第42話 香月、落つ!
目の前の美女がブラッドだと知って驚いたが、同時に納得できる部分もあった。
ブラッドは異世界で旅をしていたパーティーの中で、痒い所に手が届く孫の手的な奴だった。例えが合っているかは分からないが。
基本冗談抜きで何でもできる奴で、その数多ある特技の中の一つが変態おじさんに化けていたような変装だった。
魔力を用いず、特殊な薬品や素材をかき集め、まるで本物のように変化してしまう。それこそ創作の中の怪盗紳士ばりに。これは魔力反応で察知されないという点で非常に便利で、あらゆる要所に侵入しては情報や重要アイテムを取ってきたりしてくれたというわけだ。
変装は自分よりも小さいか、大きすぎる存在でなければ基本的に可能で、変態おじさんも可能な範囲だ。
こちらの世界の素材で作れるか疑問にも思ったが、良質な素材という点では異世界よりも充実していそうだ。それに魔力回復薬を持っていたことを鑑みるに、向こうから何かしらを持ち込むことは可能なようだし考えるだけ無駄というものか。
「久しぶりだな、コウ」
改めるように、そう言ってきたブラッドに無言を返す。
ブラッドと俺は仲間だった。だが、思ってみればその関係は良好でなかったように思う。他の二人がお節介だったというのもあるので、対照的に余計にそう思うだけかもしれないが、俺とブラッドはいわば仕事だけの関係。勇者とそのパーティーメンバーとしての会話以外をした記憶はあまり無い。
などと思い返していると、横から香月がカットインしてきた。
「なるほど、先輩はこの美人さんと知り合いだったんですね~……って、顔怖いですよ?」
……どうしてこいつはこんなに空気が読めないのか。後輩というのはそういうものなのか? ゆうたもそういう感じだし、キャラ被ってるんだよなぁ。向こうは馬鹿、こちらは猿という違いがあるけど。動物の数的にはゆうたの方が優勢だが、戦えば確実に香月が勝つだろう……って、そんなしょうもない脱線している場合じゃない。
「色々聞きたいことはあるけれど、お前、女だったんだな」
「ああ」
「あっさり肯定しやがって……俺としては結構な衝撃だったんだが」
なんたって数年間一緒に旅をする中でずっと男だと思っていた相手だ。
しかしそんな俺の言葉にもブラッドは不機嫌そうな顔を崩さない。不機嫌そうに見えるだけでこれがデフォルトだと思うが。
「エレナとアレクシオンは知ってたのかよ?」
「ああ」
「そ、そっか」
知ってたんだ……知らなかったの俺だけだったんだ。何だろう、この数年越しの疎外感。
ほんのちょっぴりブルーな気持ちに陥っていると、肩を控えめに叩かれた。これまた空気が読めない陸上ガールによるものだということは明白だ。
「なんっ」
そちらを向くと頬に香月の人差し指が刺さった。古典的な……
「ちょっと先輩、全然付いていけていないんですが」
「良い子はさっさと帰りなさい」
「そう言われてもですね、このままじゃ気になって眠れないというか」
ぐりぐりと人差し指で頬を捩じってくる香月。鬱陶しいなぁ。
「A先輩がホモだということは分かりましたが」
「違うからね!?」
「エレナとか、アレクシオンとか、外人さんですか? そちらもブラッドという、何だかカッコいいお名前で」
訝し気な視線を俺とブラッドに向ける香月。思えば、こういう異世界話をした相手は蓮華以外に初めてだ。普通に考えて、大真面目に異世界とかファンタジーの話を自分のことのように話していたらイタい。
下手すれば明日には学校中に噂が広まるかもしれない。「椚木鋼という2年生の男子は自分が異世界の勇者だと勘違いしている」と。体育会系のネットワークを舐めるな。あながち否定が出来ないのも辛いところである。
「これはオンラインゲームの話だ」
「えっ?」
オンラインゲーム……って、もしかして今ブラッドがそう言ったのか?
思わず目をブラッドを見るが、ブラッドは相変わらずのしかめっ面を香月に向けていた。
「俺とコウは同じオンラインゲームをプレイしている。これはオフ会というやつだ」
「なるほど。道理でファンタジーちっくな会話が交わされていたわけですね」
納得して頷く香月。いや、今度は俺が納得できないんだけど。なんで異世界人のブラッドさんがオンラインゲームとかオフ会とか知ってんのさ!
「つまりブラッドさん……えっと、そう呼んでも?」
「構わない」
「ブラッドさんは男性キャラクターでプレイしていたけれど実は女性で、それを同じゲームをやっている人たちは知っていたけれどA先輩だけ知らなくてビックリということでしょうか」
「そうだ」
大体合ってる……のか? なるほど、ゲームの設定と言ってしまえば何とかなるのか。
気になるのはブラッドがどうしてそういう知識を身に付けているのかということだが、追及をしてしまえばこの設定が嘘だとバレる。ここは乗っかるしかない。
「そうなんだよ。まさかブラッドがネナベだったなんてなぁ。あっはっは」
「ネナベって何ですか?」
「ネットでは男、実際は女という意味だ」
ブラッドさんんんん!? なんでそんなことも知っているのですか!?
「そんなことは今はいい。コウ、話がある。どうしてこのオフ会を開いたかだ」
どうしてブラッドがこの世界にいるのかという意味なんだろうけど、香月の手前緊張感が薄れる。
「香月、お前はもう帰れ。これ以上はプライバシー的なアレがだな」
「別に私は気にしませんので続きをどうぞ」
「しろよ! してくれよ!」
「先輩がインターハイで1位を取ってくれれば考えましょう。」
「あのさぁ……」
「ああ、安心してください。種目は問いませんし、練習は私が付き合いますよ」
「それ未来の話だからね!? 俺は今帰れって言ってんの!!」
こいつマジで話聞かねぇな! 体育会系ってみんなこうなの!?(熱い風評被害)
「心配なさらず。入部届は明日私が代わりに、あふぅ……」
得意げに語っていた香月だが言葉の途中で間抜けな声を漏らし、まるで全身弛緩したかのように身体を傾けた。そのまま倒れそうになった彼女を俺は咄嗟に抱き留める。セーフ……
「って、おいっ!?」
香月は寝ていた。すうすうと気持ちの良さそうな寝息を立てている。
「慌てるな、少し薬で眠らせただけだ」
「おま……」
見れば、香月の首に小さな針が刺さっていた。おそらく睡眠薬が塗られているのだろう。
「問題無い。1時間程度眠ってもらうだけだ。彼女がいては話も……」
「うぅ……ん……あれ? 私寝てた……?」
「「えっ!?」」
ブラッドの言葉の直後、薄っすらと目を覚ます香月。
「あ、ありえん……」
「もっと強いのぶち込め!!」
「ぶち込むって、先輩一体何を、あふぅ……」
再び眠りにつく香月。今度は大きめの針が4本ほど刺さっていた。
「これで……大丈夫か?」
「分からん。だが、一本で成人男性を数時間眠らせるくらいの威力はある」
「さっきのがこいつくらいの女子を1時間程度眠らせる薬量だったんだよな」
頷くブラッド。
「それが数秒だから……まぁ妥当か」
「これだけ打ち込んでおいてなんだが、彼女は化け物か?」
「否定できない」
おっかなびっくりな身体能力を持つ陸上ガールの化け物っぷりを再認識しつつ、出来るだけ寝心地の良さそうな、ブラッドが脱ぎ捨てた変態おじさんスーツの上に横たわらせた。
その後、会話の声でも刺激しないように少し離れた場所に移動し、そこに落ちていた鉄骨の上に腰を掛ける。
変装スーツを完全に脱いだブラッドは白のタンクトップにショートパンツという殆ど部屋着のような恰好になっている。無防備な露出とチラリズム、凄まじい汗の量に色々と危なっかしい姿だが、幸いずっと一緒に旅をしてた男性という印象のおかげで変な反応をすることは無かった。
「その、なんだ」
だが、俺がこの世界にやってきて以来、異世界の人間と話したことは当然無い。一体何を話せばいいのか、上手く纏まらない。
「随分大きくなったよなぁ、お前。男児三日会わざればなんて言うけれど、流石に成長し過ぎじゃないか?」
ブラッドは大体俺と同い年くらい、身長も165センチくらいの俺より少し低い程度だったが、今は俺よりも身長が高い。おそらく170センチ代中盤くらいあるんじゃないだろうか。
「男児じゃない。が、生きた時間が異なるからな」
「どういう意味だよ」
「俺は、お前が此方に飛んだ5年後にこの世界にやってきた」
「5年後……」
「そして、俺がこの世界に来たのは今から5年程前……お前よりも3年早く来ている。だから、お前よりも8年ほど老いているということになるな」
ブラッドの言葉に嘘は無いと感じた。俺とブラッドの成長に差異が生じているのは明らかなことだ。それでも、はいそうですかと受け入れることも難しい。
もしもこいつの言ったことが正しいのならば、向こうの世界と、こちらの世界で流れる時間は異なるということになる。俺がこの世界から消えた時間、向こうで過ごした時間、こちらに再度やってきた時間にズレが無いのはただの偶然だったということだろうか。
「コウ、俺がこの世界に来た理由、分かっているんだろう?」
相変わらず、考える間を碌にくれないやつだ。旅をしていた時だって、一応リーダーは俺の筈なのに俺の指示を待っちゃくれなかったし、こういうところは変わらない。
ただブラッドの言う通り、こいつが何を言おうとしているか俺には想像が付いている。そもそも、こいつがブラッドだと分かった時点で十分予想がついている。
だから俺はブラッドに肯定も否定も返さず、ただ無言を返した。
「俺がこの世界に来た理由、それはコウ、お前を連れ戻す為だ」
想像通りの言葉を聞いて、やはり俺の中に感情が生まれることは無かった。
香月が眠ってから急速に血が冷めていくのを感じていた。最初はそれを誤魔化そうとして、でも途中から誤魔化すのも馬鹿らしくなって。
香月を眠らせたのは失敗だったかもしれない。そんなことを考え、つい自嘲するように笑った。