【追想.4】大好きです
「へぇ、じゃあアンタがレイの王子様?」
「ら、ライラさんっ!」
「王子?」
「そこで僕に聞かれても困るなぁ」
バルログ達のアンテーラ村に来たその晩、俺、バルログ、レイ、そしてバルログと幼馴染だというライラの四人でテーブルを囲んでいた。メニューはウサギの肉と穀物を煮込んだスープにパンだ。
バルログとレイの祖父母は挨拶もそこそこに床についていた。今は収穫期で明日も早いのだそうだ。お二人にもやけに歓迎されたものだから俺も困惑してしまったのだが、このライラという少女の絡みに比べたら有り難いものだ。
「俺は王子じゃない」
「そりゃあそうよ。こんなところに本物の王子様がいる筈無いでしょ。比喩よ、比喩」
スプーンをクルクル回しながら呆れたように言うライラ。そんな彼女を見て顔を顰めるとすぐさまバルログが苦笑しながら割り込んできた。
「ごめんね、コウ。こういう子なんだ」
「ちょっと、それどういう意味よ」
「初めて会う人にライラは強烈だろ? 遠慮とかないし」
「至って普通じゃない」
「普通なもんか」
そんな会話するバルログとライラを眺めながら食べるスープはやけに甘く感じる。
ふと腕を控えめにつつかれ、そちら見るとレイが顔を近づけてきていた。
ん? ああ、そうか。
「コウさん、あの二人は、んむっ!?」
レイの口にスプーンを突っ込むと元々少し赤かった顔が更に真っ赤に染まる。
「悪い、熱かったか?」
「い、いえ……」
「わぁ、やるねぇコウ!」
「なかなか出来ることじゃないわね!」
「いや、見えないから食べさせてくれってことかと……」
何故二人がそうまで盛り上がっているのか分からない。
「余計なこと、したか?」
「お、驚きましたけど……嬉しかった、です」
「そっか」
今度は自分の口にスプーンを運ぶが、、どうにもバルログとライラの視線が刺さる。
「んだよ」
「本当に今日初めて会ったの? ラブラブじゃない」
「ラブラブ?」
「ライラ、違うよ。コウはこれは多分素だ。レイほど純粋じゃないと引かれて終わりだけどね」
随分とねちっこい視線と言葉のせいでどうも居心地が悪い。巻き込まれた形になったレイなんてすっかり小さくなってしまっている。
「でもね、コウ。ここはレイにとっては住み慣れた我が家だぜ? 僕らの補助なんて無くてもご飯くらい自分で食べられるさ」
「そうだったのか」
「に、兄さんっ!」
「何? 余計なこと言うなって?」
「やーん! レイ可愛い!」
「そ、そんなんじゃないです! その、せっかく気を遣っていただいたのにというだけで!」
やけに盛り上がる三人に付いていけず、パンを齧る。おいしい。
「これはいい人を見つけたってことなのかしら、レイ。それともバルログ?」
「見つけたのは僕だけど、うん。人柄は信頼できると思うよ。ここまでレイの心を掴むなんて思ってなかったけど。あーあ、兄としては複雑だなぁ」
「心こもってないですよ、兄さん! それに、コウさんにも悪いです……」
「悪くないさ、なぁ、コウ」
突然話を振られ、咥えていたパンを離す。
「ん?」
「そこはノリでああとかうんって言っとくものだよ」
「何が? 聞いてなかった」
「随分マイペースね。やっぱり大丈夫? こんなんで」
「これくらいの方がいいさ。ね、レイ」
「……はい」
よく分からないが話は上手いこと進んでいるらしい。先ほどよりもレイの顔が赤くなっているのが気がかりだけど……爆発、しないよな?
「兄さんとライラさんも、私をからかっている暇があるなら自分たちの心配をしたらどうですか?」
「そうだ、二人は恋人同士なんだよな」
「うわ、これ見よがしに入ってきたね、コウ」
「お前の弱みなら大歓迎だ」
「いい性格してるなぁ……って、ライラ?」
「べ、別に恋人とか……そんなんじゃないし……」
そう顔を真っ赤にするライラ。
「うわぁ、自爆……」
それを見て顔を手で覆うバルログ。どうやらバルログというよりもライラに効いているようだ。バルログも赤くなっているけれど。
「コウさん」
「ん」
「二人はどうしたんですか?」
「んー……、何か顔を赤くしてる」
「まぁっ!」
「レイも赤くなってるけどな」
「っ!?」
先程よりは赤みが引いてきていたのに、また顔を赤くしてレイは俯いた。
「やっぱり、確信犯よね……」
そう顔を赤くしながらも唸ったライラは無視しつつ、何だか感じた居心地の悪さを誤魔化すようにパンを咥えた。
そんな初日を終え、それからは流れるように時間が過ぎた。俺はバルログ達の祖父母の仕事を手伝ったり、バルログの仕事を手伝ったり、たまにライラの仕事を手伝ったりしつつ、結局殆どはレイと一緒に過ごしていた。
とはいえ出来ることは彼女に本を読み聞かせたり、今までの旅で見てきた物をマイルドな部分だけ話したり、一緒に散歩したり、そういうのが殆どだ。
どうやら村ぐるみで隙があれば俺とレイを二人きりにしてやろうという働きがあるらしい。レイはそんな周囲にぶつくさ言いながらも決して断ろうとはしなかったし、なんだかんだ機嫌は良かったので俺も付き合うのに異存はなかった。
「コウさん」
初めて会った時のように、車椅子に座って読書をしていたレイが俺を呼んで手を伸ばす。その小さな手を握ってやると彼女は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「いつも思うけれど、何が面白いんだ?」
「こうしていると落ち着くんです」
「落ち着く?」
「コウさんが傍にいてくれるって」
「傍にって、いつもいるだろ」
「ふふ、そうですね」
そう笑うが、俺の手を離そうとはしない。
手を握る、頭を撫でる、食事を食べさせる……そういう一つ一つの行動がレイにとってはいいのだと、バルログやライラは言うが、正直あまりよく分かっていない。ただ、笑顔の彼女を見ていると俺も嬉しくなる。少なくとも悲しい顔は見たくない。
「何の本を読んでいるんだ?」
レイが持っている点字の本に目を落とす。点字の本はレイの為にとバルログが行商人に仕入れるよう頼んでいるものだ。読めるのはこの村じゃレイとバルログくらいか。俺は存在を知っていても解読はできなかった。
「これは、恋のお話です」
「恋の話……恋愛小説ってやつか」
「しょうせつ?」
「いや、何でもない」
小説はこの世界では使わない言葉みたいだ。こういう時、前の世界とやらの知識が鬱陶しくなる。こういったものも忘れてくれればよかったのに。
「面白いか?」
「面白い、とは少し違いますけど、ドキドキします」
「へぇ」
「騎士様と、村娘の恋のお話で、その、憧れるというか」
そう言いつつ、尻すぼみにトーンを落としていくレイ。
「でも、私には結局憧れでしかなくて」
「大丈夫さ」
しゃがんで、優しく、レイの頭に手を置く。バルログがライラを怒らせたときに誤魔化すようにやっていた動作を真似たものだが、結構効果的だ。
「あ……」
「レイは一緒にいて落ち着くからな。恋愛にはそういうのが大事だというし、いつかその騎士みたいな人が現れるさ」
これはライラの受け売りだ。
「コウさんは、私と一緒にいて苦ではないですか?」
「全然。むしろ、俺は暗いし、口下手だし、レイにとって邪魔じゃないかが不安だ」
「そ、そんなこと無いです!」
レイは俺の言葉を遮る勢いで声を張り上げる。元々物静かな方である彼女だが、言う時は言う性格というか……決して喋るのが苦手というわけじゃないんだ。
「コウさんは、優しいですし、面白いお話をいっぱいしてくれますし、真面目で誠実で、その……」
レイはしどろもどろにそう言いつつ、おずおずと俺の首に腕を回してきた。控え目に抱きしめられ、困惑してしまう。こういう時どうすればいいのか分からず、俺は固まっていた。
「コウさんのこと、私は好きです」
「好き……?」
「話した時間が僅かだとしても、……大好きです」
肩に埋められた彼女の顔が熱を発している。けれどもそんなことも気にならないくらい、俺は困惑していた。
好き、大好き。そういう感情が俺に向けられていることに実感が湧かないのだ。
俺にとって、好意を持てる相手というのは少なからずいる。バルログやライラを始めとするこの村の人たち。エレナ、アレクシオン、ブラッドといった旅の仲間たちも好きなのだろう。向こうがどう思っているかは分からないけれど。
当然レイのことだって好きだ。ただ、俺が漠然と抱いていた好意というものについてのイメージと、彼女の言う大好きという言葉に込められた感情は違うように感じた。
「もしも、一つだけ我儘が許されるのなら、ずっと、ずっと一緒にいて欲しいです」
「レイ……」
「コウさんが、いつかいなくなってしまうんじゃないか……そんな気がするんです。それが不安で、怖くて、苦しくて」
その言葉を否定したい。否定してやりたいけれど、でも、否定できない。俺は勇者だ。いつか、仲間たちが俺を見つけるか、どうしようもない宿命みたいなものに無理やり戻されることになるかもしれない。
けれど。
「俺も一緒にいたい。いつまで、と約束は出来ないけれど、許される限りは」
口に出して、何とも答えになっていない言葉だと感じた。許される限りなんて、一週間も無いかもしれない。明日にはここを離れることになるかもしれない。そんなことさえ約束出来ないのに。
「嬉しいです……」
それでもレイは開くことのできない瞼に涙を滲ませて、嬉しそうに言葉を震わす。そんな彼女に対して俺の中に返せる言葉はやはり無かった。本当に気の利かない奴だ、俺は。
レイの言う好きがどういう感情なのかは分からない。レイに対して何と返すことが正しいのかも分からない。
それでも、こうしてこの村で、バルログやライラ、何よりレイと一緒に過ごすことが俺に答えをくれる気がしていた。
今はただ、彼女たちと一日でも長く過ごしたい。それが俺の一番の望みだった。
それこそ、いつまでもこんな時間が続いてくれればいいのにと、彼女と同じ願望を思い浮かべる程度には。




