第54話 菓子パンが導く再会
地獄のシャトルランを終えた帰り道、ふと今後の昼飯用に菓子パンを買い溜めしておこうと思いついた。
自慢じゃないが俺は忘れっぽい。明日、明後日と後回しにしたら結局買い忘れて購買に駆け込む……そんな未来が見えるんだな、コレが。
というわけで帰り道中にある、アパートに比較的近いコンビニへとやってきたわけだが……。
「いらっしゃいませ……と、コウ、お前か」
「コウ、お前かじゃないんですけど。どうしてこんなところにいるんだよ」
コンビニで俺を待ち構えていたのはかつての旅の仲間であり、全裸のオッサンに擬態していた変態であり、男だと思っていたら実は女だったブラッドさんだった。さんと付けて距離を置きたい俺の心、分かる?
「見て分かるだろう。バイト中だ」
バイト中って……まぁ、そうだよな。しっかりとコンビニの制服を着ているし。馴染んでいるかと言われれば……整った顔立ち、制服の上からも分かる膨らんだ胸と男にも女にも受けそうな美人っぷりは、まるでモデルが職業体験しているかのような非現実感があった。
ストレートに言えば、君これより合った仕事あるよという感じだ。コンビニバイトは自分磨きには使えないってそれ屋根裏のゴミも言ってるから。
店内に他に客はおらず、それでも何となく居心地が悪くて、適当に棚から取った大量の菓子パンをブラッドのいるカウンターに差し出す。一瞬眉を歪めつつ、ゆっくり一つずつレジに通していくブラッド。その表情は何処か呆れているようだ。
「お前、普段からこんなものばかり食べてるのか」
「黙って仕事をしてください、店員さん」
「若いうちから添加物ばかり取っていると健康に悪いと聞くぞ」
「お母さんですかお前は。つーか、ファンタジー世界の住人に添加物とか聞きたくなかったすわー」
言ってしまえば俺もファンタジー世界の住人なわけだけれど。
適当に相槌を返しながら数字が増えていくレジの値段表示をボーっと見つめていると、またしてもブラッドが口を開いた。
「コウ、この後時間はあるか?」
「時間? ……まぁ帰っても寝るだけだし、あるっちゃあるが……なんで?」
「この間の話、どう考えているか聞きたい……というのもあるが、」
ブラッドは少し、喉につっかえた言葉を無理やり吐き出すように、詰まりながら言った。
「飯くらいなら作ってやるぞ」
「……はぁ?」
突然の提案だが、何も突拍子の無い事ではないかもしれない。
かつて、旅の中の飯は大体ブラッドの仕事だった。こいつの作る飯は食いなれたもので、しかも美味かったので今でも忘れてはいない。むしろ俺にとってはブラッドの飯を食うのはすごく自然なことで……
「悪い、変なことを言ったな」
考え事をしている内に話を切られる。
提案してきたのはそっちのくせに、切り上げるのもそっち都合かよ。
「ブラッド?」
「2139円になります。ポイントカードはお持ちですか?」
「え、あ、大丈夫です」
「……持ってる癖に」
ぽつり、とブラッドが呟く。そりゃあ勢いで持ってないと言ってしまったけれど。
たまたま財布にピッタリあった代金をトレイに置き、慣れた手つきでパンを袋に詰めていくのを見る。
俺はあまりコンビニを利用しないから知らなかったけれど、こいつはどれくらいこのコンビニでバイトしてきたんだろう。
「もしも……」
「ん?」
「もしも時間をくれるのなら、少し待っていて欲しい。もうすぐ、バイトが終わるから」
どこか弱ったような声だった。
どうしてブラッドがそういう心境なのか全く分からずまたもや反応に窮していると、
「ありがとうございました」
綺麗な営業スマイルを向けながらパンの入ったコンビニ袋を突き出された。
情けないことに、彼女の笑顔を見るのは初めてだったように感じて、一瞬呆気に取られてしまった。
―――
――
―
「お疲れさまでした」
ハスキーボイスが店内から聞こえ、目を向けると丁度彼女がコンビニから出てくるところだった。
「おつかれ」
「コウ?」
「何驚いてんだよ、お前が待ってろって言ったんじゃねーか」
「……ああ、そうだな」
「んで、どこ行くんだよ。俺んち? 俺んちかぁ、でも俺んちはなぁ」
「いや、俺の家だ」
ブラッドの家?
「お前、家あるの?」
「当然だ。お前と同じように賃貸アパートの一室だがな」
「戸籍とかどうしたんだよ」
「誤魔化した」
ああ、そう。
しかし、ブラッドが定住って違和感があるな。ずっと旅をしていて一か所に留まったことが無いからだけど、それにしたってブラッドは特に各地を転々しているイメージが強い。何でもできて一匹狼な雰囲気があって、ご近所付き合いとか苦手そうだし。
ただ、そんなブラッドがコンビニバイトか……
「少し歩くが、いいか?」
「構わない」
ブラッドの後ろを付いていく。
今のブラッドはTシャツにショートパンツという軽やかで少し防御力の低い、女性っぽい服装だった。
「似合わないだろう?」
後ろを歩く俺の方を振り返りもせず、思考を読んだブラッドが苦笑交じりにそう言う。
「似合わないなんて思わねぇけど……やっぱりお前はロングコートのイメージがあるな」
身体をすっぽり覆う、この世界じゃ中二病っぽい格好もあちらでは普通だ。むしろ黒のロングコートは隠密性に長けていて収納も多く実用性にも長けていた。こちらじゃあ、あまり必要では無い要素だが。
「俺も、軽鎧を付けていないお前の姿は違和感があったよ」
「かもな」
穏やかな会話。やはり不思議な気分だ。
ブラッドに裏切られた俺、いや、そもそも普通に仲間として旅をしていた時だって穏やかに会話をする瞬間なんて無かった。けれど、こうして話してみると何だかしっくりとくる。
普通だったら恨むのだろうか、こいつのことを。そうであれば、こいつのことを恨めない俺は、
やはり普通とはかけ離れてしまっているのだろうか。
ブラッドの住んでいる部屋は1K6畳くらいの広さだった。中も特別質素ではなく特別何かあるわけでは無い、取り立てて普通の部屋だった。
25歳の美人の住んでいる部屋と思えば興奮もするものかもしれないが、先の思考が頭に纏わりつき、碌なリアクションも出来ないままボーっとソファに腰かけながら、キッチンに立つブラッドの後ろ姿を眺めていた。
肉の焼けるいい匂い。それと、この部屋の女性らしい香りの中に混ざる煙のような香り……ふと脳裏に小汚い格好をした少女の姿が浮かんだ。
主張の強い真っ赤な髪に瞳……それを泥に濡らしていつも眉をへの字にして泣いていた少女。名前は無いと、家族もいないと苦しんでいた子に俺は何も出来なくて、出来たのはこっそり城を抜け出し俺に支給された食料を分けたり、話したりくらいで実質何の解決も出来なくて。
――名前?
そうだ、あの子は名前が欲しいと言った。当時の俺はその言葉の本当の意味を考えられるような地頭も無くて確か当時好きだった漫画の……
――コウ?
遠くで声がする。いや、近く? 変な浮遊感の後、暖かい熱が身体に広がっていく。
不思議な香りだ。どこか落ち着く。頭の中のモヤが晴れていくような……
――ひゃうっ!?
可愛らしい悲鳴が聞こえた。手が、何か柔らかいものに手が触れている。
それを揉むように撫でつけると、先の悲鳴が連動するように聞こえた。面白い。子供の頃、腹を押すと変な音を出した人形みたいなものを貰ったことがあった。何かそれに似た面白さがある。
軽く触れると小さく声を漏らし、強く抱きしめると大きな悲鳴になる。上手く操れば良い感じにリズムが取れるかも……
「いい加減にしろっ!」
「ギャフンっ!?」
額に痛みが走って、同時に視界が晴れた。
「俺、寝てたのか……」
痛みがじんじんと残る額を擦る。ふと見上げる、ブラッドが顔を赤くして、怒ったように睨みながら俺を見下ろしていた。
「もしかして……もしかする?」
「疲れているかと思って気を遣ってやれば……まったく! ほら、用意できたからさっさと食え!」
「わたたっ!」
プンプンと怒りながらブラッドが立ち上がる。同時に俺もソファから転げ落ちた。膝枕、してもらっていたんだろうか。
「ブラッド、あの」
「さっさと食え馬鹿!」
「はい……」
すっかり怒らせてしまった。何が有ったか想像は付くので俺は余計なことを言わず粛々とブラッドが用意してくれた夜ご飯を頂く。
ブラッドが作ってくれた出来合いの野菜炒めは、涙が零れそうになるくらい美味かった。ただ、後悔と自己嫌悪というスパイスが無ければもっと純粋に楽しめたのにと思いました。まる。