第17話 シャンプーはお酢と重曹で出来ている
俺は綾瀬妹を綾瀬兄のいる家に送り届けた後、そのままある場所に向かい夜道を歩いていた。
――それでは先輩、おやすみなさい。ああ、毎晩20時は予定空けておいてくださいね。電話しますから。
数分前の綾瀬家前で、綾瀬はそう言い残した後、家に入っていた。直後、家の中から快人の大きな声が聞こえたが、大方、突然出て行った妹を心配で待っていたという感じだろう。綾瀬妹は綾瀬兄を好きじゃないと言っていたが、やはり快人はシスコン。愛されているようで安心した。
――光ちゃん、実は最近周りから孤立しているですよ……
そして思い出されるのはゆうたが語った綾瀬の抱える問題についてだ。
それの直接の原因をゆうたは知らないらしいが、高校生がハブられる理由はそう多くない。
生徒会に一年生ながらに所属する美少女、綾瀬光。一年で生徒会に入るには新入生代表、つまりは入試で一番の成績を修めることが求められる。俺らの代の新入生代表であった桐生は辞退したそうなので、同期の一年生生徒会員はいなかったが、綾瀬光は周囲からも一目置かれる存在であることは間違いない。
そんな彼女がハブられる理由は、おそらく嫉妬だろう。それがどういう理由によるものなのか、あれほどに色々と持ち合わせている奴だといくつか考えられるが、それは後で調べればいい。
「借りは返せというのが我が家の家訓だ」
家族の思い出なんて何もないが、家訓なんてあったのかは知らないが、今日は色々と助かったのは確かだ。少しの追加業務はやって然るべきだろう。なんたって俺は社畜大国日本の国民だからな。取りあえず夜の8時は電話が来ると意識しておこう。
だが、取りあえずは此方の問題が先だ。
俺がやってきたのはつい数時間前後に訪問したばかりの桐生の家だ。スマホの時間では既に天辺を越えていて、おそらく親御さんももうご帰宅されていることだろう。
が、ここでインターフォンを押すような愚策は取らない。というかこんな時間にインターフォン鳴らしたらただただ迷惑だ。
というわけで、俺は桐生の家の近くにある電柱の陰に身を隠すように座り込み、つい先ほどコンビニで購入したアンパンと牛乳を取り出す。
「張り込みといったらこれだろう」
あんこ嫌いだけど。それにこんな夜にこんなカロリーの高いものを食べたら体に悪い。というわけでアンパンは雰囲気だけのもので、本命はこちら。
「週刊奨励シャンプー!」
コイツは今夜の相棒であるアンパン&ミルクと一緒に買った、今週のシャンプーをお勧めしてくれるという雑誌だ。初見だがタイトル即レジ余裕でした。税込み280円である。中々厚みがあってお腹に仕込めばドスで刺されても守ってくれそうな強固さがあるという、実用性も兼ね備えた逸品だ。
さて、中身はどうだろう。ぺらり、めくると中にはこれでもかというくらいのシャンプーが、あたかもカタログのように並んでいて、それぞれ結構な文量でレビューされている。
……これ毎週出してんの? シャンプーランキング300って、シャンプーってこんなにあるもんなの!? 「出来る男はその日の予定でシャンプーを選べ!」って何このアホみたいな特集!
と、これはこれで面白い。カルチャーショックというやつだ。軽いアハ体験である。シャンプーの生まれた歴史とか豆知識も随所に書かれており、連載物だと思われる工場、土木、工事をテーマにした土方系バトル漫画も読みごたえがあり面白い。コミックスが欲しくなる。
なんとなく目についたから買ったが結果暇つぶしには最適だった。最近の子供はこういうのを読んで大人になっていくのかな。取りあえずシャンプーが買いたくて仕方がない。いいものだと海外からの取り寄せにもなるというグローバルワイドな奥の深い世界である。
ねぇ知ってる? シャンプーってすげぇんだぜ! 何とお酢と重曹で自家製のものを作れるのだと! 自作シャンプーは若者向け小説などで、異世界転生した現代人が知恵を使って文明開化系チートを行う時にもよく使われるのだとか。
でも普通シャンプーの作り方とか知らないよね。どういう経緯で知ることになるんだろうね、教えて異世界転生マン! なお、そういった雑学をどうやって仕入れたかなどは中々開示されない模様。
ちなみに、奨励シャンプーにはそれについて「つど、作者がインターネットで調べているんだよ♪」と書いてあった。身も蓋もねぇなオイ! 「もしも俺が異世界召喚されたらシャンプー革命起こして戦争なんて止めてやるのに」という編集長のコメントが痛々しいです。
……うん、たまにはこういう異文化コミュニケーションも悪くない。雑学・コラムも読みごたえがあって、むしろ来週どういった切り口で来るのか楽しみになるほどだ。
などと奨励シャンプーに心を奪われているとふと虚脱感に襲われた。
人間、午前0時を越えると月からマイクロウェーブが来てアドレナリンが活性化しハイになるという論文があるとか、無いとか。
俺も人間として所謂「深夜テンション」と呼ばれる突発性の病にかかっていたわけで、つい先ほどまでは、「段々楽しくなってきたぜヘイヘイヘイ! ピッチャービビってる!!」というハイテンションだったのだが、残念ながらこの状態はシンデレラに掛けられた魔法のごとく時限性となっており、夜明けが近づくにつれて解けていくのである。
後に残るのはガラスの靴ではなく寝不足による虚脱感で、深夜テンションを常習すれば睡眠障害に掛かる恐れもあるという。なんと恐ろしい……
次第にぼやぼやしてくる脳に鞭を打ち、シャンプーを3回ほど誤字チェックもかねて読んでいると、遠くから電車の走る音が聞こえてきた。見れば、薄っすらと空が明るくなり始めてきた。
そろそろ魔法が解ける時間だ。週刊奨励シャンプーをコンビニ袋に突っ込み、それを通学鞄に突っ込んで……すっかり冷えたハンバーガーを発見した……すっかり忘れてた。
まぁいいや。あとで食おう。
それよりも当然というべきか桐生家に動きは見えない。今日は土曜日だし両親も休みかもしれない。もしかしたら家族団らんの時を持つのかも……その考えはまったくなかったどうしよう。
早速作戦が頓挫しかけたその時、まだ朝焼けが広がってきた程度の時間だったが桐生家から人が出てきた。
長い黒髪、目が覚めるような美少女、桐生鏡花だ。全身ジャージ姿の彼女は玄関口で髪を後ろで一つに束ねると軽い準備運動を行っている。もしや日課のランニング的な感じだろうか。こいつ優等生感出しながら体力づくりにも余念が無いとは向上心の化け物かよ……お前みたいなキャラは理論武装して頭でっかちで運動神経は悪いみたいなのが定番萌えポイントみたいなあれだろ! 人気出ないぞ!
だが、好都合だ。俺は眠気を訴える頭に鞭を打ち桐生の前に躍り出た。
目が覚めるような? 馬鹿か、あれは例えだ。美少女見て目が覚めるならコーヒーは要らない!
「桐生!」
「きゃっ!? ……こ、椚木くん?」
「付き合ってくれ!」
「……は?」
あ、やりましたね、これは。人殺しの目をしてるよ桐生さん。
これはベタなあの感じのあれですが、眠気のあまり言葉を随所で端折って言った結果意味も変わってしまうというあれである。
このままでは週明け桐生と気まずくなるどころか、「ちょっとぉーあたしぃ椚木に告られたんだけどぉー」「えっ、ちょっ、マジ? 鏡花可哀想~」「椚木謝んなよ、鏡花泣いてんじゃん」「賠償金払えよ、そして死ねギャハハ」みたいな言葉の暴力を浴びに浴びる悪者にされること間違い無しだ。
「ああいや、違うんだよ! 付き合うって男女の仲的なあれじゃなくて、ちょっくらある場所に連れて行ってほしい的なあれで!」
「ある場所?」
「お前と、記憶を失う前の俺が住んでた町」
桐生が目を見開いた。
「行けば何か思い出すかもしれないだろ。何でもいいから試してみたいんだ」
「……そう。いいわ。付き合ってあげる」
桐生は少し顎に手を当てて思考した後、あっさり頷いてくれた。
「本当かっ」
「ただ……」
そう俺の勢いを削ぐように、桐生はまたもや鋭い視線をぶつけてきた。
「その服、あれから帰っていないのね?」
「え、ああうんそうだね」
俺は昨日のまま、制服姿だ。
「じゃあ帰ってシャワー浴びて服着替えてきなさい。不潔な男って嫌いなの」
厳しい……が、もっともである。
「分かった。じゃあ、あとで駅前集合とかで」
「……ごめんなさい、気を遣わせて」
「いやぁ、俺もベタベタして気持ち悪いし。初夏ってジメジメして嫌だねぇ」
「そっちじゃないわ」
睨まれた。
「わざわざ外で待っていてくれたんでしょう?」
そっち!? 故郷に行く提案について気遣いどーもっす、みたいな話だと思ってた。
でも普通に考えたら深夜家の前で張り込んでいるってストーカーみたいでヤバい。反省。
「別に、俺がやりたいって思っただけだ。まあ連絡先知ってれば良かったんだろうけどな」
「そうね、じゃあ交換する?」
桐生はそう言うとポケットからスマホを取り出す。
「……今後も連絡取る必要あるか分かんないぞ」
「貴方、私のこと余程つまらない人間だと思っているみたいね。用事が無ければ連絡を許さないと言うとでも思っているの?」
「え、それってどういう」
「それに、多分必要になるわ、割とすぐ」
「そうか……?」
よく分からなかったが、取りあえず桐生と連絡先を交換した。もしかしたら桐生の連絡先を手に入れたクラスで最初の人間かもしれない、割とガチで。
「じゃあ、10時に駅前で」
「ええ」
そんな軽い口約束を残し、俺は自宅に帰ることになった。
意外にもあっさりと事は運んだ。果たしてこの選択が吉と出るか凶と出るか……ただ、やらないよりはずっとマシだろう。
「よしっ! 今日のラッキーシャンプーを買って帰ろうっ!」
随分と長い一日になったし、続きそうだが、意外と心は軽く感じていた。