第57話 ひまわり畑の似合う女の子
「よし」
明くる朝、自室の鏡に映る自分を見て呟く。
鏡と言っても洗面所の鏡である。当然我が家には姿見なんてオシャレなアイテムはない。
それに映っているのは相変わらず冴えない、顔を洗った分普段よりマシ程度の自分の顔が映っているだけ。よしではとてもだが、ない。
寝癖とは違う、天パーという擁護も効かず、無造作ヘアというにはオシャレさの欠片もない所々跳ねた癖毛。俺のやる気のなさを象徴しているようだ。
着ている服だって動きやすさ重視のトレーニングウェア。格好良く言ったけれど学校指定のものより幾分ましな自前のジャージでしかない。足下に至っては昨日革靴を履くのが怠くて履いて帰ってきた学校指定の運動靴だ。
「これで外に出るなんて人によっては自殺ものかもなぁ」
つい自虐的に言葉を吐いたが、正直どうでもよかったりする。これから出掛けるのは別に誰かとデートなんてものではないのだから。
準備を済ませ、身動き重視に小さめのリュックに物を詰めて背負い、電気を消して、靴を履き、ドアを開けた……が、その瞬間違和感があった。
いや、違和感……というほど重ったるいものではない。ただ、普段はドアを開ければ容赦なく眼球を焼き尽くそうとしてくる日照りが今は僅かに遮られていただけで、ついその遮蔽物に目を向けた。
白い。最初の印象はそれだった。
もうすでに眼球が焼かれ切ったのではないかと錯覚する程の純白。
すぐにそれが真っ白のワンピースを着た少女だと気付いた。少し小さめの麦わら帽子を被り、真っ黒なさらさらとした長髪が風に揺らめいている……この間一秒にも満たないが、それでもはっきり目を奪われてしまった。
「あ……」
出てきた俺に気付き、彼女が顔を上げる。
目がまん丸に見開かれ、黒い瞳に鏡のように自分の影が映っていた。
「何でここに」
いるんだ、という疑問を口に出す前に、動揺したのだろう、彼女の指が掛かっていたインターフォンのボタンを押した。虚しく室内に響くチャイム音。
「……椚木ですけど」
「き、桐生鏡花です。椚木、鋼くんいますか?」
「……取りあえず入る?」
熱中症ではないんだろうけど、顔を真っ赤に染め上げた桐生に溜め息を吐きつつ、ここで話すのも暑くてキツいので部屋に招き入れた。
「お邪魔します……」
「いらっしゃい。挨拶するほどの家じゃないけどな」
適当に座るよう促しつつ、冷蔵庫を開けると牛乳しか飲み物が無かった。
「牛乳でいい?」
「え?」
「いや、流石に分かってるよ。来客相手に牛乳っておかしいって。でもこれ以外だと蛇口を捻れば出てくる水しかないんだ」
「お構いなく……」
「お前貴重なタンパク源になんて言い草だ!」
「じゃ、じゃあ頂くわ」
おずおずと牛乳の入ったコップを受け取る桐生。思えば牛乳も白だし万が一零しても目立たないね! と、満足しつつ、床に胡座をかいた。桐生も俺に倣い向かい合うように正座した。真面目か。
「んで、何の用だよ。まだ7時だぞ。勉強会は?」
「その、貴方を、誘おうと思って……」
まるで叱られた子供のようにボソボソと言う桐生。当然俺は怒ってないし口調も柔らか……だと思うんだけど。
うーん……何だか加速度的に桐生がポンコツ化している気がする。桐生はクールな真面目優等生というキャラを崩さない方がいいと思う。キャラ被りしてないし。
属性的には何になるんだろ。クールにデレが混ざるとクーデレだから、クールにポンコツが混ざると……まあ、いいや。
「てか、俺を誘うって?」
「古藤さんが、家に押しかければ何とかなるって」
古藤のやつ……それは快人にしか効かないぞ。
つーか、桐生にポンコツを分け与えたのは古藤だな。古藤もポンコツというわけじゃないが、元々が優秀な桐生と混ざると駄目なところが浮き出るという感じか。
「椚木君はコンビニに行くところだったの?」
「いや、バリバリ外出する気だった。何だったら電車も乗っちゃう勢いだ」
「え、その格好で?」
「そーだよ、このオシャレさん」
ジャージいいんだぞ! 機能性抜群で汗も吸い込んでくれるんだぞ!
「そういうお前は……なんか気合い入ってるな」
ここで椚木鋼君のファッションチェックのコーナー!
桐生さんが着ているのは白のワンピース(既出情報)!腰辺りのリボンの装飾がワンポイントというやつかぁ!? 出ている肩も色っぽくていい感じ! 肌結構白いけどちゃんとご飯を食べよう!
被っていた麦わら帽子も桐生らしさとは少し違ってギャップがあっていいね! ただ少しサイズが小さいかな?
履き物は白いサンダルだね! 色に統一感があって素敵! やっぱりコーディネートはこーでねーと! アスファルトの熱には気をつけて!
これじゃあ朝の占いコーナーみたいだ。こういうのが向いてないことだけは分かりました。
「つーか少し化粧もしてんだな」
「え、ええ。どうかしら」
「良いと思う」
「そ、そう……ありがとう」
照れたような仕草。しかし、本当に絵になる子だ。
これで背景がアパートの一室でなく、ひまわり畑とかなら……
ーーこうくん、凄いね! こんなにひまわり!
「痛ッ!」
「椚木くん!?」
「ああ、悪い。ちと頭が……」
一瞬桐生が、ひまわり畑を嬉しそうに眺める彼女によく似た少女にダブった。これは俺の……いや、この世界にかつていた椚木鋼の記憶か?
魔力が戻ったことが記憶の戻りに影響しているということだろうか。それか、俺がかつて俺にかけた忘却魔法の効果が切れかかっているかだけれど……どちらにせよ、今日の目的を考えると都合はいい。
「せっかくのお誘い、何度も断って悪いけれど、勉強会には行けない。これから行く場所があるんだ」
「行く場所?」
誤魔化そうかとも一瞬思ったけれど、桐生には伝えるべき話だ。これも巡り合わせと思い、
「朱染」
「……え」
「今から朱染に行く」
正直に行き先を伝えた。
朱染。かつて椚木鋼と桐生鏡花が過ごしたらしい町。俺はそこで、少しでも忘れた時間を取り戻したかった。もう時間もあまり無いのだから。
「もしも桐生がよかったら、一緒に行かないか?」
何言ってるんだ、俺。
言った後になってから、言葉の意味を自ら理解する。口が滑ったと似た感覚だった。
ただ、朱染にもう一度行くことがあれば、桐生と行くと思っていたのは確かだ。もちろん、勉強会に出るという話になってからは一人で行こうと思っていたが、もしもそれがなかったら事前に声掛けくらいしただろう。
しかし、言ってからあまりに不躾だと自覚した。桐生は用事があると知っているのにこんな誘いをするなんて。
悪い、変なことを言った。忘れてくれ。
そう、言葉を続けようとして口を開ける、が言葉を発するその前に、
「……いいの? 一緒に行っても」
遠慮がちに、桐生がそう口を開いた。
沈黙が流れる。
桐生自身、少し動揺したように呆けたような表情を浮かべた。その反応を見れば、彼女も俺と同じく思わず口が滑ってしまったみたいだ。。
当然彼女も先約があることは自覚しているはず。それでも、彼女にとって朱染と、そして俺がそこに行く目的は無視できるものではない。
古藤になんて言われるか……
内心溜め息を吐きたい気分になる。けれども、先に口を滑らせたのは俺の方だ。桐生の口を滑らせた責任も取る必要はある。
「一緒に行こう」
内心ごちゃごちゃとした言い訳は浮かべながらも、真っ直ぐに、先ほどまで吐き出そうとしていた言葉とは真逆のものを投げかけた。
桐生は少し困ったように、けれども嬉しさを滲ませながら小さく頷き、「なら、着替えましょう? その格好はだらしがないわよ」と照れを隠すように微笑みを浮かべた。
先程フラッシュバックした、ひまわり畑の少女の眩い笑顔とは少し違う、大人びて落ち着つきのある美しい微笑みを。