第118話 最終話の一個前
「はぁ!? あのお嬢様、1人で行ったのかよっ!?」
とあるペンションの一室で俺は朝っぱらから大声で叫ぶ羽目になっていた。寝起き直後に、「いいニュースと悪いニュース、どっちが聞きたい?」とかいう、昔ながらのアメリカンなノリから告げられたバッドニュースのせいだ。
ところで、ペンションってマンションと響きが似ているけど非なるものなんだよな。ションベンの方が近いし、マンションってよりはそっちなんだろうか。
「ってそんなこと考えてる場合じゃねぇ!」
「そんなこととは?」
「どうせ下ネタだろう」
言葉尻を拾って反応するのは淡々とした口調の女と、男っぽい響きを持つ女。どちらも素っ気なく、そして俺を軽視する見方に変わりは無いが、反応からして"彼女"が単身であそこに乗り込んだということは把握しているらしい。
「下ネタですか。やっぱり下ネタですか」
「下ネタだろう。ほら、吐け。考えていた下ネタを吐け」
「大好きか! お前ら下ネタ大好きかぁ!?」
こちとらそれどころじゃないのに、下ネタを催促してくる女……いや、"女子"2人。
「知らないんですか、女子高生は下ネタ大好きなんですよ」
「だから犯罪臭のするメイド服なんて来てるんですかねぇ……」
「これはトレードマークですよ。ほら、冥渡ですから。メイドの冥渡ちゃんなんてドラマのタイトルにでもなりそうでしょう?」
「お前……高校にもその恰好で通う気じゃないだろうな」
「当然そのつもりですが? ああ、制服をメイド風に改造するのも楽しそうですね。二次元とかでよくありそうじゃないですか」
そういうのは二次元でやってくれ。思う存分やってくれて構わない、二度と三次元に帰ってこなくても結構ですからね(辛辣)。
「ほら、貴方もどうです? 名前寄せ……そうですね、制服を血塗れにしていくとか」
「は?」
「おお、それは面白い。血染めのブラッドかぁ……うん、返り血で体を真紅に染めたとかいうエピソードを付ければそれっぽくなるかもな」
それなら三倍は早くなりそう。何の三倍かは知らないけれど。
「って、そんなどうでもいい話をしている場合じゃないだろ。お前らその感じだと知ってたんだよな。どうして止めなかった!?」
「止めましたよ。『もしも行ってしまったらさぞかし困るでしょうね、彼が』と」
「こうも言ったな。『お前が一人で行ったと知れればあいつに説教されるぞ。きっと小一時間はみっちりと』と。フフフ、それを聞いた時のあいつの顔といったら」
「煽ってるよね。完全に煽ってるよね!?」
あのお嬢様が……いや、正確にはお嬢様でもなんでもないんだけれど、お嬢様属性のアラアラウフフなあいつの脳内が、叱られるのは愛情表現とかいう訳分からない思考回路で出来ているというのは公然の事実。
朝起こそうとすれば頭に水を掛け、スリッパには足つぼマッサージのアレを仕込み、砂糖と塩を意図的に間違える……そんな叱られるための悪戯を仕掛けてくるあいつが、碌に日本語も書けないくせに単身あの高校に乗り込んだのは、いや乗り込ませたのはこいつらだ。
「ちなみにメールが来たぞ」
「メールぅ? あいつにメールなんて出来るわけないだろ!」
「確かに文字は打てないが、写真なら送れる……というか、それだけは教えたからな。ほら、見ろ」
ブラッドに見せられたスマホの画面には、彼女がスケッチブックに書いた、ウネウネとした幾何学模様的な文字が映っていた。あちらの世界の一部で使われる神聖文字という、教会発祥の文字だ。
「『ちゃんと席、残っていましたよ』って……あの馬鹿、そんなどうでもいいこと……」
「ホッとしてますね」
「してない」
「してるな」
「してないっ!」
図星を突かれ思わず怒鳴る。怒鳴りつつ……クローゼット内に掛けていた、クリーニング済みの制服に手を掛けた。
「おや、やはり行くんですね」
「仕方ない。私達の転入手続きはまだ済んでいないからな。ああ、どうしてエレナの手続きだけ先に済んだのかなー不思議だなー」
「わざとらしいなチクショウ!」
「良かったですね。公輝様が休学扱いにしてくれていたおかげで、すぐにでも復帰できますね」
「それに関しちゃ、ありがたいけどさぁ……」
俺は退学ではなく休学になっている。そう既に公輝さんから聞いているからこそ、あのクソバカアホ女を回収に行けるんだけど……!
「なんだ、お前。まさかまだ言い訳を考えてなかったのか?」
「う……」
「困っているのは壮大に別れてきたのにあっさり帰ってきた言い訳ですか? それとも……僅か1週間程度で帰ってこれていたのに、うじうじと顔を出さずにいた言い訳ですか?」
「うぅ……」
刺すような視線。こいつら他人事だと思って好き勝手言いやがって……!
散々公輝さんにも突かれていたし、俺達をペンションに匿ってくれている諸住君にも呆れられていたし……それでも、俺は。
「ど、どうしろってんだよ!? 言い出し辛いだろ! もう帰ってきました、解決しましたーなんてさぁ! ちょっとした小旅行くらいの時間だよ!? 今生の別れも覚悟してますみたいな空気を出してこれだよ!?」
「つまり恥ずかしいと?」
「そうです!!」
「正直に言って出てきたんだ。帰りも正直に言えばいいだろう。向こうでは30年以上過ごしたけれど、魔法パワーで出発した時間に帰ってきたと」
「それじゃあ今までの時間はなんだったんだって話は解決しませんよね!?」
「それは自業自得でしょう」
それを言っちゃあおしめぇよ、である。ほら、大体のことは自業自得で済んじゃうから。それこそ魔法みたいなもんだから。
「ああ、私達が縮んだことも説明しないといけませんね」
「そうだな」
「必要なくない? お前ら面識無いんだから」
「失敬な。内縁の妻ですよ私達」
「あ、そうなの? 知らない間に結婚おめでとう」
内縁の妻? 内縁って誰? 内縁太郎さん?
「意味理解していないだろ。内縁ってのは、互いに結婚に同意して同棲しているが婚姻届は出していない、みたいなアレだな」
「みたいなアレか」
「アレだ」
「じゃあ違うじゃん。結婚に同意なんかしてませんよ、ボク」
「そうだな」
「ちょっとちょっと、ブラッドさん? 何同意しちゃってるんですか。私達同じ屋根の下にずうっと暮らしているんですよ。これ即ち事実婚ナリしゃないですか」
「よぉし、じゃあ出ていけ。事実離婚と行こう」
「そんなぁ」
なんて、くだらない会話をしている内に一刻一刻と時間が過ぎていく。
あのクソバカハナタレお嬢様が学校で何をやらかしているか分かったものじゃない。
「……ブラッド、ゲート開いてくれ」
「自分で開け」
「頼むよ。どうせ帰り開かなきゃだろ……」
「なんと話すか決めたのですか?」
「……取りあえず回収する。話はそれから……そのうちだ」
「言い直すな」
そのうちもまた魔法の言葉だ。そのうち、いつか。その言葉が俺に勇気と力を与えてくれる……。
「まあいい。開いてやるさ、お前の気が変わらない内に」
「あ、ちょっと待って。アレ持ってくる。ほら、いざという時の」
「アレ……ですか? 私はやめた方がいいと思っていますが」
珍しく冥渡が冷たい視線を飛ばしてくる。……いや、珍しくないね。いつも通りだわ。
通常運転の冷視線を浴びつつも例のブツが入った紙袋を取りに行く。ふふふ、秘密兵器というやつだ。
「馬鹿。ジャパニーズおもてなしだよ。手土産ってのは有ると無いじゃ大違いなの」
「……まぁ、止めませんが。お嬢様が何と言うか」
「あいつにはバレないように捕まえて来るさ。勇者を舐めるなよ?」
「勇者というよりこそ泥だろう……まあ、いい。ほら、ゲート開いてやったぞ。屋上だ」
「サンクス。あっ、でもちょっとだけ深呼吸……」
「さっさと行け!!」
容赦なく背中を蹴られ、俺はブラッドの作ったゲートに押し込まれた。ゲートってのは、魔法で作ったどこでもなヤツである。どこでもアレだ。
なんて言っている間にも俺は落ちた。落ちるような浮遊感に包まれ、そして。
「げふんっ!」
盛大に顔面から屋上にダイブした。
慣れ親しんだ……といえば嘘になるが、かつて親友と語り合った思い出の場所に。