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第53話 勝負、そして決着

 長距離はリズムだ。


 自分の体力、筋力、エトセトセトラ……個人にはそれらに合わせたそれぞれの適切な走り方、ペースが存在する。「今日一緒に走ろうね~」なんてものが何一つ上手く機能することが無いというのは明らかなことである。

 そういう意味で長距離走は頭脳戦だ。短距離走のように身体能力が差に直結するというものではない……という前提から考えて、一つ、分かったことがある。

 このシャトルランというのはヤバい。ヤバい奴だコレ。


 まだ走って数分、全貌は見えていないもののこれが昨今の身体測定でさも当然のように行われているという事実に愕然とせざるを得ない。


 音に合わせて20メートル走を繰り返す。この音というのが厄介だ。ペースを勝手に決められてしまう。これではテンポもリズムも意味が無い。先ほどの適切なペースというのは遅いぶんにはいい、というわけでは無い。遅すぎることが余計な体力を奪うなどということも有り得るのだ。

 そういう意味で体力を測るという目的だけでこのシャトルランが作られたとは考えられない。何度も同じことを繰り返し、付いてこれなくなった者から落ちていくこのシステムは言うなれば……


「社畜体験型調教システムなんだよ」


 単純作業を黙々と繰り返し、じわじわと作業ペースを上げられても文句を言わずただ愚直に従い続ける……それも体力の限界まで。繰り返す。俺たちは何度でも繰り返す。同じ道を何度も往復し、たった一つのゴールを探す。んなもんねぇけどな!! 人生という冒険は続く……無情すわぁ。

 解放される方法はただ一つ、落ちることだ。諦めて、限界を察して身を引くこと。ゴールが無い、ただただ競わされ、負けを認めることでしか解放されない……拷問か何かかな?

 きっとここで得られたデータは有名ブラック企業に高額で取引されるのだろう。好成績を残した奴はその時点でプロの社畜ハンターに目を付けられ苛酷な人生を送ることになるのだ。


「というのを考えた」


 横を走る蓮華は面倒くさそうに渋面を浮かべ、逆サイドの香月は反応もしてくれなかった。

 ハイハイ黙って走れってことですねー社畜乙。


「暇なんですか」

「そうだな……そうかも」

「気持ちは分かりますわ。どうにもこの音源はペースが上がるのが不規則で、ペースアップが遅いから」

「そうなの?」

「そうですね。本来シャトルランは共通の音源が使用されペースアップも規定回数の消化によって行われるんですけど、この音源は加工されていて規定回数では上がらず、折り返し数のカウントもされていません」

「へぇ……しかし誰がそんな手の込んだことを?」

「決まってますよ」


 香月は走りながらソイツに目を向け顎で軽く差した。

 その先には、生徒の群れが存在するわけだが……ああ、一目でわかった。そりゃあそうだな、音源を用意できるのはこの勝負を提案した奴しかいない。


 あの、同じくシャトルランに参加しながらも既に限界いっぱいいっぱいと言わんばかりの崩れたフォームで走る川上佑樹先輩その人しか。


 このシャトルラン、噂が人を呼び結構な参加者が集まっていた。

 なんでも勝者は命蓮寺蓮華と付き合えるらしい。これを吹聴したのがよりにもよってあの川上先輩だったのだ。

 「僕がこのシャトルランに勝って蓮華と付き合って、学生結婚するんだ!」などとこの短時間で言いふらし、気持ち悪さを振りまいた彼のせいで、蓮華目当ての連中、体力自慢、お祭り好きが急遽参加することになったのだ。

 当事者の蓮華まで別に構わないという態度で……参加希望者が来るたびに何故か少し嬉しそうにこちらを見て来るし、そんな姿に腹立つというか……とにかく、簡単に負けられない理由が増えてしまったわけだ。


「しかし、自分から話を大きくして置いて真っ先に脱落しそうになってるじゃねーか……」

「ああいう人なんですよ。陸上部でも練習あまりしないで、口先だけ……後輩相手に知識を披露するのが生き甲斐みたいで」


 走っていて普段より余裕が無いからだろうか、その言葉には明らかな鋭さがあった。


「終わってからもどうせ言いますよ。あれは本気じゃなかった、体調が悪かった、昨日は1時間しか寝てなかった、……こんなことに真剣になるなんて馬鹿らしい、とか」


 どことなく不機嫌そうなのは、そのやり取りが何度も繰り返されてきたものだからだろう。彼が、香月の言うような人間なら、香月のように女子で一年で、そのくせ優秀で真面目なんてのは目に毒だっただろう。部活が遊びか真剣か、おそらく何処でも何度も繰り返されている話だ。

 などとやり取りをしている内に川上先輩はあっさり落ちた。とはいえ、倒れるほどじゃない。膝に手を付き呼吸を整え、すぐに近くの陸上部の後輩にペラペラと何かを得意げに話していた。

 おそらくは、香月が今話したくらいのことを。


「全力の出し方を知らないのですわ」


 同じく、川上先輩を見て蓮華が呟く。


「逃げる言い訳を恥と感じない人は多い。責めているわけではなくて、それはある種の処世術……生きる知恵ですもの。ただ、そうやって逃げるのに慣れていけば、全力を出すことさえ出来なくなる……それが人間というものです」


 感情も無く、香月を諭すように蓮華は言った。気にするな、と。


「認めろって、そう言うんですか。諦めろって……」

「考えても仕方が無いとそう言っているだけですわよ」


 睨み合う……というよりも香月が一方的に蓮華に敵意を飛ばしている。ペースが同じだから俺を挟む形で。場所替わります?


 そんなやり取りを経て再び無言。既に周囲にも余裕は無く、絵的にも地味なこの勝負では歓声も飛び交わない。ただ、無機質で不愉快なドレミファソラシドという機械音とたまにペースアップを告げる音だけが響くだけとなった。


 俺たちの知り合いの中で最初に落ちたのは古藤だった。

 古藤は運動神経に関してはそれなりだが、あくまで女子で文化部だ。むしろ始まってから結構時間が経つというのによく持ったと称賛すべきだと思う。

 古藤は間に合わなかったラインを越えると、半ば力尽きるようにその場に膝を付いた。


 快人と目が合う。

 戸惑うようにこちらを見る快人に、「行けよ」と手を払うだけのジェスチャーを返すと、彼は大きく頷いて足を止め、古藤の方に駆け寄っていった。巻き込んだのは俺で、投げ出すのに抵抗があったんだろう。ここでわき目も振らず古藤の方に駆け寄っていれば満点だったのに。まぁこういうところが人間臭いっていうか。


 思わず、心境的に笑いが漏れそうになったが、漏れはなかった。もう、俺も身体的に笑える余裕は失っている。限界でも無いけれど、両サイドの二人相手ではもう周囲に気を配る余裕なんて持ってはいられない。

 その後、ターンのタイミングで間に合わずに落ちた桐生に快人と古藤が駆け寄るのが見えた。体力自慢や陸上部の面々も落ちて……気が付けば残っているのは俺たち三人だけとまで絞られた。


 何回折り返したか、何分走ったか……あとどれくらい走ればいいのか分からない。もう左右を見る余裕なんてない。ただ、お互いの息遣いが、相手がすぐ横を走っていることを教えてくれる。


 ペースはほぼ短距離走の速さまで上がっていた。

 ドのタイミングで20メートルのこの地点、レのタイミングでここ、ミで……20メートルという距離を電子音に合わせて刻み、速すぎず、遅すぎずのペースで走る。長い繰り返しの中で動きがこのシャトルランに最適化されているのを感じる。

 また、ペースアップを知らせる音が鳴った。


(まだ上がるのか)


 舌打ちを漏らしたくなる。既に香月も蓮華も息が荒くなっている。当然俺も。ターンのタイミングに観客や、横の二人を見るなんて余裕も無い。ただ何度も、何度も、白線を跨ぎ続ける。体力は底を尽きかけている。その癖体はやけに熱い。


(こいつらのせいかもな)


 ライバルの存在が力を付ける上で一番効果があるなどと香月が言っていた。

 きっと俺が今走っていられるのも二人がいるからだろう。こいつらが落ちない限り、俺も止まれない。止まるわけにはいかない。


 永遠のような時間だった。けれど、一瞬のようにも感じ、そして。


 観客がどよめいた。それが耳に入ったのは多分、息遣いの内一つが乱れたからだろう。音が乱れた方に視線を向けた。彼女が、足を滑らしたのか体勢を崩している。

 その動きから、とても受け身を取れるような状態じゃなかった。


 身体は勝手に動いていた。

 俺は、彼女が倒れるのに合わせて半ば転ぶように飛びつき、庇うように地面との間に割って入った。それで勝負は終わっていた。


 苦し気に息を吐きながら、それでも驚いたようにこちらを見てくる。が、俺もその言葉に応える余裕なんて無くてただ爆発しそうな心臓を治めるために呼吸を繰り返すしかなかった。


 再びどよめきが走った。

 頭を地面に転がすように首を動かし、見ると、俺たちの倒れた僅か先で、香月が膝をついて倒れていた。勝負は終わった。俺たちの痛み分けという一番冴えない形で。

 きっと俺だけでなく、俺たち全員がお互いの呼吸を受けることでなんとか走っていたのだろう。


 顔を俺の胸に押し付け、蓮華が何かを喋ろうとして、それでもその口からは息以外は出てこなかった。もしも何か言われたとしても今の俺も応えることは出来そうになかったから。



 気が付けば日はとっくに暮れていた。そんなことにも走っている最中は気が付かなかった。一応ナイター設備が付いているから支障は無かったが、最後の方はおそらく目を閉じて走っているのと変わらないくらい視界も狭まっていたんだろう。


「大丈夫……?」

「あぁ……」


 地面に身を預けながら、桐生に向けられた言葉に吐息交じりで応える。こういう時立ち止まったり倒れて休むのは体に良くないと言うが、とても立ち上がれそうにない。


「こういう時は膝枕だよ、きょうちゃん!」

「ひ、膝枕!?」

「勘弁してくれ……桐生も本気にすんなって……」


 ああ、地面が冷たくて気持ちいい。


「でも、まさか会長もここまで本気とは思いませんでした」


 既に俺から引き剥がされ、同じく隣に寝転がっていた蓮華に桐生が声を掛けた。しかしその言葉に彼女が返事をすることは無い。ただ罰が悪そうに顔を反らしただけだ。

 どうせ恥ずかしいのだろう。素の自分を見せてしまったみたいで。


「お疲れさまだ、椚木、蓮華」

「先生……? 見てたんすか」

「ゆうも見てたですよー! むふふ、随分とぐったりなさって今なら抵抗も出来なそうですねぇ? 日頃の復讐のチャンスです!」


 突然現れた大門先生と好木。ギャラリーの中に紛れ込んでいたようだが、これはまた恥ずかしいところを見られたもんだ。


「通知表や体育の様子をたまに見ている分には分からなかったよ。まさかお前が蓮華や香月とタメを張る能力があったなんてな」

「たまたま、すよ」


 見られてしまえばもう誤魔化せるわけも無いが、俺の口は考える前に誤魔化そうと言葉を発していた。これも癖かもしれない。まぁ、シャトルランでいい成績が残せても、スポーツテストに採用されていない学校では評価されない項目ですからね。


「お母さんは感心してくれてるですよ。今夜はハンバーグですか?」

「お母さん?」

「好木、その話はもうやめろ……」

「ゆうもお兄ちゃんのこと見直したですよ? 人間何かしら取柄があるものですが、お兄ちゃんにもあったですねぇ」

「お兄ちゃん……? お前、頭のおかしさに磨きがかかってるな」

「ほぅ……その状態でゆうに逆らうとは勇気があるですねぇ?」


 にやっと口角を上げて好木がじわじわと寄ってくる。何する気だーやめろー。


 などと、抵抗する必要も無く桐生と古藤によって掴まった。俺は病人みたいなもんだからな。そんな俺に何かしでかそうとする不審な女生徒……とめられるのは当然だ馬鹿め!

 知らない人に囲まれて(あいつから突っ込んできたわけだけど)、おろおろとする好木。そんな彼女を尻目に、俺は地面に手を付いて立ち上がった。


「っと、もう大丈夫なの?」

「悪いな、快人」


 咄嗟に快人に支えられはしたものの、何とか立てた。そりゃあ寝てたらいつまで経っても帰れないし。

 見れば蓮華も身を起こし、彼女に寄ってきていた生徒会らしき連中に声を掛けられていた。その中には意外でもないが、光や村田君もいる。へぇ、デートかよ。


「ん……?」


 一瞬、光と目が合った。が、すぐに向こうから逸らされる。やけに意識したような反応に一瞬思考が回りだそうとしたが、


「お兄ちゃん、助けてー! 虐められるですー!」

「お前その取ってつけたような雑な妹キャラやめろ」


 突っ込んできた好木を腹で受け止め、ぶっ倒れそうになるのを踏ん張っている内に気も逸れてしまった。


「やあやあ、驚いたよ香月君。君もまぁまぁやるじゃないか、ええ?」


 香月の方はデリカシーゼロ人間のもはやウザいだけの川上先輩に襲撃されている。限界まで走ってこれはあまりに不憫だ。


「おい、ゆうた離れろ」

「すぴぃ……」

「何でお前が寝てるんだよ」


 古藤と桐生に引っ張られ、それでも俺の体操着を強く握りしめて、なおかつ立っている……その状態で寝ているなんていうのもやはり無理があるけれど。


「ぴぎゅ!?」


 思わず手が出てしまった。大して力の籠らなかった脳天チョップに小動物のような悲鳴を上げゆうたは思わず手を離し、そのまま古藤と桐生に回収される。

 今度は怒られているというよりも女の子がそう抱き着いたりとか、疲れている相手に云々みたいなことを言われているみたいだ。


「快人、悪いけど付いてきてくれるか」

「勿論」


 快人に肩を借りながら香月に近づく。


「香月」

「あ、先輩……」


 憔悴しきった、それでも安堵したように小さく微笑む香月。


「ちょっと、君、僕がまだ喋って」

「身体は大丈夫そうか?」

「無視……だと……!?」


 川上先輩は気を遣った陸上部の男性の先輩に連れていかれました。


「なんとか……でも、久しぶりですこんなに疲れるまで走ったの」

「俺もだよ」


 実際どれくらい走ったのか、香月を支えていた陸上部女子に聞いてみると、苦笑交じりに「特製の音源でなければ記録しきれなかったくらいには」と言われた。今一凄いのか凄くないのか分かりづらいな。


「勝負、引き分けでしたね」

「一番先まで走ったのは香月だけど」

「集中が切れて倒れる時の余韻みたいなものですよ。今回はたまたま会長だっただけで、私も……多分先輩も、誰が倒れてもおかしくなかったですから」

「そうだな」


 実際、それで全員が全員満身創痍になっていては仕方がないけれど。


「三人痛み分けなんだから、全員が勝者ってことでいいんじゃない?」


 そんなことを言ったのは当然みんな友達、レッツマジカルな主人公脳の持ち主、綾瀬快人その人だった。お前勝手なことを……


「では、私はA先輩に何でもお願いしていいと……?」

「いや、俺限定じゃないけどな。参加者だったら誰でも」


 そう予防線を張りながら快人に恨めしい視線を向ける。


「まぁいいじゃない。あんな姿を見せられて、何も無しってんじゃ流石にね」


 そう言う快人の言葉にはどこか圧があった。見れば陸上部女子たちも同意するように頷いている。そうなってしまえば小市民である俺に抵抗することはもう出来なかった。


「では、考えておきます。ああ、お願いはA先輩にするので」

「俺確定かよ……でも陸上部に入部しろっじゃないんだな」

「はい。それとは別で……ちょっと悩んでて」

「そうか。じゃあ俺も考えておくよ」

「……先輩は私にお願いはしてこないでしょう?」

「分からんぞ?」

「分かりますよ」


 香月はそう微笑みを残し、去っていった。今日はこのまま着替えて帰るとのことだ。


「俺たちも帰るか」

「蓮華さんはいいのか?」

「ああ……後で話すから、いい」


 あいつも生徒会連中に囲まれていてはいい顔しなければならないだろうし、冷静さを失って変なことを言われても困る。


「じゃあ、帰る?」

「そうだな。ちゃちゃっと着替えて帰ろう」

「分かった。光が来てるみたいだから、先帰るって伝えてくる」


 そう言って快人が離れる。もう一人で立つのは大丈夫だったので問題は無い。光も一緒に連れて帰ると言い出さなくて良かった。


「椚木さぁーん! 助けてー!」


 涙目になって好木がまたもや抱き着いてきた。後半は好木の小学生みたいなマスコット的な容姿に古藤と桐生の変なスイッチが入っていたのだろう、揉みくちゃにされたかのように髪が乱れている。


「幽ちゃ~ん、もうちょっと、もうちょっとだけだから~」

「そうよ、少しだけ。もう少し撫でるだけよ」

「嫌です! 断固拒否するですー!」


 だから俺を挟むのはやめろって……


 そんな騒がしさを残しながらも、勝負は終わった。

 結果は俺、蓮華、香月の三者痛み分け。


 得たものは、何でも一つ言うことを聞かせられるという権利。それは形には残らないので、実感があるのはこの凄まじい倦怠感だけかもしれない。

 でもそれが少し心地よかった。今日はぐっすり寝られそうだ。

おそらく過去最長7145文字(空白改行含む)です。


ポインツ評価、感想くれますと嬉しいなって思います!(ドストレート)

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