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第16話 「椚木鋼」とは

 さて、どこから話したものだろうか。


 いざ話してみようと思うと、桐生とのことはセンシティブな話題で、おいそれと人に話せる内容では無いと思ってしまう。間違っても桐生の亡くなった弟さんのことなんて言いふらす気は無い。

 だが、ここまで来て「やっぱり無しで」というのはそれこそ無しというものだ。


「先輩、話し辛いことですか?」


 ベンチに座ったものの口を開かない俺に、綾瀬は優しく問いかけてきた。


「先輩がそんなに気を詰めることですもんね。大丈夫です、話しやすいことからひとつずつで……時間はありますから」

「……そうだな」


 時間があるというわけでは無いし、むしろもうすぐ補導される時間になると思うと意外と猶予は無いが、ゆっくりという綾瀬の言葉はありがたかった。

 どんなに遠ざけようとしても、桐生のこと、桐生の弟さんのことは、いつか向き合わなければいけないことであるのは確かだ。そして同時に、俺がかつての俺自身と向き合う必要があって。


「俺……」

「はい」

「記憶喪失なんだ」

「え?」

「実は5年より前の記憶が無くて」

「ええっ」

「当時俺には滅茶苦茶辛いことが日常的にあって、5年より前の記憶が希望だったっていうか、逆に足枷にもなっていたというか、希望があるから絶望が生まれるみたいな感じで、目の前の苦しみから逃れるために無理やり記憶を消したらしいんだけど、まさかもう二度と戻らないと思っていたこっちに帰ってくることになって、自分がこっちでどういう暮らししていたかなんて分からないし、でも何とか生きていかなきゃって思ってたら、そこはご都合主義というかなんというか、意外と壁にぶつかることもなくて、そうこう暮らしている内に高校で友達なんてのも出来たりして、親友モブなんてポジションを手に入れて、平和な暮らしっていいもんだと思いつつも、突然ちょっとしたトラブルに巻き込まれ、俺の平和な日常はどうなっちゃうのーなんて思っていたところで、今度はまさかクラスメートに記憶を失っていた時期のことを知っているって奴が現れてもう大変、俺の平和な日常はどうなっちゃうのーって、これは二回目か、本当にどうなっちゃうんだろうね、とほほって感じで」

「先輩ストップ! ストップです!」


 慌てて止めてくる綾瀬。

 なんだよもう、折角上手いこと整理できていそうだったのに。


「速いですっ! ゆっくりでいいっていいましたよね!?」

「いや、ゆっくりだったろ。ちゃんと段階踏んでたろ。ストーリー形式だったろ」


 むしろこの勢いでそのまま問題点まで突撃出来そうだった。


「段階踏んでる踏んでないは問題じゃなくてですね、速いんですよ、速度が!」


 綾瀬は何故かパニックになっていた。


「正直記憶喪失というのが大きすぎて飲み込めていないというか、そこにさらに追加情報突っ込んでくるから咀嚼も間に合わず、あれよあれよと飛び込んでくる情報の波はもう右から来たのを左に受け流すので精一杯というか、正直早口すぎて何喋っているか分からないっていうかで、あーもー!」

「綾瀬も十分早口だぞ」

「私はいいんですっ!」


 謎理論を展開してキレる綾瀬。これだから若い子は。


「とにかく、もう一度、ゆっくりと、最初から!」

「俺は記憶喪失なんだが、その記憶喪失時代の知り合いが現れてどうしようって話」

「何か滅茶苦茶端折りましたね!?」

「だって言っても仕方ないことだし」


 脳内整理するよりも口に出した方が上手くいくこともある。

 そのために一度喋った内容は言い直す必要は無いだろうし、なにより“あっち”でのことは本来話すべきことじゃ無かったことだ。


「……まぁ、いいです」


 言っても仕方ないことと言われたのが不服だったのか、少し不機嫌になる綾瀬。いいですと口では言っているが拗ねたように口を尖らせている。


「しかし、記憶喪失ってどうしてそうなったんですか?」

「そもそもだけど、信じるのか?」

「信じますよ、先輩の言うことですから」


 やだ、この子素直すぎ。


「でも記憶喪失というのは創作物以外で初めて見ました。簡単になるものなんですか?」

「脳みそに直接スタンガンでも叩き込めば一発だろ」

「それは嘘ですよね流石に」

「まあうん」


 似たようなことはしたけれど。


「ただ今問題にしているのは原因じゃないんだ。俺が記憶喪失になったことである奴を傷つけちまったわけで、その自責の念が連鎖して色々他にも嫌なことを思い出させるというか……」


 何というか、こうして落ち着いて話してしまうとどうしようもない話だ。決して桐生が悪いわけでは無いのだが、記憶喪失という免罪符を持っていると忘れたことも罪に問いづらいように聞こえてしまう。


「連鎖的に……それってどれくらいですか?」

「どれくらい?……ばよえーんって感じかな」

「なるほど」


 何がなるほど? 何に納得したんだこの子は。


「ちなみに、その傷つけたという相手はどのような方ですか?」

「クラスメート、かな」

「では週明けには顔を合わせてしまうわけですね」

「そうなんだよなぁ……」


 不登校に学校でのことを心配される俺。

 ただ、その時までに対応について答えを出さなければ、俺は親友モブである椚木鋼というポジションではいられなくなってしまうかもしれない。


「その方が言う、記憶を失う前はどういった間柄だったんですか?」

「うーん、何も思い出せてはいないが、小学校の友達だったらしい」

「でもそういう知り合い多そうですよね。今までよく問題にならなかったというか……」

「あいつが言うには俺たちは他県の学校に通っていたらしい。あいつは親の転勤でこっちに来て、俺は……たまたまこっちに引っ越してきて一人暮らししてるーみたいな」

「なるほど。……ちなみに」


 こいつちなみすぎじゃない? 綾瀬ちなみちゃん? などと思って改めて目を向けると、感情の籠っていない暗い瞳を向けてきていた。

 怖い。これがホラー映画だったら低めの音で煽って煽って、そして無音。くらいの怖さだ。夜だし。


「相手の性別は?」


 ……え? それだけ? それだけの質問にそれほどの覇気というか妖気出す必要ある?


「お、女の子ですが」

「へぇ……」


 底冷えするような声。綾瀬から出た声だと一瞬分からなかった。


「ちなみに可愛い方で?」

「可愛い、とは違うような……」

「つまり美人と。ギルティですね」

「なんでっ!?」


 色々と何で!?


「全く、私からの電話は無視して女の人とイチャイチャしていたとはこれは説教が必要ですね」

「いや本当に色々と何でだよ! お前と俺って付き合ってるわけじゃないだろ!?」

「付き合ってますよ、8年ほど」

「え……まじ……?」

「嘘です」

「だよね!!!!!!!!!!!!」


 いや、本当に記憶喪失期間の話は何があってもおかしくないから笑えない冗談はNG。心臓に悪い。


「本当に記憶喪失なんですね」


 俺の反応を見てそう納得したように頷く綾瀬。


「まさか試したのか?」

「いえ、偶々思っただけですけど」


 じゃあさっきの殺気は何!?


「まぁ、記憶喪失と言われてしまうと詳しい内情には踏み込みづらいですが、一つ言えるとすれば」


 こほん、と咳払いを挟み、綾瀬はベンチから立ち上がり、わざわざ俺の正面に来て真っすぐ目を覗き込んできた。


「らしくないですよ先輩」

「らしくない?」

「私に変態おじさんの話をした時の先輩はもっとデリカシーなくガンガン来ましたよ。細かいこと気にして暗い顔するなんてキャラじゃないですよね? 相手を傷つけたって落ち込んでいるなんて、それだったら傷物にされた私はどうなるっていうんですか」

「物騒なこと言うな!」


 表現が何だかぶっ飛んでるんだよこの子は!


「もしかしたら、その人にとっての椚木鋼という人は今の先輩じゃないのかもしれません。でも、5年より前なんて言ったら先輩は小学生ですよね? 成長して小学生のままだったら気持ち悪いじゃないですか。頭脳は子供、体は大人ですよ? おしゃぶりしゃぶってるんですよ!?」

「しゃぶってねーよ!」


 記憶は無いけれど、「え、おしゃぶりしゃぶっていたかも……」とはならない。小学生はおしゃぶりをしゃぶらない!


 そんな綾瀬の勢いは止まらず、目の焦点も合わなくなっている。口だけは回っているが勢い任せで、軽いパニックになっているっぽい。


 ただ、自分より落ち着いていない奴を見ると、見ている側はどこか冷静になるもんだ。

 冷静になって聞けば、綾瀬の言っていることは客観的に見て正しいことに思えた。俺が傷に塩を塗り込む鬼畜野郎というのがスタンダードになっているのは遺憾だが。


「だから、その人に言ってやればいいんです。今の椚木鋼はこの俺だって!」

「今の俺……」

「その幼馴染の美人さんには少し悪いかもしれませんけど、私にとっては先輩が先輩らしく生きてくれる方が重要ですから。だから、ぐじぐじ迷わずにガンガン突っ走って先輩なりの答えを見つけてください」


 綾瀬はそう言ってニッコリ微笑む。


「それがどんな結果になっても、私は受け入れますから」


 



 ああ、やっぱり似ている。と思うのは綾瀬光に失礼だろうが、この子はやっぱりあの子に似ている。 

 どこか落ち着きが無く、コロコロと表情を変え、それでもいざという時は真っすぐぶつかってきて、どうにも俺と相性が悪い。

 彼女の言うことに従いたくなる。身を委ねたくなる。甘えたくなってしまう


「分かった」


 自然と口からそう出ていた。


 もしかしたら悩みなんてものは、いつだって自分の心の中で答えが出ているものなのかもしれない。人に悩みを相談するという時は、自分の出した答えに自信が無いから言質が欲しいのだ。

 しかし、どうしてこう、“こいつら”は俺の求めた答えをくれるのだろう。


「やってみる」

「はい、結果お待ちしてますね」


 すっかりネガティブ思考になっていたクヌギコウは鳴りを潜めていた。

 桐生の中の椚木鋼、綾瀬にとっての椚木鋼、俺だけが抱えるクヌギコウ。全員俺なんだ。だったら逃げずに向き合わないと、それぞれの俺に気を置いてくれた人たちに失礼だ。


 だからまずは、この暗闇の中、未だ癒えない傷を押し殺して駆け付けてくれたヒーローに労いの言葉を贈らせていただくとしよう。


「ありがとう、綾瀬。助かった」

「っ……はい!!」


 きっと自然に笑えていた。俺に向けられた綾瀬の笑顔を見てそう確信できた。


 よし、待ってろよ桐生。週明けなんて言わない。

 俺はお前の言う椚木鋼に向き合うぞ。だから、お前には悪いけど、しっかりと向き合ってもらう。今の俺、親友モブの椚木鋼にな!


 ……あまりに頭の中で自分の名前を連呼したものだから、少し恥ずかしい気分になった。


 そう思う俺はもう、今まで通りの俺だった。

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