、何があったの? 表情が、怖いわ」
鏡花の疑問を無視して、早歩きで歩を進めながらも自分のスマホを取り出し、電話帳アプリを開く。知り合いはそれほど多いわけじゃない。焦っていてもその人はすぐに見つかった、が、いざコールをしようと思うと指が震えた。
「ちょっと、どうしたのよ……」
俺を心配する声。そうだ、鏡花だけは守らないと。その為には別の問題を懸念している場合じゃない。
いざ電話を掛けてみれば、ワンコールもしない内に通話が繋がった。溜息とは違う、緊張を解す為の一呼吸の後、
「もしもし、瀬場さん。頼みたいことがあります」
自分でも分かる固い声で電話の向こうにそう伝えた。
嵐の前は静かだという。ただ空は、嵐が来ることなんて想像もできないくらい澄み切った晴天だった。