【追想.2】出会い
※ファンタジー注意
「あ、起きた」
そんな少年の声が聞こえ、俺は自分が先ほどまで寝ていたことと、ベッドに寝かされていることに気が付いた。
「ここは……」
「あっ、まだ起きない方がいいよ。なんたって全身酷い打撲だからね。死んでいない方が不思議なくらいだ」
なるほど、確かに身を起こすと刺すような痛みが全身を襲った。
「話聞かないなぁ……」
そんな俺を苦笑し呆れるように見てくる少年。見た目上俺と大して変わらない年齢に思える。だが、俺と違って生傷も何もない肌と痩せた身体つきは別の人種にも思えた。
「ここはどこだ?」
「あはは、ベタな質問だね。まさかその後に『私は誰だ』なんて続かないよね?」
「……はぁ?」
「おっと、ごめんごめん。魔法使い連中の間に一時期流行ったスラングみたいなものでさ」
愉快そうにそう言う少年を黙って見ていると、責められているように感じたのか少年は気まずそうに頬を掻いた。
「質問への返しだけど、ここは霧の渓谷の底だよ」
「霧の渓谷?」
「おいおい、まさか本当に記憶を無くしたなんて言うんじゃないだろうね。君はこの巨大な谷を滑落してきたんだよ。偶々僕が通りがかったからいいものの、下手したら死んでたよ」
ケラケラと、それでもどこか気を遣うように笑う少年。もしも彼に、俺はもう既に人生の大半の記憶を無くしていると話したらどんな顔をするのだろう。
「ああ、そういえばそうだった」
戦闘の最中に魔物と共に崖から転落したのは覚えている。転落中に魔物はめった刺しにして殺したが、その後すぐに意識を飛ばしたのか落下の衝撃などの覚えはない。
「よく生きていたな」
「他人事みたいに……まぁそれは僕のおかげだね」
胸を張る少年に首を傾げると、彼は得意げに腰のホルダーから短い杖を取り出した。
「レピュテーション」
そう小さく唱えるとベッドサイドのテーブルに置かれた木のコップが宙に浮く。
「魔法……」
それはあまり馴染みのないものだった。魔力が通った限られた人間しか使えない異常の力。俺の仲間で使うのはエレナくらいか。魔法使いは絶対数が少ないのと、魔法の使用に集中することが求められるというので実戦向きでは無いから。
「そうだよ。落ちてくる君を偶々発見した僕は咄嗟にこうやって君を浮かして止め、ここまで運んだってわけ。いうなれば君の命の恩人というやつだね、僕は」
「そうか……ありがとう」
少年の言葉に納得し頭を下げた。
加護とやらのせいで死ぬに死ねない身体だと伝えるのは野暮だろう。少なくとも、致死の怪我を患ってなお死ねない苦しみに悶える必要が無くなったのは十二分に喜ばしいことだ。
納得した俺を見て少年は微笑むと、浮かしていた木のコップを丁寧に元の場所に戻す。その動きには一切の淀みも無く、少年に変化はない。魔法は適性があっても扱いが難しいという聞いた話からの憶測になるが、彼は優秀な魔法使いのようだ。
「まぁゆっくりしていきなよ。ああ、ベッドのことは気にしなくて大丈夫。ここは出張所みたいなものでね、僕の家はここから離れた村にあるんだ。寝泊りはそちらでしているからここは自由に使ってくれていい」
俺は少年の言葉に頷いて答えた。
打撲の痛みは未だ全身に残っていたし、戦いが終わって熱が引いた体はきっと立ち上がるのを嫌がるだろう。仲間たちが心配しているかもしれないという懸念が僅かに脳裏を過ったが、心配することもないかと直ぐに思い直す。むしろ俺のお守りが無くなって伸び伸びとしているかもしれない。
「ああ、そうだ。まだ君の名前を聞いてなかったね」
そう言った少年の言葉で、確かに俺もこの恩人の名前を聞いていないことに気が付いた。
「クヌギ・コウだ」
「クヌギ? 不思議な響きの名前だね」
「ああ……クヌギが苗字で、コウが名前なんだ。普通の名乗り方とは逆なのは分かってるけど、癖で」
「なるほど、コウか。僕はバルログ・オルター。名前がバルログ、姓がオルターね。なぁに、しがない魔法使いさ」
少年、バルログはそう名乗って笑顔で手を差し出してきた。
握手、ということなのだろうか。彼は気が利くようでどこか抜けている。もしも俺が握手に応えようとして全身の打撲の痛みに顔を歪めたらどんな反応をするだろう。
ふと、そんなことを考え、
「ん? 何笑ってるのさ、コウ」
そう指摘されて初めて、俺は自分が笑っていたことを知った。
それから、俺は自然治癒に任せてのんびりとした時間を過ごしていた。
多分、俺が今の俺になってから初めてのことだ。
バルログは夜になると宣言通り小屋から去っていったが、朝になれば俺が起きるよりも早くやってきていて、何か調べ物をしている。聞けば、彼は専業の魔法使いとしてこの辺りのとある貴族から霧の渓谷の調査を依頼されているらしい。
バルログとはよく話した。俺にとって会話相手になるのは彼だけだったというのもあるが、彼自身お喋りというか、聞いてもいないことをするすると語ってきた。なので殆ど会話というよりも彼のスピーチに傾聴する形だったが、記憶喪失となり戦いの記憶くらいしか引き出しのない俺にとってはありがたいことだ。
勇者としての加護が働いているのか怪我の直りはバルログにとっても目を見張るものだったらしい。普段はエレナの回復魔法によって治してもらっており、ただ勇者の加護による魔法耐性が邪魔をしてむしろ治りは遅い方だったから、これは俺にとっても新しい発見だった。
「まさかもう歩き回れるようになるなんてね」
実際、バルログがそう呆れるように、俺は彼に保護されて3日目にはもう自由に動けるようになっていた。暫く寝たきりだったから動くたびに身体がバキバキと音を立てるようで違和感は強いが。
「でも、寂しくなるな」
「何が?」
「君はどっか行っちゃうんだろ? 君との会話は僕の退屈な調査任務の中でもオアシスみたいなものだったんだけどなぁ」
そうおどけるように笑うバルログの言葉に、俺は僅かに思考し、
「いや、お前が良ければもう暫くいてもいいかな」
そう返していた。口に出すと違和感がある。俺が勇者の使命を放棄するようなことを言うなんて。
「本当かい!? それは嬉しいニュースだ!」
ただ、そう破顔したバルログを見ると自分の選択が間違っていないように思えた。
「なら丁度良かった」
うんうんと頷きながら、バルログはそう言う。
「丁度良いって?」
「ああ……、コウ、もしもよかったら僕の妹と会ってやってくれない?」
「妹?」
「うん、コウの話をしたら会ってみたいってきかなくって」
妹と言えば度々バルログの話に出てきた子だ。
バルログは幼い頃に両親を亡くし、現在は妹と、そして彼らの祖父と祖母と暮らしているという。彼らを養うためにバルログは魔法使いとして働いているのだと。
「どうかな?」
「別にいいよ。お前の村ってのも行ってみたいと思ってたんだ」
「それは良かった! いやぁ、今日は嬉しいニュースばかりだなぁ。じゃあ早速今日なんてどう?」
「構わない。暫く身を清めていないから匂うかもしれないけど」
「じゃあ今日はちょっと早めに出ようか。村までの道中に小さな湖があるからそこで少し綺麗にしていこう」
妹の前に浮浪者を連れていくわけにはいかないからね、というバルログの言葉に肩を竦めつつ、そのありがたい提案に乗ることにした。
「だけど、会ってみたいなんて、そんな面白いやつじゃないぞ俺は」
「何言ってんだ。空から降ってきた、というか崖からゴロゴロ転がってきた男ってだけで十分だよ」
「そういうものなのか……」
「ああ、一つ言っておくけど、妹に悪さしようなんて思うんじゃないぞ?」
「しないよ、そんなに信用ないか?」
この僅かな邂逅で信用しろというのも無理はあるが。
「してるよ。でも妹は、レイは美人だからなあ」
「兄バカ……」
つくづく会話の中でも分かっていたが、バルログは兄バカだ。
彼の妹、レイ・オルターは何度も会話に出てきたが、バルログは彼女について、女神の生まれ変わりだの、一生養いたいだの、色々おかしなことを口走っていた。
でも、聞けば彼女は……
「じゃあ早速行こう!」
「まだ正午回ったばかりだぞ!?」
「いいからいいから。僕の雇い主も仕事の裁量は任せるって言ってくれてるしね。今日はもう仕事終了!」
「適当だな……」
バルログの発言に呆れつつも、責務を投げ出しているという意味では今の俺が文句を言える筈もない。ここは大人しく従っておこう。
バルログの住む村、家族……楽しみだ。何処かに行くのにこんな高揚した気分になることがあるなんて。それこそ初めての感覚だった。