第19話 桐生鏡花と巡る朱染観光ツアー
俺と桐生は並んで電車に揺られていた。俺はスマホを弄り、桐生は先ほどと同じ文庫本を読んでいる。ちらりと覗き見たが、桐生が呼んでいるのは所謂純文学というやつだった。どうやら彼女は文学少女属性も持っているらしい。このまま文庫本を千切って食べだしたらどうしよう。
桐生と俺が通っていた小学校は、現在暮らす「明桜町」から電車で2時間程揺られた先の、「朱染」という町にあるらしい。勢いで提案してしまってアレだが、あまり遠く離れていなくてよかった。
片道2時間は遠いけれど日帰りできるのだからそう考えれば十分だ。これが新幹線必須、はたまた飛行機必須、しまいには孤島に存在するためチャーター便必須なんてことになっていたら、その時点でこの記憶を取り戻す旅を諦めていた自信があるね。
「今更だけど、悪いな。付き合わせちまって」
「別にいいわよ。私が決めたことでもあるし」
桐生は文庫本から目を離さずそう返してくる。かくいう俺もぼーっとスマホを眺めていた。実際問題、隣に座っている時ってあまり相手のこと見れないよね。首痛くなっちゃうし。
「まさかこんな形であの町に戻るとは思わなかったけれどね」
「何か禍根でもあるのか?」
「無いわよ。小説でもあるまいし」
〇〇でもあるまいし、の言い方で何となく性格が分かる説から照らし合わせるに、桐生は……うーん、インテリ!
ただ彼女の言う通りかつて慣れ親しんだ場所に行くのに普通は特別身構えたりしないものかもしれない。
「まさか記憶喪失の貴方と一緒に帰ることになるなんて」
「確かに……でもそう考えるとまるで小説みたいな展開じゃないか?」
「そうね」
記憶喪失なんて滅多にいないしな。少なくとも俺以外で記憶喪失のやつを見たことが無い。
それに俺にとっては桐生とこうして穏やかに会話をすることも十分にフィクションみたいな話だ。
こう、1シーンを切り出すとどうにも青春小説っぽくなる。幼馴染の美少女と記憶を探す旅に出る……なんて何ともありそうな話じゃないか。そうなると俺が主人公になってしまうのが癪だが、こればっかりは仕方がない。あくまで今回はスピンオフ。1巻完結の物語だと思えば読者も犬に手を噛まれた程度に感じてくれるだろう。
ただ、このスピンオフのヒロインが桐生なのかと言えばそれは違うと思う。脇役のヒロインなんてところで大人しくするようなスペックではないし、何より俺たちの間にそんな甘酸っぱい関係が出来ることがどうにも想像つかない。それは俺のせいでもあるし、桐生のおかげでもあると思う。
現在、俺と桐生の間に深い会話が生まれるなんてことは無く、俺はニュースサイトをぼーっと流し見しながら自分の世界に引きこもっている。桐生についても前述したとおり、やっていることは殆ど同じだ。
先ほどの会話も言ってしまえば只の時間つぶし程度の役割しかない。これがもしも本当に小説の世界であれば、数行の情景描写を挟んでページをめくれば目的地に着いていることだろう。密度で言ってしまえばその程度の時間だ。
だが、現実はそうはいかない。
こうしていても、無言の気まずさ、今から行く場所への興味、不安、希望、後悔……色々な感情が襲ってくる。俺にとって、約2時間程の電車の旅路はあまりに長く感じられた。
「ここが朱染」
あまりにありきたりではあるが、俺はそう呟いていた。多分かつて慣れ親しんだ場所。けれども今の俺にはやはり見覚えがない……俺たちが住んでいる明桜町の町並みとの違いさえ分からない。何処の駅前もよく見慣れたチェーン店が散見していて、個性を探すのも一苦労である。
「何か思い出した?」
同じく駅前を見渡していた桐生にそう問われ、僅かに思考したが、
「いや」
正直に首を横に振った。全く何も思い出せない。
「でしょうね」
「でしょうね?」
「私もここを離れて暫く経つけれど、随分町並みが変わっているから」
桐生曰く、この朱染は長いこと再開発やらなんやで駅周りの工事を行っていたらしい。桐生と、そしてかつての俺は工事現場のようにフェンスで囲まれた駅の姿しか知らなかったようだ。
「取りあえず飯でも食うか?」
「……そうね」
「遅刻したしここは俺が奢るよ」
「ありがとう。じゃあ私はあのパスタ屋に入るから貴方はそこ以外にしてね」
「何でわざわざ別の店に!?」
「冗談よ」
冗談言うなら、それっぽい表情して言ってくれませんかね! 本気だと思うでしょ!
そんなこんなで桐生ご所望のパスタ屋で昼飯を食らってから、市内散策へと繰り出した。とはいえ別に観光地でもなんでもない町だ。俺たちの住む所と殆ど変わりが無く、家、家、家といった普通の景色が広がっている。
早く目的地に着かないかな~
「懐かしいわね……」
「へ、そうなの?」
まさかの思い出スポットだった!
「ここ、通学路だったのよ。三人でよく歩いたわ」
しかも結構深めのやつだった!
全然見分けがつかないけど、そうなんだなぁ。うーん、奇跡的に何か思い出したりしないものだろうか。
行きの電車で読んだコラムに書いてあったのだが、脳みそには知識を蓄える枠と思い出を蓄える枠があるらしい。テレビ番組で例えると報道番組とバラエティみたいな関係だ。何が言いたいかというと、これは仮定だが、ここで過ごした思い出が消え去っていても知識として残っていれば思い出せるかもしれないということだ。うおお、燃えろ俺の中のジャーナリズム!
「どう?」
「残念ながらさっぱり」
駄目でした。やっぱり見分けがつかず、掴みかかる隙もない。ローションまみれの反り立つ壁くらいない。
「それじゃあ次ね」
「随分あっさりしてるのな」
「そう簡単に思い出せるとは思っていないわよ」
こちらに顔を見せず、先を歩きながら桐生は言う。期待していないとも取れる落ちついた声色に申し訳なさと焦りが生まれてきてしまう。
それからも俺たちは歩いた。休むことなく、桐生にこの町を案内されるが、何を見ても一切俺の中の記憶は呼び起こされては来ない。実は桐生の思っている椚木鋼と俺の失った椚木鋼が全く別人でしたと言える方が救いがある程に。……そりゃあ俺だって簡単に思い出せるわけが無いとは分かっていたが。
そんなこんなで桐生と回る日帰りの朱染ツアーは残すところ俺たちの通っていた小学校と、俺たちが住んでいた家の周辺を残すだけとなった。メインディッシュは最後にとっておく……というわけではない。おそらくだが桐生自身が俺と、そして弟の大樹とのことを思い出すのがつらいのだろう。
「昨日はごめんなさい」
突然立ち止まり、桐生はそう謝ってきた。
「いきなり何だよ」
「記憶喪失……一番つらいのは貴方なのに、嫌いだなんて怒鳴りつけて」
そう真剣なトーンで謝罪してきた。その空気がどうにも嫌で、俺はどうにかこうにか明るく努める。
「いや、別にそんな真剣に謝ることじゃないから。忘れたことに原因がどうとかないから」
「きっと、全て思い出してももう私達は……」
「いやいやいやいや、なんで突然ナーバスになってるの!急すぎない!?」
「怖いのよ……このまま、小学校を見て、私たちの家に行って、何も思い出してくれなかったら……私たちは、貴方にとって、本当は大した存在じゃなかったんだと思い知らされるみたいで……」
桐生は悲しさや、悔しさ、恐怖を混じり合わせたような表情で唇を噛んでいた。
「そ、そもそもさ、俺が記憶喪失だなんて、嘘かもしれないだろ。全くの別人って可能性も」
「それは無いわよ」
桐生はそう言うと、ふんわりと微笑む。普段の印象からは遠い優しい笑顔だ。
「昨日は散々言ってしまったけれど、やっぱり貴方は私が知ってる鋼君だって思うの。笑顔とか話し方はぎこちないって思うときはあるけれど、普段の感じとか、真面目な時は真面目なところとか、先生に怒られて落ち込んでいるところとか、やっぱり変わらない。貴方は……誰かを傷つける嘘を付く人じゃない……」
「け、結構見てんのな……」
ハズい。超ハズい。
「だから、貴方が私と高校で会って、忘れた素振りをした時も何かあるって気付けた筈なのに」
「いや、そんなところに責任を感じる必要ないだろ!」
「結局信じられなかったのよ、私は、鋼君の……貴方のことを」
「桐生……」
「でも、これからは違う。これからは貴方は貴方として、椚木君として見ていきたい。記憶を取り戻しても、取り戻せなくても……また、友達になりたいと、そう思っているわ……」
最後は恥ずかしそうに顔を逸らされた。そんな桐生を俺は呆然と見ているしかなかった。
彼女は俺を俺として見ていなかったと言うが、俺は責められない。責められるわけがない。
俺も桐生のことをクールでぼっちな優等生というキャラに決めつけて接していたのだから。今でも、これ本当にあの桐生?という思考が生まれてしまっている。
でも、実際に接してみると、こいつは真面目だけれど、天然なところがあるし、弟思いだし、意外と冗談を言うし、笑いもするし泣きもする……普通の女の子だった。
俺はとてもそんなこと、恥ずかしくて口に出来そうにないが。
「ったく、真面目だな」
「それが私の取柄だもの」
誇るように僅かに胸を反らす桐生。それと共に大きなお胸が強調されて、俺はじっと見つめるわけにもいかず目を逸らした。
「ったく、キキのくせに偉そうに」
「え……今、なんて……!?」
「あれ? 桐生!? 桐生鏡花だろ、お前!!」
と、和やかな雰囲気が漂う中に突然、一人の男が声を掛けてきた。
同年代っぽいが、金髪のオールバックに、耳や鼻にピアスを付けたザ・チャラ男だった。
「なんだテメー、俺の桐生に何してやがる!」
「いや、何と言われましても」
説明を求めるように桐生に視線を飛ばすが、何故か彼女は固まっていた。その内にチャラ男さんはズンズンと距離を詰めてきて俺の襟元を掴み上げた。何この状況!?
「えーっと、どちら様?」
「俺は……俺は桐生の彼氏だコノヤロー!」
なんと、俺の記憶を探す旅が終盤に差し掛かり、今明かされる衝撃の真実。
桐生、彼氏いた。