第18話 二度あることは三度ある
「っせーなぁ……」
ブーブーと振動するスマホのバイブ音で目を覚ます。気持ちのいい睡眠に水を差され俺はすこぶる不機嫌だった。
別段俺は寝起きが悪いというわけでは無いのだが、しっかりと3時間単位の睡眠を取らなければ気持ちが悪いというのは誰しも思うことだろう。
「もしもし……」
『やっと出たわね。私、桐生よ。もう駅に着いているのだけれど、何処にいるのかしら』
やっべえええええええええええええええ!!
寝てた! なんか普通に寝てた!
なんと、桐生と出掛ける約束を取り付けた後、自宅でシャワーを浴びた俺は安心感からかそのままベッドにダイブしてしまっていたのだ! 狭い一人暮らしの部屋は浴室の外数歩のところにベッドがあるのがいけねぇんだ。
睡魔に襲われ眠って数時間……もうすっかり約束の時間になっていた。
俺、何も準備できていない。
「き、キリュウサン……」
『何よ』
「言いづらいんですが、し、しばしお待ちいただけると……」
『……』
無言。絶句。言葉は発していなくても不機嫌になったのははっきりと伝わってくる。
『家、何処?』
「ひえっ!?」
『行くから、さっさと準備すませなさい』
「ちょ、待てって! すぐ行く! すぐ行きますから!」
『じゃあ10分』
「イエスマム!」
そこからは早かった。ささっと私服に着替え、水で寝ぐせをさっさと倒し、財布とスマホと鍵だけ持って家から飛び出す。ここまで2分! さらには駅まで徒歩10分程度の道を、走ることで所要時間5分に縮め、なんとか駅前に辿り着いたのである! ちなみに20分の遅刻であった。
休みということもあり駅前はそれなりの人混みだ。俺は心拍数の上がった心臓を深呼吸で抑えながら、辺りを見渡して桐生を探した。こりゃあ骨が折れっぞ!
が、探すなんて必要のないほどあっさりと桐生は見つかった。
何故なら彼女はその美少女っぷりから、周囲の視線を集めていたからだ。はっきりとという感じではないが、ちらちらと視線を向けられている。
そんな大きいお胸の美少女である桐生鏡花さんはベンチに腰を掛け、文庫本を読んでいた。度々傍らに置いたスマホが気になるようで視線を向けていて落ち着きのなさを感じさせるが、それでも絵になるやつだ。
「きりゅ……待てよ」
声を掛けようとし、踏みとどまる。
桐生は真面目だ。間違いなく遅刻してきた俺を断罪しようとするだろう。突然姿を見せれば準備の出来ていない桐生はいきなり暴力を飛ばしてくることさえあり得る(ちな合気道有段者)。
取りあえずここは、「駅前に着いたんだけど何処にいる?」的なアクションでワンクッションを置き電話越しにある程度サティスファクションを促し、リアクションを確認してから正しいソリューションを見定めるというミッションで行こう。うん、それがいい。大事なのはパッション!
そう革新的な発想に辿り着いた俺は先ほどかかってきた番号にリダイヤルした。
遠目から桐生のスマホが反応したのが見えた。
「っ!?」
桐生はというと、突然音を出した玩具に反応する猫みたいにビクッと体を震わせ、おずおずとスマホを見る。こいつ、スマホが鳴ることも珍しいのか?
画面を見て僅かに頬を緩め、何度か咳払いをしてから電話に出た。
『もしもし……』
怒っていますよ、と言いたいような低い声だった。
「桐生、ごめん! 今駅前に着いたんだけど、その、俺申し訳ない気分で、その、なんか欲しいものとかあるか? 買ってくよ、当然俺の奢りで」
かくいう俺も、心底反省していますと言いたいような声を出す。実際反省はしている。後悔もしている。取りあえずコンビニ寄ってドリンクとか、プラス昼飯くらいは喜んで奢らせてもらおうと思っている。
『広場の時計台前のベンチよ。すぐに来なさい』
桐生は俺の掛けたモーションをガン無視してさっさと来いと要求してきた。そうですよね。
そんな一瞬とも言える短いやり取りの後、桐生は電話を切ると文庫本に栞を挟んで鞄にしまい、小さくため息を吐いた。それを見届け、俺は桐生の前に駆け足で向かう。勿論息切れしているっぽいオプションは忘れない。
「桐生っ! ごめん!」
そして深々と、主観90度まで腰を折ったお辞儀をする。多分実際は45度とかそれくらいなんだろうけど、気持ち的には180度行ってもいいくらいだ。
「合計30分遅刻ね」
「え、まだ10時20分ですが……」
「10分前行動は基本よ」
そんなの聞いてない!
「すみません……」
だが深々と謝る俺。決して桐生が怖いわけじゃない。桐生の理論で行くと30分桐生を待たせたのは間違いないからだ。決して理不尽だなんて思っていない。遅刻したのは確かだし。決して……
「まぁ、いいわ。もしかしたら逃げ出したとも思っていたし」
「別に逃げたりなんか……」
「冗談よ」
からかうように微笑む桐生。綾瀬妹とは違いクールな格好良さがある。
「さぁ、行きましょうか」
桐生はそう言って立ち上がる。態度からももう遅刻は気にしていないらしい。おそらく桐生の中で俺はよっぽど初期評価が低いらしい。遅刻は当たり前、すっぽかしもあり得るなんて思われていたおかげであまり責められずに済んだけれど、あまり嬉しく無い……
と、ここで桐生の私服を見るのが初めてだと気が付いた。そうだ、こういう時は女性の服を褒めてご機嫌を取るというのが定石。これから一日かそれくらい一緒に過ごすわけだし関係は少しはプラスにしておくに越したことは無い。
うん……似合ってる(小学生並の感想)。清楚な感じというあれだろうか。ただ、なんと表現したらいいのか。如何せん俺はファッションとやらに疎い。今俺が着ている服も、服屋でマネキンが着ているものを適当3セット買っただけで拘りは無いし、服の種類は当然、スタイルとかモードとかトレンドとか本当に分からん。そもそも日本語なの?
それこそ衣服は耐久性や動きやすさ、付加効果ばかりを気にしてきた俺だ。社交辞令として服を褒めようとも何と言えばいいのか……
「桐生」
「何?」
「お前の服……なんかシックな感じだな!」
どうだ!? 数少ない知っているワードを使ってドヤる俺。この世のファッションは大体シックかカジュアルかで二分出来る、と何かに書いてあったような、書いてなかったような。
桐生の服は多分シックだ。シックは多分クラシックのシックだ。カジュアルってよりはシックだろう。多分。
「……」
だが、桐生は残念なものを見るような目を向けてきていた。
「……他に言い方は無いのかしら?」
「精一杯だ。俺はつい最近までポロシャツとネルシャツの違いも分からなかった男だぞ!」
「どうして威張るのかしら」
頭痛を抑えるようにこめかみに手を当てる桐生。
「じゃあお前ネルシャツの意味分かんの? 寝るときに着る服じゃないんだぞ」
「素材にネルを使っているシャツのことよ」
「ハイ残念ー! フランネルを使ってるシャツですー! 惜しかったー! ちなみにこれは豆知識なんだが、フランネルには平べったいフィン・フランネルという亜種もいるらしい。これはニューがつくエース用ネルシャツにしか搭載されていないらしいぞ」
「ネルとフランネルは厳密には違うわよ」
馬鹿を見るような目で見てくる桐生。豆知識部分は完全無視である。
「そんな調子じゃ、これも分からないということね」
桐生は手のひらでスカートの表面を撫でる。
いやいや流石に分かるよ。馬鹿にしちゃってぇ。
「スカートだろ」
「厳密にはサロペットスカートよ」
「猿ペット?」
「おさるのジョージじゃないわ」
はぁ、と大きなため息を吐かれた。なんかごめん。
「いいわよ別に。どうせある中から適当に選んだ服だしどうだって」
「あっ、桐生」
「何よ」
「タグ付いたままだぞ」
「そ、そういうのは早く言いなさい!」
顔を赤くする桐生さんは新鮮でした。
などと思っている余裕もなく、俺は桐生様に指示されるまま、駆け足でコンビニにハサミを買いに行くのだった。