第41話 悲しき誤解
「もしもし……」
自分から出た声が思ったよりも低く暗かった。
『……随分不機嫌そうね』
予め画面に表示されていた名前で電話の主が誰かは分かっていたが、彼女の反応は少し意外に感じた。
彼女、桐生鏡花は怒っていると俺は思っていた。実際、開口一番放たれた彼女の言葉も俺を、というか思わず俺の怒られるのが嫌だという心情を映したトーンを責めるものだったのだが、その彼女の声色がどうにも、安堵しているように感じられたのだ。
俺は看病に来てくれた彼女達を放り出して出てきたのだから、責められても仕方がないと思っている。この電話もそれを責めるものだと。しかし、桐生の反応はまるで俺の安否が確認出来てホッとしているように感じられた。
「桐生、ごめん。俺、折角お前が来てくれたのに」
思わずそう謝っていた。思わず、ではないか。謝罪をしたいという気持ちは確かに俺の中に存在したのだから。
それでも自分の為に守りを固めた俺と、俺のことを心配してくれていた桐生、その器の違いを自覚して、その恥ずかしさを取り繕うように口に出していたということが、やはり恥ずかしかった。
『繋がった? 繋がったんですか!?』
電話の向こうから蓮華の声が聞こえた。どうやらあのまま蓮華とは一緒にいるようだ。
桐生はそんな蓮華の反応に対して不機嫌そうに唸る。蓮華のことだから電話を奪おうとしたのだろうか。蓮華の身体能力は猿並みだが、桐生も武道を修めているだけあって体裁きは中々のものの筈だ。
電話の向こうで二人の攻防が行われていると少し面白い。
『椚木君、謝罪はいいわ。ああ、許すというわけでは無いから勘違いしないで』
こんなツンデレ嫌だ。
『一つ、聞いておきたいことがあるの。私達のこれからについて、非常に重要なことよ』
「な、なんだよそれ」
あまりに真剣な声色と物騒な言葉に俺は生唾を飲み込んだ。電話越しに睨まれている……そう、まるで責められているような気分になる。
『桐生さん、ちゃんと言葉は選んでくださいね。非常にデリケートなことですから……』
『分かっています……椚木君』
電話の向こうで蓮華とそんな会話をした後、ふぅ、と短く息を吐き、気を引き締めた桐生は、その質問を口にした。
『あなた、ホモなの?』
「はあああああああああああああ!?」
思わず叫んでいた。桐生の言葉の意味が分からなかった。それでも叫んだのは、とりあえず叫ぶべきだと思ったからです。
「ちょ、桐生、お前何言ってんだ? 俺がホモ? なんでそんなことになるんだよ!?」
「なんでって」
俺の疑問に言葉を返してきたのは電話の向こうの桐生ではない。彼女は『全然言葉選んで無いじゃないですか!』と騒ぐ蓮華と何やら言い争いをしていて俺の言葉なんか聞いちゃいない。質問しておきながら……
声の主は俺の傍らに立つ香月だった。
「先輩の反応を見るにアレとキスしたところを目撃されていたわけですよね」
香月が指差したのは地面に落ちた変態おじさんの顔だ。
「そ、うだな」
「それはもうアウトですよ」
「どうしてそうなる!? 俺は一方的にやられただけだ!」
そうだよな!? と首から上が美女になったおじさんに向かって叫ぶ。
が、おじさんは顎に手を当てて、
「なるほど、見せつけたつもりは無かったが、確かに腰を抱いてキスをしたというのはそう思われてもしかたない構図か」
「だからどうしてそうなるんだよ!」
もしかしたらこいつも天然なのか!? 心が狭いと思われるかもしれないが、俺は天然と言えば何しても許されるという風潮が大嫌いなんだ!
え? そんな風潮無い? あるところにはあるんだよ!
「私は分かってますよ。先輩は被害者なんですよね~」
「そうだよ! 全く疑う余地無いだろ!?」
『そう……だったのね』
「え?」
電話の向こうから、桐生の非常に落ち込んだ声が、聞こえてきたよ。
「そうって、えっと、桐生、どうしてそんなに落ち込んで」
『別に、落ち込んでなんていないわよ……別に、椚木君がホモでも、ええ、別に、別に、落ち込んでなんて……』
そう言う桐生は何故か涙声だった。
「あの、桐生さん?」
『鋼』
「れ、蓮華!?」
『突然桐生さんが泣き出すものですから、代わりました。ええ、そうですね泣いてませんわね。目に鋼の唾液が入っただけですもんね』
「電話越しに唾液が入るか!」
『分かっています。けれど、鋼の口から出たものが彼女を、そして私を傷つけたことは確かですよね?』
明らかな責める口調。蓮華が俺に向けるものとしては、とても珍しかった。
『桐生さんの、“鋼はホモ?”という質問に思いきり、疑いようのないほどはっきりと、“そうだ”と答えたのですから。むしろ私も非常に動揺して、なんだかもう、高い所から飛び降りたい気分です』
「何その漫画みたいなタイミング!?」
電話の向こうで二人が話してて、俺がこっちで香月たちと話してて、偶々重なったところで絶妙に会話が通じてしまう、そんなのあまりに出来過ぎだ!
「蓮華、それに桐生も、違うんださっきのは」
『違うって何がですか! 私、知りませんでした。知らないで、鋼の話を真に受けて、自分の気持ちに蓋をして……でもそれが全部鋼の欲望を満たすためのものだったなんて! 綾瀬君の親友モブなんて自称してたのもその為だったんですね!?』
「それも違うから! 誤解が大きくなってる!」
『想像してみてください! 想いを寄せていた相手に、“あ、生理的に無理。同性愛者だから”と言われた人の気持ちがっ!』
「何の話だよ突然! いいか、蓮華、俺はだな……」
言葉の途中でブーッとスマホが震え、蓮華の声も聞こえなくなった。
慌ててスマホを見るとバッテリー不足の表示が画面に映っていた。
「ぬえぇ!?」
何で電池切れた!? もう夜に差し掛かる時間帯、そりゃあバッテリーもギリギリだったけれどタイミングが良すぎるんじゃないか!?
「先輩……」
香月が呆然と俺を見て、ニッコリと笑顔を浮かべた。
「これはもう陸上部に入るしかありませんね!」
「ごめん、今そういう話する気分じゃないから」
スマホを乱暴にポケットにしまい、変態おじさんを見る。
「おい、あんたのせいで滅茶苦茶面倒なことになってるんだけど? どうしてくれるんだよ!?」
「悪かった」
「あっさり謝ってんじゃねぇ!」
「先輩、情緒不安定ですね」
「そりゃ情緒不安定にもなるわ! クラスの友達とはとこにホモだと思われたんだぞ!?」
正直死にたい。これで俺はあいつらにとっては快人を狙う親友の皮を被った同性愛者に映ることだろう。俺の崩れかけていた親友モブのポジションが思いがけない説得力を持って全く別のものに転生しやがった!
「落ち着け、コウ」
「てめぇのせいだろうが! 何を偉そうに!」
「魔力欠乏により命の危機にあったお前を助けるには、有無を言わせず魔力回復薬を飲ませる必要があった。その為に俺としても苦渋の決断だったんだ」
ズルっと、元変態おじさんのだらしない体が、まるで着ぐるみのように裂ける。腰から上が露になったその本当の姿は確かに香月の言った通り女性のものだった。筋肉質な引き締まった体つき、それでいてはっきりと膨らんだ胸がモデルのような完璧なスタイルを演出している。
そんなナイスバディー(死語)を包んでいるのはどこにでも売っているような白のタンクトップ(下着)であり、それがやけにエロい……じゃなくて!
「何いきなり脱いでんだアンタは!」
「はっきりと俺が女性だと分かった方がお前も納得が行くだろう? その、キスとかも」
「いや、俺が納得しても誤解は……って、俺?」
女性の一人称としては珍しい。イケメンとも思えるような凛々しい顔立ちには似合っていると思うけれど。
「ん?」
だが、こうして改まって彼女を見ると、どうにも既視感があった。
紅いショートヘアー、見るものに威圧感を与えるような鋭い紅い目、何より……
「その傷……」
タンクトップから覗く、左肩を鋭い爪を持つ手によって握りつぶされたかのような古傷。今でこそ癒えている様だが痕はまだはっきりと残っている。
――今だ……やれっ! コウっ!
頭の中でそんな声が蘇った。
あいつは普段からクールでとっつきにくいやつだったけれど、その時は俺の盾になって、敵を抑え、身を挺して攻撃のチャンスを作ってくれた。
その後、一命を取り留めはしたものの、傷痕はエレナの回復魔法を持っても消えることは無いだろうと言われていて……
「お前、もしかして……ブラッドか?」
そう言葉にして、自分で自分の言葉が信じられなかった。
だって、ブラッドは男だった。男の筈だ。何で女になっているんだ? いや、彼女が本当にブラッドだと決まったわけじゃ。
自分で言葉にしながらうだうだと考える俺に対し、彼女はしかめっ面を浮かべて頷いた。そんな彼女の表情を、ブラッドもよく浮かべていたものだ。
異世界での旅の仲間、ブラッド。
もう二度と会えない、会うことはないだろうと思っていた相手。
彼女が彼であるということを自覚した俺は、あまりにも情けないことに、変態おじさんと直面した時と同様に腰を抜かして地面に尻から倒れ込んだ。
突然ですが短編を書きました。
「ジョン子さん、パーティークビになるって……ええっ!?」という作品です。ええっ
https://ncode.syosetu.com/n3381ew/
ここの作品には関係ないです。
お時間、ご興味があればぜひご覧ください。




