第55話 この決断は運命だった
やってしまった。
不可抗力とはいえ、セクハラ紛いの行動。到底許されることではない。
『悔い改めなさい』
ポンッとデフォルメされた天使の鋼ちゃんが現れて言う。
『悔い改めなさい。悔い改めなさい』
天使の鋼ちゃんは語彙力が少なそう。親近感湧く~。
そんな天使の鋼ちゃんに対抗するように現れたのは当然、悪魔の鋼ちゃんだった。
当然……でいいんだよね?
『よくよく考えてみると、膝枕してきたブラッドの方にも問題があるんじゃないか? こちとら寝ていたわけで射程圏内に入ってきたのは向こうからだぜ? それなりに向こうだって覚悟してのことじゃないのぉ~?』
悪魔の鋼ちゃんはよく喋る。いいぞ、頑張れ!
ただ、後ろめたいことがある奴はよく喋るとも言う。
『でも夢見ながらに積極的にセクハラしたのはお前自身だ。つーか寝ながらセクハラなんてまるでラッキースケベ系主人公だなぁ!?』
ゴフッ!?
刺してきた! こいつ刺してきた!?
そうだ、俺の顔をしていても相手は悪魔、味方になるとは限らない。
『悔い改めなさい』
『悔い改めなさい』
天使も悪魔も結局同じ結論に達したらしい。俺の周りをグルグル回って同じことを延々繰り返し始めた。
『悔い改めなさい』『悔い改めなさい』
うわああああああああああああああああああああ!!?
「ごめんなさい」
これが俺の結論だった。臭いものには蓋をしろ。悪いことをしたら取りあえず謝っとけ、だ。
「別に怒っていない。少し驚いただけだ」
いつもの仏頂面を向けながら彼女は淡々と告げた。いや、ここでいつものというのが逆に意識している感が……考えすぎかもしれないけれど。
「何か文句でも?」
「ないです。ご温情感謝の極みです」
いや、スルーしてくれるならそれに勝ることは無いな。うん。
それから、顔色を伺いながらも静かな、皿をフォークが叩く音だけが響く食事が続いた。
ブラッドさんお手製のハンバーグはぐうの音が出ないほど美味かった。いや、空腹が満たされているのだからそっちのぐうの音も収まっているんだけどね(超激熱ギャグ)。
「ご馳走さまでした。美味しかったです」
「……」
「何だよ?」
「ご馳走さまとか、美味しかったとか、言われないからな」
「え、マジ? こんなに美味いのに。酷い奴もいたもんだな。最低だな」
それってDVよ、旦那有責で離婚なさいなという井戸端に集まる主婦よろしく、攻める。あわよくば、いやあわよくなくともセクハラを井戸に流す戦略よ!
という計略が見透かされたかのように睨まれた。思わず言葉を詰まらすと、またもや呆れたような溜め息を飛ばされた。
「エレナとアレクシオンはよく言ってくれたよ。二人はな」
「スミマセン」
俺有責だった。
……確かにそうだったかもしれない。そりゃあだってあの頃の俺は色々アレで……ごにょごにょ。まぁ、今の俺と同一人物だから何の言い訳にもならないか。
「食は生きる糧そのもの。身も心も潤す救いである」
「それ、どっかで聞いたな。なんだっけ」
「エルフの族長が言っていたことだ」
「ああ……あいつか」
苦い記憶。
いや、今だから苦いと思うのかもしれない。なんたって俺自ら、その首を切り飛ばしたのだから。
「この世界に来て驚いたことの一つだ。エルフは創作の中に存在し、性の対象として捉えられている」
「それは俺も驚いた。あっちじゃ、耳が尖っている長命のってまでは同じ、けれど実態はただの食人族……人間の敵だったからな」
蓮華がオススメのエルフっ娘とやらを語り始めたときは自殺願望があるのかと思ったほどだ。
「ただ、この世界に来て思うよ。彼らも悪と断定出来るものじゃない。生きることに必死だっただけだ。生への執着という意味では人より醜い存在もいないだろう」
「……かもな」
「少なくとも生きる糧として感謝の念を抱いていた彼らより、感謝の言葉を一切発しないお前の方がよっぽど酷いかもな」
「悪かったよ! ごめんなさい!」
からかわれているのは分かっているが、ついムキになってしまう。
「冗談だ。ただ……」
ちゃぶ台テーブルの向かい、床に座り込みながら肘を付いてブラッドは昔を懐かしむように目を細める。その瞳に映った何かを噛みしめるように。
「一度、美味いと言ってくれたことがあったな。どこぞの町で接待を受けたときだ。勇者の名声を利用しようとした領主に『ブラッドの作った飯の方が美味い』って……まあ、不遜な相手への当てつけだったかもしれないが、それでも嬉しかったよ」
お前になる前のお前は、再会したときにはもう味を感じることが出来ていなかったから。
そう、消え入る声で、呟く。
なんとなくそんなことがあった気がする。俺にとってはもう忘れかけた、その程度の出来事だったのかもしれない。
「お前の飯、美味かったよ。本当に美味かった。けれど、ただの言い訳かもしれないけれど、あの頃の俺は味が分かっても感じる余裕なんて無くてさ……無理にでも美味いって言ってれば良かったなぁ」
「馬鹿」
口の端を僅かに上げただけの穏やかな微笑。それを見ただけで胸の底にある何かがふっと軽くなった気がした。
「嘘で言えるほど器用じゃないから、ふとした一言が嬉しいんだ」
「……なんか、いい女だなお前」
これが大人の余裕というやつか? 見習いたいぜ、俺は男だけど。
どうやら味を噛み締めることは出来るようになっても、余裕自体はまだ付いてきていないようだ。
けれど、まだまだ未熟な俺でもこの世界で暮らす内に分かったこともある。
「こっちに来てさ」
だから、やはり彼女には伝えるべきだと思った。
「こっちに来て過ごす中で沢山のものを貰った。人らしさってのかな……普通のちょっとしたことでの感情みたいなもんを。俺が変わったとすればきっかけをくれた連中のおかげだよ。けれど、どんなに平和を享受しても、終わったことだって振り切ろうとしても、ずっと頭の中にあるんだ、あっちの世界のことが。言葉で表せないぐちゃぐちゃした感情が頭に纏わりついて仕方がない」
多分これは弱音だ。かつてブラッドだけじゃない、アレクシオン、エレナ……あちらではバルログやレイにだって見せなかった。見せることが出来なかった。俺は勇者で、彼らにそんな弱みを見せてはいけないと思っていたから。
「昨日の……お前らの世界に帰ってこいって話だけど」
ブラッドの体が僅かに固くなる。緊張、それを感じさせる程度には彼女にとってこれが大きな話題であると分かる。
「正直、いつかこんな時が来るんじゃないかって思ってた」
恐れていたのか、待っていたのか、自分でも分からない。
「お前は俺を、壊れてるって言ったろ。それって多分、俺があの世界に色んな物を置いて来ちまったからなんだ。お前らに命を賭けさせてしまったこと、魔王になったバルログを救えなかったこと、勇者の使命つって悪人相手だったとしても人を殺めたこと、レイ達を守れなかったこと、自分自身を殺したこと……」
トラウマなどという四文字では表現しきれない後悔、苦痛、悪夢。それは口に出すだけでも精神を蝕んでいく。
俺に残った傷は、ふとした直感、夢と言った形で俺の前に姿を現し、俺が大事なものを守ることさえできない不幸をまき散らすだけの存在であると自覚させてくる。
この世界で俺は変わった。人間らしくなったと思う。それでも本質は変わらないままで。誰かの期待に応えることなんて出来るわけも無くて。だから、変わるには、彼らと同じ時間を過ごすには、向き合わなければいけないんだと思う。
「一生それらに背を向けて追われ続ける……それでもいいと思ってたんだけどな」
自信のある答えが出ているわけじゃない。勝算や何か希望的な確信がある訳じゃない。
この感情は諦めなのかもしれない。思考停止なのかもしれない。逃れられない運命に抗うことの虚しさを悟ってしまっているからかもしれない。
けれど、それを認めるのも嫌で、この世界に来て手に入れた見栄と虚勢を振り絞り、無理やり笑顔を浮かべた。
「戻るよ。あの世界に」
そう口にした瞬間、色々なものが頭を過る。この世界、あの世界、どちらかとは問わず。
胸の底から込み上げてくるものがあった。
――もうここには戻ってこれないかもしれない。
そんな懸念が今更になって生まれた。
不幸にしてしまうかもしれないのに、それでもみんなと一緒にいたい……そう思うのは弱さなのだろうか。罪なんだろうか。
この世界は俺にとって救いだと思っていた。もう戦わなくていい、奪わなくていい。そう信じたかった。
けれど、この世界で俺は大切なものを作りすぎた。この世界で大切なものを作ることで、あの世界に置いてきた大事なものから目を逸らすことが出来なくなってしまった。
もしも全て定められたことならば、こんなに残酷なことは無い。
あの世界で、心を冷たくしたまま消えていれれば、こんなに苦しくて辛い気持ちにならずに済んだのかもしれない。
もしも全て、俺に与えられた罰ならば。
きっと、この決断さえも運命だったのだろう。
◇
――準備がある。整ったら、また連絡する。
ブラッドはそう言った。
実際に準備があるのかもしれないし、俺を気遣って猶予をくれたのかもしれない。
どちらにしろ俺にはありがたい話だった。
この世界を後にする……そのことを誰かに話すべきか、話さずに行くべきか。そういった準備は何も出来ていなかったから。
ただ、猶予はそれほどない。ブラッドの態度からそれは十分に予想できた。
露出狂に仮装し、光たちに干渉してまで事態を動かした。きっとそれにはまだ彼女が隠している事情が存在するのだろう。俺を連れ戻すことに、急ぎ結論を出さねばならない何かが。
「……考えてもしかたないか」
首を振り、思考を振り払う。溜息も飲み込んだ。
今考えるべきは残された時間をどう過ごすかだ。
アパートまで帰る道は普段より暗く感じられた。街灯が照らしてくれているのに、やけに暗く。
ふと、ポケットの中でスマホが震えた。立ち止まり、ポケットから取り出して画面を見る。
「たく……グッドタイミングなんだか、バッドタイミングなんだか分かんねぇな」
表示された名前を見て、思わず苦笑する。
正直誰かと話したい気分じゃない。けれども彼女は、もしも今何か話すのならば彼女しかいないと、そう思える相手だった。
それも俺の弱さからくる甘えなのかもしれないけれど。
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