【追想.3】レイ
「ようこそ! 僕らの村へ!」
そう大げさに宣言するバルログから視線を外し、入口に立てかけられた看板を見る。
「ぐちゃぐちゃで読めないな」
「名前なんてころころ変わるよ。今がアンテーラ、その前はポルグス……その前はもう覚えてないや。村長が雇われでね、よく変わるからその度に名前も一緒に……めんどくさくって仕方がないよ」
「だから、僕らの村か」
「バルログ村でも可」
にやりと笑うバルログに合わせるように、口元を吊り上げる。
「ゆくゆくは村長か?」
「間違ったって自分の名前なんて付けないけどね。恥ずかしいから」
特に検問も何もない、のどかな村だ。城壁のようなものも存在しない。もしも魔物が襲ってくれば一溜まりも無いだろう。
「のどかなもんだろ? 特産物も特になく、人も少ない。裕福じゃないから盗賊も襲ってこないんだけどね」
「魔物は?」
「それはあれ」
バルログが指差したのは村の外縁に立つ案山子だった。
「あれ、僕が作ったんだ。魔物避けの魔法を施してそこら中に立てているんだよ」
「便利なもんだな」
「使う人が使えばね」
そう自信満々に言うバルログ。やはり魔法という分野に関しては結構な自信を持ち合わせているみたいだ。
「さぁ、こっちだよ」
「ああ」
バルログに案内されたのはなんてことはない、普通の木造の家だった。
「しっ」
家に入る直前、バルログは人差し指を口に当ててそうサインを送ってくる。無言のまま頷くと、バルログは音をたてないように慎重に扉を開く。バルログに続き、彼と同じように音を立てないよう扉を閉めた。
息を殺しているからか、ぺらりと家の奥で本のページをめくる音が聞こえた。
視界の端でにんまりとバルログが笑う。ああ、そういうことか。
先ほどより慎重に扉を開く、バルログの後ろから室内を覗くと、こちらに背を向ける形で座っている女性が見えた。女性、というよりは女子か。
白い髪が窓から差し込んだ光を反射している。触れたら壊れてしまいそうな華奢な、弱々しい体つき。
バルログが手招きをしてくる。これは、先に行けということだろうか。
面白がる様子のバルログの横を通り、音を立てずに彼女に近づく。ちらっと視界に入ったのは彼女の持つ真っ白な本。彼女はそれを指でゆっくりとなぞっていた。
バルログを見ると身振り手振りでサインを送ってくる。このままだと彼の動きでバレるかもしれない。
俺はゆっくり、壊れないように、本をなぞる少女の手を取った。ぴくんと震えたその手はあまりに儚げで、少しでも力を込めれば潰れてしまいそうだ。
「どなた、ですか?」
少女の唇が震える。掴む、というより添える程度だった手から、彼女の手はあっさりと離れてしまった。
「あーあ、そりゃあ気付くか」
「兄さん?」
「コウの手ってゴツゴツしてるからなぁ。ほら、このすべすべな僕の手と違って」
「コウ……って、まさか、クヌギ・コウさん?」
彼女はそう、呆然と呟くと、再びその小さな手を宙に彷徨わせた。思わずその手を取るとゆっくりと握り返してくる。
「貴方が、クヌギ・コウさん……」
目を閉じたまま、縋るように手を握りしめてくる少女に困惑していると、苦笑するバルログが頬を掻きながら近づいてきた。
「こりゃ紹介は必要無いかな」
「バルログ、彼女が」
「レイ。僕の妹だ」
レイ・オルター。何度もバルログから聞いた、彼の最愛の妹。
生まれつき目が不自由だと聞いている。真っ白な長髪ではあるが、幼く整った顔立ちは確かにバルログの血縁の者だと思わせた。
「レイ・オルターです」
「クヌギ・コウだ。君のお兄さんから話は聞いている」
「お兄さんだなんて照れるなぁ」
「照れる要素有ったか?」
「なんかむず痒いんだよ」
よく分からないが照れて頭を掻くバルログに、何が面白いのか俺の手を握って興味深げに揉んでくるレイ。
「レイ、これからコウに村の紹介をするんだ」
「わ、私も行ってもいいですか?」
「そう言うと思った」
「大丈夫なのか?」
「この村の人たちは皆さん親切で、私一人で買い物に行ったりもするんですよ」
「へぇ」
目が見えないという感覚は分からないが、この村で暮らす分には問題無いのか。
「普段はこいつを使っているんだけど、今日は必要なさそうだ」
バルログが指差したのはレイが腰掛けているイスだった。背もたれの部分に取っ手と、足の部分が車輪状になっている。
「車椅子か」
「知っているのですか?」
「見たのは初めてだけど」
多分、かつての俺の持っていた知識だろう。この世界ではこういった、障害を補助する道具は殆ど見かけない。レイが読んでいた真っ白な本……点字もしかり。
「レイは足に不自由は無いけれど、やっぱり危ないだろ?」
「そうだな」
「だけど今日はほら、コウがいるから」
「に、兄さん!?」
「なぁに、レイは見た目通り羽のように軽いから」
「おぶれってことか?」
「うん」
「わかった」
「コウさんまで!」
どういうわけか焦り、抵抗しているレイだったが、そんな彼女にバルログが譲ることも無く、やむなく折れたレイを背負って家から出る。
「その、すみません……重くないですか?」
「全然」
実際背負っている感覚も碌にないくらい軽い。華奢なんてものじゃない。
「ちゃんと食べてるのか?」
「おいおい、人聞きの悪いことを言うね。確かにこの村は裕福では無いけれど、食べ物に困る程でもない。ただ、レイは小食だからね」
「だって、私は何も働いていないですし……」
「大丈夫、これからはコウがレイの分も働いてくれるさ」
そう勝手なことを言うバルログ。ただ、おそらくこれからは拠点もあの魔霧の谷からこちらに移すことになる。彼女の分まで働くというのは当然のことだろう。
「ああ、分かった」
「えっ!?」
「これは……流石だね、コウ」
「そんなに驚かれることか?」
「そりゃあだって……あっ、ごめん、ちょっと!」
兄妹の変な反応に顔を顰めていると、突然バルログが声を上げて、一言断って走り出した。
「何だ?」
「多分、ですけど、ライラ姉さんじゃないですか?」
「ライラ?」
「兄さんの……恋人です。多分」
「多分?」
苦笑するレイの言葉に首を傾げる。
視界には、少女と楽し気に話すバルログの姿がある。少し叱られているようだが、それでも楽しそうだ。大方仕事をサボっていると思われたのだろう。
「両想いなのは確かなんですけど、多分兄は私達に気を遣っていて」
「私達……そういえば、祖父と祖母と一緒に暮らしているって言ってたな」
「はい、今日は共に畑に出ていますが、流石に自給自足で暮らしを賄える程ではありません。行商の方から物を買うには……」
「バルログの稼ぎがいるか」
「兄は仕事以外の時間を私達の為に費やしてくれています。今日みたいに早く仕事から帰ってきて、ライラさんとお話できる機会も少ないんです」
「へぇ……」
まじまじとバルログと、ライラという女性を眺める。遠目から眺める限りは気が強そうで、バルログが尻に敷かれているという感じか。
「二人の邪魔をしたら悪いか。俺たちは適当にぶらついて時間を潰すか」
「あ……はい」
「あ、悪い。バルログがいないと不安だよな」
「い、いえっ! 大丈夫です、その、少し緊張してしまって」
「緊張?」
「その、兄からお話は伺っていて、少しコウさんに憧れていたというか」
憧れる? バルログと過ごした時には適当に会話をして、たまに彼の雑用程度の手伝いをしたくらいだ。憧れる要素なんて……あぁ。
「あいつ、盛ったな」
「盛った?」
俺の背中で首を傾げるレイ。まぁ、敢えて否定することでも無い。
おそらく交友関係のあまり広くない彼女を気遣ってのことだろう。だったら色々と足りない俺ではあるが、せめて出来る限り期待に応えてやるのが筋というものだ。
「でも、大丈夫でしょうか。私、こんなですし」
こんな、というのは目が見えないということだろうか。
「別に構わないよ」
「でも……」
「俺はこうして一緒に話せるだけでも十分嬉しいから」
そう返すとレイは黙ってしまった。
もしかしたら言葉選びを間違えたかもしれない。盲目のハンデを俺は気にしないし、そもそもそんな身体的特徴大なり小なり存在するもので、それで人の価値が決まるとも思わない故の発言だったが、それこそ余計なお世話というものだっただろうか。
こういうところ、今まで碌に他者と会話をしてこなかったことが悔やまれる。バルログでなくとも、旅の仲間たちでさえ俺よりも上手く切り抜けるだろうし……こればかりはレイも相手が悪かったな。などと頭の中で勝手な責任転嫁をしていると、
「……」
レイは無言のまま、腕の力を強くし、俺の肩に顔をうずめ、そして、むー……と言葉にならない唸り声を出した。
やはり、怒らせてしまったようだ。戦いの中では会話なんて殆ど必要無いが、それが口惜しい。
いつの日かまた戦いの日々に身をやつすことになるだろう。けれど、もしも生きたまま戦いを終えられたら会話もちゃんと出来るようにならないといけないな。
そんな風に、戦いが終わればなんて考えるのは初めてかもしれない。
いつか、ここからまた旅立つとしても、勇者としての役目が終わったらまたここに来よう。その時にはきっと、今よりも会話も上手くなっている筈だ。バルログにも呆れさせないし、レイだって怒らせない。
そんなどうでもいい妄想をするのが、今は楽しかった。この後、「一緒にいる時に考え事しないでください」とまたレイに怒られてしまったが。