第44話 少し冷える夜
「むにゃむにゃ……まだ走れます……」
などとテンプレから少し外れた寝言を呟いているのは当然、香月後輩その人である。
彼女を俗称お姫様抱っこして運んでいる姿を誰かに見られれば不審に思われるかもしれない。それも薬で眠らせているという事実を知られればこれもうギルティですね。
ただ俺の名誉のために言えば、気分的にはお姫様抱っこというより布団運び持ちと言った方が合っている気もする。これはただの運搬クエストだ。お母さんが察してやってくるのであれば喜んで差し出したい。
遡ること数分。結局ブラッドとの会話はあれで殆ど全部だった。具体的な異世界転移の手段や日時は告げぬまま、事前通告と意思確認のみ終わらせると、「悪い、これから夜勤なんだ。また会いに行く」とツッコミ所満載の言葉を残して去っていった。
去り際の背中に「今度は普通の格好で来いよ」と投げやりに投げかけたが変態おじさんセットをちゃっかり回収していったところ不安は拭えない。あの姿で現れたら多分脊髄が気を遣ってキックを繰り出すと思われる。それはそれでいっか。
そして、現在は残された香月を拾って家に届けているところである。
ああ、そうだ。そもそも最初はおんぶしていたんだ。なのにこの陸上馬鹿、薬物による昏睡から自然な睡眠状態にスライドしてやがった。その薬物耐性というか胆力というか図太さというかにはブラッドお姉さんも吃驚仰天されていましたよ、ええ。
睡眠中の香月の無防備さたるやいなや、涎でだらだらと俺の肩を濡らし、樹液を啜るカブトムシよろしく首に食いつきとやりたい放題だった。
流石の椚木さんもこりゃたまらんと香月後輩を持ち替え、ようやく安心したというわけでございます。
「確かこの辺だよなぁ」
まるでRPGのキャラクターのように独り言を呟いた俺の目的地は勿論香月ズハウスである。当然行ったことも、住所さえ知らなかったけれどそこは文明の利器スマートフォンのお力だ。
名探偵椚木くんは香月のスマートフォンの四桁パスを突破し、プロフィールを漁ったわけだ。きっちり住所の記載ございました。まめだ。
ちなみにパスは誕生日だった。香月のプロフィールはリサーチ済みだったので誕生日くらいは分かった……ってガタガタだなこの作戦。偶然上手く行っていなかったら最終兵器生徒会長(なんか知ってそう)に連絡していたところだった。ホモ疑惑を掛けられて気まずいので避けれて良かったネ。
「しぇんぱい、やりまひたね……ふたりそろっていちいですよー……」
「どんな状況だよ。ゆとり教育かっつーの……と、ここか」
表札に香月と書かれた一軒家があった。電気はまだ付いている。
インターフォンを肩を押し当てて鳴らすと『はい~』とまったりした声が帰ってきた。
「櫻鳴高校の椚木といいますが、怜南さんを送ってきまして」
『あら~そうなの~? どうぞ、上がって~』
まった~りとしたお返事をいただき固まる俺。
上がるって香月邸に? このまま? と結局数十秒その場で突っ立っていると香月邸のドアが開かれた。
「あっごめんね~両腕塞がってるもんね~」
そう、顔を出したのは確かに香月のご家族だった。
ボーイッシュな雰囲気の香月に対し、出てきた女性はほわっとした雰囲気の人……うーん表現しづらい。ただ、目元とか鼻筋はそっくりで血の繋がりを感じさせる。とても若い方だ。お姉さんかなぁーなどと思いつつ、香月を抱いたまま近づく。
「まあ、気持ちよさそうに寝ちゃって~」
ニコニコとよく眠る香月の頬を人差し指でつつくご家族の方。受け取って頂きたいのだけど。
「えっと……」
「あっ、立ちっぱなしじゃつらいよね~? どうぞ~」
結局上がるしか無いようだ。ただ小柄で非力そうな彼女に香月を押し付けるのも抵抗がある。さっさと運んでさっさと撤退しよう。
「足下気をつけてね~」
なぜ二階に上がるのか。いや、考えるのはやめよう。女性に連れて行かれたのはおそらく香月の部屋だった。
ドアには怜南と書かれたネームプレートが下げてあったのでまず間違いないだろう。
部屋の中は当然電気が消えて暗い。ベッドの位置は分かるがインテリアを観察することは難しいという実に都合のいい状況だ。
俺は香月を着の身着のままベッドに寝かせようと、
「痛っ」
何かとても重いものに足をぶつけた。転びはしなかったものの最後少し香月を投げる形になってしまった。
「すぅ……」
「起きてはないか……ったく、なんだってんだ?」
躓いた物に手で触れ、持ち上げる。
「これ、ダンベルか……にしたって」
おそらく10kgくらいの重量のそれに冷や汗が出る。こいつは今年高校に上がったばかりの女子高生だろ。一体何と戦っているんだ……
思わず、というか興味本位で香月の二の腕を摘まんでみた。
「ふにっ」
香月の声が震える。その声に反射的に手を離した。何やってんだ俺。寝てる子に向かって。
にしたって、スベスベな肌だった。筋肉でガチガチという訳ではなくしなやかな腕……ただ、それですらか弱いと感じるのは異世界での経験のせいだろう。
「あらあら~」
まったりとした声に身をすくます。音源の方を向けば先ほどの女性がニコニコと室内、というか俺と香月を見て微笑んでいた。
「いや、あの、これは」
「紅茶淹れたんだけど~どう~?」
「……イタダキマス」
拒否権を与えられていないわけじゃない。あくまで選択はこちらに委ねる、そんな雰囲気だった。
ただ、向こうの意志はどうあれ、状況的に拒否権が無いと思わされた時点で負けなのだろう。
◇
「それで、何ヶ月目~?」
「ブフッ」
単体氷結魔法が如く紅茶を噴出する。
「付き合ってません」
「え~そうなんだ~」
相変わらずのニコニコ。残念そうで無いのは良かったと思うべきか。
「あの、香月、じゃなくて、怜南さんのお母さんでいいんですよね」
「はい~怜南の母の美紀です~」
良かった。見た目姉のような年齢だが、香月に姉妹がいるという情報は無かったから。
「えっと~君のお名前は、椚木なに君~?」
「あ、鋼です。椚木、鋼」
「鋼君か~よろしくね~」
よろしくと申されましても、ご家族によろしくするほど俺と香月の関係は深い訳じゃない……筈。
「でも残念だな~付き合ってないんだよね~」
「えっ」
ドキッとした。残念がってたのか、わかんねぇよ!
こういう、常に笑顔を浮かべているタイプは感情が読みづらく苦手だ。香月の時々間延びする口調とかは似ているから親子っぽくは思うけど。
「怜南ちゃん、可愛いと思わない~?」
「い、いきなりなんですか」
「思うかどうか、聞いてるんだけどな~」
「オモイマス」
あ、この人笑顔で相手を追いつめる系の人だ。
「怜南ちゃん、陸上一筋でね~。少し学校でも浮いちゃってるみたいで心配だったんだけど~鋼君みたいな子が傍にいてくれれば心強いなぁ~って」
「は、話が急では!?」
「だって、誰かの腕で気持ちよさそうに眠ってる怜南ちゃん、初めて見たもの~」
気持ちよさそうでしょう……でもあれ、薬で眠らせているんでっせ……もう切れてるけど。
ただ、訂正をすれば背負ったときは捕食されかけたので食糧扱いの方か正しいだろう。
「鋼君は同じ陸上部の子~?」
「いえ、違います」
「だよね~怜南ちゃんから聞いたこと無かったもの~」
「今日は偶々、一緒に走る機会があって」
「まあっ」
パーっと花が咲くような満面の笑みを浮かべる美紀さん。
「だからあんなに満足そうだったのね~」
「満足、ですか?」
「いっぱい走って疲れた~みたいな感じかしら~。最近不完全燃焼だ~って言ってたから、あんな顔見れて嬉しいわ~」
血の繋がった娘だもの、寝顔でも分かるのよ? と、美紀さんが微笑む。その笑顔が随分眩しく見えたのはなぜだろう。
咄嗟の感情に名前は付けられず、それでもその感情に押し出されるように言葉が口から零れ落ちた。
「親、か」
「ん~?」
「何でもないです。ああ、すみません。もう遅いので帰ります。紅茶、ご馳走様でした。美味しかったです」
満面の作り笑顔を浮かべ立ち上がった。ちゃんと自分の鞄を持ち玄関に向かう。美紀さんは特に引き留めることもなく玄関まで見送りに来てくれた。
「今日は本当にありがとうね~」
「いえ」
「もしよければ、これからも怜南と仲良くしてくれると嬉しいわ~」
「こちらこそ」
それを決めるのは香月本人だ。陸上部に入るつもりは無いけれど。
「ああ、そうだ。多分大丈夫とは思いますけど、もしも怜南さんが起きなかったら連絡ください」
メモに携帯番号を走り書きし、美紀さんに渡す。美紀さんは首を傾げながらも受け取ってくれた。
「いつまで寝てんだって叱りに来ますから。おなじ櫻鳴の先輩として」
そう冗談めかして笑うと、美紀さんも笑顔になる。
一応保険だ。冗談で済めば何よりだが、万一薬の効き過ぎで起きなければ対策を取らねばならない。
おそらく杞憂になるけれど。
「あの、不躾な質問なんですが」
「なぁに?」
「怜南さん……美紀さん方ご家族はずっとこの家に住まれているんですか?」
二階建ての一軒家。借り屋ということはあるまい。
「ええ、そうよ~。主人と結婚した時から住んでるの~」
少し照れた笑顔で答える美紀さん。そんな彼女に俺も自然と笑顔になる。
「家族でご病気とかは?」
「無いわね~。怜南ちゃんも風邪すら引いたこと無いんだから~。主人も私も怜南ちゃんが生まれてからずっと健康そのものよ~」
「そういえばご主人は?」
「今、他県に長期出張中なの~」
「じゃあ、あまり長居して悪い噂が立ってもいけないので、急いで失礼しますね」
「大丈夫よ~? そんな風に思われないから~」
確かに心配なさそうだと旦那さんのことを語る美紀さんの顔を見て察した。いい惚気っぷりだ。
「それじゃあ、失礼しますね」
「気をつけてね~」
美紀さんに見送られつつ香月邸を後にする。
すっかり夏日だが夜道が少し冷えるように感じるのは、先ほどまで香月の体温を感じていたからか、それともあの家にいたからだろうか。
香月邸から俺の部屋までは二駅分ほど。温かい紅茶を飲んだこともあり火照った体を冷ますには丁度いい。
「母親か……」
香月に向ける太陽のような暖かな笑顔、旦那さんに向ける少し色っぽい魅力的な表情。まるで中に大人と子供が同時に存在するみたいな不思議な存在だ。
勿論全員が全員そうでは無いことは分かる。美紀さんはきっといい方の母親だろうと思いつつも、ほんの僅かな時間話しただけだ。
俺は、俺の母を知らない。父のことも知らない。
死んだと知らされたときは涙さえ流せなかった。
命蓮寺家で残っていた両親のムービーを見たことがある。ただ、そこに映っていたのは他人だった。そうとしか思えなかった。
俺の肩を抱き、涙を流す蓮華をよそに心が冷え切るのを感じていた。
俺にとって両親というのはそんな空虚な存在だった。
なのになぜだろう、今になって両親の事が知りたいと思うのは。
どうせ知ったところで、両親だという自覚も感じられないだろうに。
「お前は当然、知ってたんだよな」
人質に取られた両親を守るために、日常を生きてきた少年は剣を取り心を壊した。彼にとって家族はそれほどの存在だったのだろうか。
「たく、考えても仕方ないってのに。やめだ、やめ!」
自分を納得させようと、暗示をかけるように発した。
それでも体に喪失感のようなものを覚えたのは、きっと火照った体から体温が逃げていっているからだ。
そうに違いない。