第50話 試練は小出しにしては駄目
最近1話が長くてすみません。
走る、ということでトイレの更衣室で先に体操着に着替えを済ませた。
正直夏服なんて言いながら長ズボンを強制する学生服に比べれば半袖短パンの体操着は着心地がいい。
流石にこの格好で町中に出たいとは思わないけれど、個人的にファッション性もそうだけど、やっぱり実用性は大事なんやなって。
グラウンドに行くと既にそれぞれ体操着に着替えた面々が顔を揃えていた。放課後ではあるけれど太陽は容赦なく俺たちを照り焼きにしようとしてきている。帰りたい。
ちなみに女子はブルマーではない。ブルマー……「古き良き」なんて言うけれど俺はあまりそう思わない。そりゃあ性欲を刺激するという目的だと実用性十分だろうけど、体育の授業中に性欲なんて刺激されたら、俺もう走れなくなっちまうよ……
さらにちなむと、香月はしっかりと陸上用のユニフォームだ。陸上部だからそりゃあそうなんだろうけど、他のグラウンドにいる陸上部部員だと思われる人達を見ると体操着姿の人もチラホラいて強制では無いらしい。やる気あんねぇ。
「A先輩、現在皆さん準備運動中です!」
「見りゃあ分かる」
「それで、先輩のお相手は不肖この香月怜南が務めさせていただこうと存じますが!」
ふむ。悪くない提案だ。香月も美少女だし、陸上トラックの上で陸上部のエースに背中を押してもらうという経験は数年後に武勇伝としてデンデンデン出来るかもしれない。こっちゃんカッコいい(空耳)。
が、香月のその無駄にデカい声のおかげで、ペアで柔軟体操に励んでいた桐生と古藤の耳にも入ったようで、古藤が何かを桐生に囁き、それと共に桐生の表情が固くなる。
「いや、女子の腕力じゃああまり効果的じゃないと思うし、快人とやるわ」
2人が何かを言い出す前にそう香月に断る。その言葉を聞いて桐生も開きかけていた口を閉じた。
何を言うか、定かではなかったが……「男女でそんなことするなんて不潔よ!」とかだったら逆に好感度を上げた疑惑も……快人と古藤がペアを組んでいない時点で既にその問答があった疑惑も無くは無いし。まぁ、いいか。
「えー、じゃあ私は誰と組めばいいんですか?」
「陸上部の友達とか……いなそうだな、お前。部外者の俺らに練習相手求めちゃうんだもん」
「い、いますよ? 皆さん良い人ですし……ただ、陸上のことになると遠慮されるので。『私なんかが香月さんの練習相手なんて力不足だし……』みたいに」
確かにこいつのあの走りを見たら周囲も一緒に走りたくないか……
「それに実力差があるのは事実ですからね」
「お前、それ自分で言っちゃうのかよ」
「当然です。私の出した記録はこれまでの研鑽の賜物であり、私にとっての誇りですから妥協は許されません。それに、陸上は自分と同じくらいか少し速い相手と走った方がいいんですよ。実力差のある人同士が走った時よりも遥かにいい経験になります」
「だからこの間のロードワークは最高でした!」と満面の笑顔を向けてくる香月。そう言われると少し照れる。
「皆さん本気ですから。本気の皆さんに変に気遣いをしたら逆に馬鹿にしてることになっちゃいます」
「意外と考えてんだな」
「少し寂しいですけどね。でもトレーニングのアドバイスとか先輩からも聞いてきてくれて求められているのは嬉しいですし、逆に学校での勉強とかは教えてもらっている方ですから結構上手くやれてますよ~」
「そりゃあ良かった」
ここで快人だったら頭の一つでも撫でてやるんだろうけど、俺にそんなことをする癖も機能も無い。
それに俺はやはりファッション性より実用性を求めてしまう、世にいうつまらない男。なので、香月の努力への報酬はしっかり肉体労働で果たすとしよう。
「じゃあ、背中くらいは押してやるよ。今日は胸を借りるわけだしな」
「胸……っておおおおおお、おっぱいですか!?」
「ちげーよ!?」
やっぱりこいつは陸上に賭ける時間を少しでも勉強に割いた方がいい。そう思いました。
◇
「いった……」
「やっぱり固いな、運動してんの?」
「最近はあまり、かも」
開脚前屈をしながら苦悶の声を漏らす快人。背中は少し押しているだけなのにそれだけで痛いらしい。
「ここ、限界」
「じゃあ10秒な。いーち、にー、さーん……」
ほんの僅かに緩やかに腕に込める力を強くしていきながらカウントを始める。徐々に快人の悲鳴が大きくなっていくが、無視。ドSでしょうか? いいえ、誰でも。柔軟ってのは少しきついってところまでやんないと成長しねぇんだよぉ!
「じゅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
「な、がい……」
「すぅっ、うーーーーーーーーーーーーー」
「呼吸挟んでんじゃん! もういいって!」
「情けないなぁ」
「お前は情けが足りないっ!」
善意のつもりでやったのに、何故怒鳴られるのか。
俺のプッシュから解放された快人が「次は俺が押してやるよ」と憎悪の籠った笑みを浮かべながら言ってきたので謹んでお願い申し上げることにした。
「……これ、俺要らないよな」
「いや、十分ありがたいです」
今度は俺の開脚前屈だが、体の柔らかさには自信がある。最近サボりがちだが、柔軟は物心が付いた時からずっとやっていたし。
そんなわけで前屈をすれば地面に胸が付く程度には柔らかい。それでも自力で倒すのにも限界はあるので、こうして背中を押してもらうのも無駄なんてことは全く無いわけだ。痛いということは無いけれど。
「話を戻すけど、柔軟はやった方がいいぜ。怪我をしにくくなるし。別に家の中でも簡単に出来るんだからさ」
「こうも柔らかいところを見せられると説得力あるなぁ……うん、やってみる」
「外に出て体を動かすのも大事だけどな。体育の授業だけじゃ足りないんだから……って、家事とかもあるしそれはキツイか?」
「それもそうなんだけどね……ちょっと最近ちょっと勉強に力入れてて」
「勉強?」
これは珍しい。快人は確か生徒会長ターボが入って平均より少し上くらい。元々勉強が得意では無いだろうし、好きでもない筈だ。
「へぇ、なんかの心境の変化?」
「まあ、ね」
少し歯切れが悪いものの快人は確かに頷いた。何か隠していると思ったが、隠し事の一つや二つ誰にだってあるもの……どう考えても快人が俺に隠していることよりも、俺が快人に隠していることの方が多いわけだし、そこを追求するような真似をするつもりはない。
「だからって中々すぐに身が入るわけじゃないんだけどさ」と苦笑する快人に俺も同意しつつ、その後はいつも通りの雑談をしながら準備運動を終えた。
「それで鋼、走るっていってもどの種目をやるんだ?」
「さあ」
「さあって」
「香月の種目知らないし……香月、どうなの?」
「決めてません! 私基本的になんでもできるので!」
陸上の神に選ばれし者、香月怜南。流石の天狗っぷりに本当に陸上部で人間関係築けているのかちょっと心配になってきた。
「取りあえず1500メートルとかどうです?」
「いきなり1500!? もうちょっと軽めのがいいなぁ……」
「じゃあベタに100メートル1本走っておきましょうか。皆さんの走力も知りたいですし」
走力って陸上でも使うんだなぁ。野球だけだと思ってた。ふしぎ~(小学生並の感想)。
「じゃあ100メートルにしようかな」
「……え? 快人君、今なんて?」
「何、鋼、いきなり……いや、怜南の言う通り軽く1本走っておこうって」
「1本……1本ってそれ、100メートルかい……? 短距離100メートル走を1本ってことかい!?」
「そうだけど……なんか言い方くどくない?」
「はいっ! 快人君100メートルお買い上げ!」
「お買い上げ!?」
驚いたような表情をしている快人……は、いいとして。
100メートルか……まあ、1本はいい。そもそも考えてみれば今日が終われば陸上部の活動はテスト直前の休みに入る。休みを挟んだら香月との関係もうやむやになっていくだろう、多分。
たった1日、今日は特別な日だ! ……特別な日だと思うとなんだか100メートルは地味だな。なんかプラスしたい。
「で、つまみは?」
「はぁ?」
「折角走るんだよ!? ただの100メートルってんじゃ味気ないって! つまもうよ、何でもいいからさ」
「つまむって何。なんか足すってこと?」
話が早くて助かる。そうだよ、の意味を込めて頷いて見せた。
そう、俺は親友モブ。もはや快人がラブコメの主人公であるかは不明だが、快人にとっての親友モブであるという俺の覚悟は変わらない。であるならば、古藤、桐生、そして香月という美少女3人が揃ったこのイベントには何か撮れ高が必要なんだよ!
でなければこのギャルゲーがアニメ化した時にこのシーン丸々カットなんてこともありえるんだ! 馬鹿みたいにクソ暑い中走らされてセリフ1行で処理とか割に合わないから! 製作陣はもっと登場人物に気を遣ってくれなきゃ、キャスト俺もストライキしちまうよ……
「じゃあ、競争形式にするのは? 誰かと走ればその分燃えるし」
燃えるって……もしかしてあんた、お祭りスポーツスピンオフ化狙ってます? 流石にそれはきついんじゃないかなぁ(やりたくない)。その時は親友ポジションを利用して実況役になるか。
「競争……まぁ、そんなところか」
「嘘をついちゃあ、いけませんわ」
「ハッ!? この声は!!」
思わず声の方に振り向くと、奴がいた。
太陽をキラキラと反射させる美しい金色の髪が眩しい……いや、本当に眩しい、公害かお前は。
そう、何故かそこに、ボディラインが浮き出るようなスポーツウェアに身を包んだ光反射公害美人生徒会長、命蓮寺蓮華がいた。エロい(思春期男子並の感想)。
「フフフ……下手ですわね、快人君」
「えっと、蓮華さん?」
「へたっぴですわ!」
明らかに突然の登場にグラウンドの皆さんが困惑している……が、これは思わぬ援護射撃だ!
ふと蓮華と目が合い、彼女から「ここは任せろ」という意思が伝わってきた。
なるほど、思えば蓮華は俺の師匠みたいなものだ。俺が先ほどノリでぶち込んだネタを拾うのも当然、何より素晴らしいイベントを提案するに違いない……!
「欲望の解放のさせ方が下手……快人君が本当に欲しいのは、アレですわね」
アレ? ……と、蓮華に視線誘導されて見た先に有ったものは……!
「は、ハードルゥゥゥ!?」
そ、その手が有ったかー!?
「ハードル……ですか?」
「これをグラウンドに置いて、熱い太陽の日差しでアッツアツにして、広いトラックの上で跳びたい! でしょう?」
「うっ……!」
「何で鋼が心惹かれてるのさ……いや、流石にハードルは」
「フフフ……だけれどもそれはあまりに体力を使うから、しょうもない疑似レースでごまかそうって言うんですわね」
しょうもない……賞も無いだけにィィィ!? 悔しい……でも、座布団1枚!
「ありがとう」
心読まないで! 話進めて!
「快人君、駄目ですわよ……そういうのが実に駄目。折角走ってスカッとしようって時にその妥協は傷ましすぎる。そんなんで走っても楽しくないですわよ?」
「そう、でしょうか」
少しずつ快人の心が揺れ動き始めた。生徒会長への信頼と説得力と暑さによる判断力の低下によるものだとは思うけれど、そう思えばこそこのクソ暑い中でハードル走なんて正気の沙汰じゃないけどね。
「嘘じゃあないですわ。それではかえってストレスが溜まるというもの。跳べなかったハードルがチラついて、全然スッキリしませんわ。心の毒は残ったまま……自分への試練の出し方としちゃ最低ですわよ」
……そうかも。
「快人君、試練ってやつは……小出しにしては駄目ですわ!」
その言葉に、快人と俺に電撃が走るッ!
「やる時はきっちりやった方がいい。それでこそ、普段の日常の励みになるというもの……違います?」
「言われてみれば……」
「確かにそうかも……」
俺たちの心から漏れ出した声を聞き届け、パンッと手を叩く蓮華。
「はいっ、ハードルお買い上げ! 香月さん?」
「1分お待ちください!」
え、香月!?
そういえば静かだー!! と思っていたら、あの野郎は既にトラック上にハードルを並べ始めていた。もしや、ハードルの話題が出た瞬間に動き始めてたな!? その方が面白いと思って!!
しかも、しれっと事情を知らない古藤と桐生に手伝わせている……策士……ゆうたとちょっとばかりキャラ被りしていると思っていたけれど、こいつも策士……あいつが孔明ならこっちは司馬懿……!
「でも、そうなると」
こ、これ以上何が……改めてハードルを見た俺と快人を襲う恐怖。それを見透かしたかのように、蓮華はニヤッと口角を上げた。
「"1本”じゃ全然物足りませんよね?」
はんちょっ、会長ゥゥゥ!?
その後めちゃくちゃハードル走した。ちなみにハードル走をしたのは俺と快人と香月、そして発言責任により急遽参加することになった蓮華。服装的に元々参加する気満々だっただろうけれど。
流石に古藤と桐生に跳ぶことを強制する気は無かった……が、こんなハードル走などあくまで前座ということを俺たちはまだ知らなかった……!
次回、俺たちに陸上界のティーボーンステーキが襲い掛かる!! 乞うご期待!!