第12話 失われた時間
俺と桐生は場所を移し、近くのファーストフード店に入った。
当然快人と古藤の尾行は中断である。ヒロインである桐生と一緒に尾行なんてそんな危険度の高い行為をする気は無い。
「初めて来たわ……」
そう呟きながら興味深げに店内を見渡す桐生。別になんも珍しいことは何もない何処にでもあるただのチェーン店だ。まるでおのぼりさんのような桐生の姿に苦笑してしまう。
「お前なんか食う? 俺は食うけど」
夕方でまだ晩飯には少し早いが、どうせ来たのだからここで済ませておきたいと思っての発言だ。まぁ桐生はドリンクのみだと思うけど。
意識高い奴はエネルギー過多だとか塩分が~とか言ってファーストフードを毛嫌いしている傾向が高いというのが俺の持論だ。あいつらはファーストフードをバカにしていれば自分が偉くなったと勘違いしており、意識は高い分、知能が低めに設定されているのだ。(偏見)
というわけで、意識が高い桐生と、意識も知能も低い俺の第二次口戦が始まるかと思われたのだが、
「そうね……食べるわ」
「えっ、意外。こういうの食べるんだな」
「食べたことは無いけれど……今日、家に人いないから」
色っぺー! なんだか色っぺぇ! ちょっと恥ずかしそうに髪をいじる桐生に、流石の俺もそう思わずにはいられない。素材は満点の美少女なのだ。このモジモジトした少し気恥ずかしそうな態度を見せれば、男の大半は落ちる。
「今日家に人がいないから」を切り出して着メロ化すれば町中で今日家に人がいない桐生が大量発生するに違いない。
なんて、お泊りでムフフな素敵ワードが飛び出しても、ここは桐生の家じゃなくてどこにでもあるチェーン店。億が一にも桐生と俺がそんな関係になることはあり得ないだろう。
それ以降、特に会話も無いまま、カウンターで俺たちの番が来ると、俺と桐生は同時にカウンターのメニュー表を覗き込んだ。
が、それがやけに距離が近い。ええい、何だこれは。俺と桐生はこういう距離感になることは本来あり得ない。あってはいけない間柄の筈だ。
俺はサッと身を引いて、キャンペーン中と書かれた広告に目を向けた。
「もう決めたの?」
「おう。お前さんは?」
「私はまだ……結構色々な種類があるのね。こういうのはハンバーグだけだと思っていたけれど。鶏肉、魚、エビなんていうのもあるし、野菜もバリエーションが……」
ぶつぶつと呟きながら興味深げにメニューを見ている桐生。男性の店員さんはそんな桐生に見惚れていた。確かに普段の雰囲気からは想像できない無防備さだ。
もしかして双子!? の下りはもうやったか。割愛。
「……決めたわ」
ものの数分であったが、悩み切った桐生はわずかに横にそれて俺に場所を譲った。先に言えということらしい。
「あの看板の、半熟タマゴバーガーポテトセットで」
「それを二つ」
こいつ乗っかってきやがった。決まってなかったんじゃねぇか。
訝しむように桐生を見ると、桐生はつんっと顔を反らしやがる。
「『少しのことにも、先達はあらまほしきことなり』よ 」
ファーストフードのメニュー選びなんて少しのことというのも烏滸がましいくらい些細なことだと思うのだけど。まさか、かの兼好法師もこんなポテトが揚がる音が鳴り響く店内で引用されるなんて思っていなかったことだろう。
「ドリンクはいかがなされますか?」
「ドリンク……」
ちらっ、と此方を見てくる桐生。
「飲み物のことだよ。セットだから付いてくる」
「……そう」
この詳細を説明する切り返し、桐生にははっきり伝わったようだ。
ここで普通なら先の流れを踏まえ俺が先に選ぶものだ。だが、桐生にパスすることで俺の真似をさせないというメッセージになる。桐生も馬鹿ではないから、それは伝わっているだろう。
同じメニューなんて仲良いみたいで恥ずかしいじゃないか!
当然俺は決めている。ここに来たら頼むのはいつも同じドリンクだ。
「じゃあ……リンゴジュース」
「ぶっ!」
「椚木君はどうするの?」
「……リンゴジュースで」
「やっぱりね」
やっぱり? 何がやっぱり? 理解しきったように口角を上げる桐生に顔を顰めつつ、すぐに出てきたドリンクだけを持って適当な席に座った。
「さて」
対面に腰を下ろした桐生鏡花はリンゴジュースに口を付けることも無く、腕を組んで真っすぐ俺を見てきた。むにゅう、とその大きなお胸が形を変える。目に毒すぎる!
「こうやって、面と向かって話すのは随分と久しぶりね」
「久しぶりっていうか、初めてだろ」
リンゴジュースを適度に摂取し、桐生に返事をした。俺の声は自分でも驚くくらい不機嫌そうで、そんな俺の言葉を受けて桐生も不機嫌そうに顔を顰めた。
「やっぱり覚えていないのね」
「覚えていない? 何を」
「私のことよ」
「覚えてるだろ。桐生鏡花。我らがクラスのナンバーワン美人で、告白を断るどころか全部ガン無視する氷の女王。成績は学年トップの秀才でもあり、男どもが逆上して襲い掛かることも出来ない合気道有段者でもある」
「く、詳しいわね」
「調べたからな」
ヒロイン候補の情報は少し調べればわかるプロフィール程度なら把握している。流石に体重・スリーサイズとかは知らないけれど。
それでも桐生にドン引かれるには十分だった。
「そ、そう」
少し息を吐いて、桐生もリンゴジュースに口を付けた。あ、僅かに身を引いている。
「あ……おいしい」
「そうだろ。チェーン店といっても、ここのリンゴジュースは美味いんだ」
なんでも本社の方が果樹園も経営していて、そこで取れたリンゴをジュースにしているらしい。この系列の店でしか味わえないのである。
「単純にリンゴジュースが好きなだけだと思っていたけれど、味は分かるのね」
「何? 馬鹿にしてるの? してるよね。もうずっと、いつでも、どんなときも」
「していないわ。今回だけは」
「今回限定かよ」
「感心しているの」
「それ馬鹿にしてるのと変わんねーから!」
などと、怒ってみるものの、意外と悪い感じではない。思えば桐生とここまで長く話したのは初めてかもしれない。それこそ快人を挟んでいても無かったことだ。
「お待たせしました。セットの半熟タマゴバーガーとセットのポテトになります」
丁度会話の合間に待っていたバーガーとポテトが届けられた。桐生は包装紙をまじまじと見ながらもちらっとこちらを見てきた。
「んだよ」
「フォークとナイフが無いわ」
「ベタなリアクションすんな!」
「冗談よ」
くすりと笑うと、一切躊躇いなく、しなやかな指でポテトを摘まんで口に運ぶ。多分この姿を写真に撮っただけでもファンの連中は諸手を上げて購入するのだろう。俺も一枚、いいすか?
「それにしてもおかしな話ね」
「ん?」
「私と貴方が二人きりでご飯を食べる日が来るなんて」
「どーいう意味だよそりゃ」
二人きりというにはこの騒がしい店内ではムードもへったくれもない。だが、そうであっても十分に異常事態であることは確かだ。
それでも、面と向かって言われるとやはり腑に落ちないものもある。同じことを考えていたというのに、つくづく小さいなぁ俺って。
「本当に、変わったわね」
「誰が」
「貴方が」
「どこが」
「そういうところが」
まるで押し問答だ。言葉遊びだ。こんな無駄な時間を桐生が好むとは思えない。何か意図があるのだろうか。
気が付けば眉間に随分と力が入っていた。無意識のうちにへの字に曲がった口が僅かにピリピリとした痛みを放つ。
「子供の頃のことは覚えている?」
そんなヒントが桐生から投げられた。桐生は小さくハンバーガーに齧り付いているところだった。
「子供の頃?」
「……小学校2年生とか」
それが目的か。俺は目を閉じ、昔に想いを馳せる。だが、広がっているのは瞼の裏の暗闇だけだ。
「覚えてない」
「そう……そうでしょうね」
「回りくどいな。いい加減教えてくれよ」
桐生は何処か責めるような目で見てきていた。何故そんな目を向けられなければいけないんだ。
第一、こいつが知る由もないことだが、桐生の質問は俺にとって触れられたくないものでもあった。しっかりと鍵をして、絶対に誰にも言わないと決めていたことでもある。
それでも、桐生が叩き続けるのなら、それで何かが変わるって言うなら、安いプライドはこの際捨ててやる。
「俺は、5年より前の記憶が無いんだ」
「は……?記憶が無い……?忘れた、ではなく?」
「忘れたんだと思うけれど、残念ながらかけらも無くしちまったもんだから、最初から無かったのと同じだ」
「記憶喪失、ということ?」
「ああ」
桐生は驚いたように目を丸くした。余程衝撃だったらしい。
「じゃあ、……大樹のことも覚えていない?」
「大樹?」
「私の、弟」
ぽつり、と桐生は苦しむように呟いた。
「桐生大樹、その名前も、思い出せない……?」
「あ、ああ。全く……悪い」
ぎゅっと、桐生が強く拳を握るのが見えた。何かに耐えるように強く握られた拳は小刻みに震えていて、俺はなんと声を掛ければいいのか分からなかった。
「私、貴方が嫌いだった」
「知ってるよ、ああも文句言われてたらな」
「私が貴方のことを嫌いだったのは、大樹のこと、私のこと、惚けたみたいに聞いてこなかったから。忘れるなんてありえないって思っていたから……でも記憶喪失なんて」
今にも泣きだしそうな桐生の姿に俺はただ困惑していた。もしも俺が記憶を失っていなければ。そんなどうしようもない仮定に想いを馳せてしまうほどに、今の彼女は儚げで。
もしも俺たちがこの話をしなかったら。俺が大事な何かを忘れちまったクズ野郎だという認識を桐生は持ち続ける。そして俺はただ桐生に嫌われている。そんな関係のままでいる方が良かったのかもしれない。
桐生は変だ。さっきまでは俺を責めていたのに、今度は自分を責めているように見えた。悪いのは、俺の方なのに。
「……場所を変えましょう。ここじゃ、話し辛いから」
半分以上残ったハンバーガーを再び紙袋に包み、捨てるのには抵抗があるのか鞄に入れる桐生。俺も全く口を付けていないハンバーガーを鞄に入れ、席を立った。
まだ続けるのか、と口から出そうになった言葉は飲み込んでいた。大樹という彼女の弟のことは思い出せない。もしも知ってしまえば引き返せないという直感があるが、彼女の思いを無碍にして、クズ野郎を演じることに抵抗が生まれてしまっていた。
「何処に行くんだ」
「私の家……近くだから」
……先ほどの「今日家に人がいない」発言が本当にお家訪問に繋がるとは思っていなかった。
だが流石にここで引くことは出来ず、ファーストフード店から出て、桐生に先導されるまま日の沈みかけた商店街を歩き出す。
俺は親友モブの筈だったのに、この世界じゃ脇役でいられる筈だったのに。
まさか、あの失った過去に向き合うということが起こるなんて思ってもいなかった。