第115話 光
あけましておめでとうございます。
もうすぐ本作もエンディングを迎えますが最後までお付き合いいただけますと幸いです。
「落ち着きました?」
「うん……ごめん」
後輩の、年下の、それも女の子の胸に顔を埋めて、ワンワンと泣き喚いた俺に残ったのは妙な気恥ずかしさだった。
とはいえ、レイのことも換算すると……何歳になるんだ? ええと、15にレイの年齢を足すと……。
「鋼さん、今私の年、数えてましたよね?」
「え? いやぁ、どう、ですかね……」
「女性にそれは失礼ですよ。それに敬語もやめてください。私は綾瀬光、鋼さんの一つ下の後輩です。先輩になる気はありません」
少し拗ねたように光はそう宣言した。言われてしまえば俺も頷くしかない。どうやら彼女にとって、後輩であるということは結構重要なことらしい。
「分かった、二度としないよ」
「はい、そうしてください。もう甘えられなくなるのは寂しいですし……あっ、でも私には甘えてくれていいですよ?」
「ははは……」
そんな言葉には苦笑してしまうが。先ほどまで彼女に甘えていたというのも、早くも俺の中で黒歴史になりつつある。誰も通りすがらなかったのは良かったけれど。俺はともかく、光に余計なレッテルが貼られるのは避けたいところだ。
「鋼さんは……戻るんですよね。あの世界に」
「ん……ああ。そういや、レイは知ってるんだよな。あの世界を」
「はい。とはいえ、見たことはありませんが」
レイは目は見えなかったけれど、あの世界を最後の最後まで見ることは無かったというのは救いかもしれない。レイのいた村はのどかで、平和で……けれど、最後には全て燃え上がり灰と化してしまった。その全てを知っている俺は今でもあの光景を悪夢に見ることがある。
「あっちには、置いてきたものが多すぎる」
「兄のこと、ですか?」
この兄は快人ではない。もう一人の、レイにとっての兄であることは流石に分かった。
「それも、ある」
「その……鋼さん。兄は、バルログは……」
「死んだ」
体温がぐっと下がるのを感じた。しかし、彼女には、彼女だけには黙ってはいられない。
「俺が、殺した」
「……そう、ですか」
反応は思ったよりも大人しい。
もしも俺の想像通り快人との会話を聞いていたのなら、そのことも既にその時知っていたのだろう、光はそれを示すように悲し気に微笑む。
「……すみません、意地悪をしました」
「いいや。やっぱり快人との会話、聞いてたんだな」
「はい、みんなで」
「みんな……? みんなって」
「私と、幽ちゃん、怜南ちゃん、紬ちゃん、鏡花さん、蓮華さんです」
「マ……マジ……」
それは中々濃いメンツだ。揃いも揃って俺が転校すると本当の理由を誤魔化してきたやつらだ。騙してたことも含め、反応が実に気になる……いや、知りたくない。
「みなさん、ショックを受けていましたよ?」
「いや、でもさ。仕方なくないか? 異世界がどうとか、そこに帰るとか、真面目に話したって普通信じられないって。もしもそういう経験している俺がいきなり誰かからそんな話されても信じらんないもん」
「それをみなさんが認めてくれればいいですが……」
ちらっと、公園の入り口に目を向ける光。そこには誰もいない。いないが!
「ま、まさかご本人登場シリーズ……!?」
「と、言いたいところですが、残念ながらお越しにはなれませんでした」
「っぶねー……びびったー……」
「今日、あの思い出の場所に鋼さんが来ることを知っていたのは私だけでしたから。みなさんには悪いですが、抜け駆けしちゃいました」
悪戯が成功した子供のようにペロッと舌を出す光さん。そのお茶目に助けられたというわけか。
いや、でももしもこの場に全員来ていたら俺はその物量に圧され思わず逃げ出していたかもしれない。椚木鋼くんは異世界じゃ勇者だが、この世界ではただのメンタルが弱い普通の男の子(自称)なのだ。
「ああ、でも代わりのものを託されてはいます。はい、どうぞ」
そう、光が鞄から出したのは手紙の束だった。話の流れ的にここにいない彼女たちが書いたものだろう。どんな恨み節、罵声の数々が刻まれているのか……想像するだけで怖い。この暑い季節も極寒に早変わりだ。
「異世界への道すがら読んでくださいね?」
「そんな駅弁みたいな言い方……」
が、わざわざ時間を割いて用意してくれたのだ。殆ど空のリュックに詰めるものが出来たのだ。それも実際の重さに反してとても重い物が。
「光は止めないんだな」
「止めて欲しいですか?」
「……いいや」
止められても止まれない。止まるわけにはいかない。
あの世界には置いてきたものがある。バルログのことだけじゃない。両親のこと、かつての仲間のこと、俺に期待をしてくれていた人たちのこと、そして自分自身さえも。
自身の記憶を消した俺にとっては余計なお世話かもしれないが、やはり知りたい。鏡花のことも有るし両親のこともある。この世界で生きたいのならばこそ、永遠に閉じ込めておくことはできない。
「これは俺の我儘だから。止めようと思って止められるもんでもないさ」
「そう、ですよね」
光は小さく溜息を吐く。
もう、言葉は無かった。光も連れていって欲しいとは言わなかった。あの世界を、たとえ狭い村の中でもあの世界の実情に触れてきた彼女だからこそ、普通の女子高生である彼女が生きていくにはあまりに厳しい環境であることは分かっているのだろう。俺がその申し出に頷くことが有り得ないということも。
「兄のこと、よろしくお願いします」
「……ああ」
彼女にしっかりと頷き返し、立ち上がる。
最後に彼女と会えてよかった。最初に出くわした時、記憶が戻っていると知った時は驚いたけれど、今は心の底からそう思う。
あの世界にもうレイはいない。向こうに骨をうずめる理由が一つ減ったということなのだから。
「じゃあな。元気で」
「鋼さんっ」
「ん?」
カッコつけようとしたわけではないけれど、短く別れの言葉を告げ、そのまま去ろうとした俺に光が声を掛けてくる。振り向いた俺の目の前には、光の顔が大きく映し出されていて……。
俺が呆気に取られているまま、光はゆっくり、名残惜しむように離れる。頬を紅潮させ、目はじんわりと潤ませ、それでも嬉しそうに笑っていた。
「我儘、です。止めようと思っても止められないんでしょう?」
「……ったく」
気恥ずかしさから俺は頭をがりがりと掻きつつ微笑む。
「鋼さん、待ってますから。いつまでも、ずっとずっと待ってますから。売れ残りになっちゃう前に帰ってきてくださいよ!」
「善処する。……でも、万が一はある。もしも誰かいい人がいたら、俺なんか忘れて……」
「忘れられるわけないじゃないですか。前世でも、生まれ変わっても好きになったんですから」
真正面からそう言われてしまうと、俺も返す言葉を失ってしまう。
「勿論、鋼さんが責任感を覚える必要はありません。鋼さんには幸せになって欲しいですし、鋼さんが他の人を好きになってしまったら……それも、それです」
「光……」
「でも、私の気持ちは私のものです。だから……」
「それも我儘か……」
「はいっ!」
光は明るく、満面の笑みを浮かべた。
たとえこの先何が待ち受けていようとも。たとえ彼女に会えるのがこれで最後になったとしても。
きっと、この笑顔を俺は忘れないだろう。レイを、光を……彼女という存在を無くすことはないだろう。
俺は彼女と、この世界をしっかりと頭の中に焼き付け、そして。
この世界を後にした。
もちっとだけ続きやす……!




