第113話 終わりの朝
町の空気が澄んでいると思ったことはない。
ここ、明桜町は普通の町だ。住宅街と形容すればいいのだろうか。都市部ではないが田舎でもない。きっとエアコンから出る外気とか、車が発する排気ガスとか、そういうので少しずつ汚れていっているのだろう。田舎に行くと空気が澄んで美味いと聞くし。
そういう意味じゃ異世界のほうが科学技術が発達していない分空気は美味いかもしれない。当時の俺は空気の味なんて感じたこともなかったから不明だが。
そういう意味じゃ俺はこの町の空気が好きだ。空気を味わうという感覚を教えてくれたのはこの町、この町の人達なのだから。
「なんて言ってるとヒーローっぽいなぁ」
思わず自嘲する。ヒーローはどの世界でもヒーローの宿命から逃れられないのが定石。けれど俺はこの世界じゃヒーローらしいことは何もない。ただの一般市民でいられた。そういう意味じゃ器じゃないと言って間違いないだろう。
「っと、ここは」
なんて考えていると少し思い出深い場所に辿り着いた。
なんの変哲もないT字路。けれど、ある意味俺の日常を塗り替えたきっかけとなった場所。
あの日、ここで彼女に出会わなければ、俺は今頃どうしていたのだろう。明後日の試験に向けて快人らと勉強でもしていたのだろうか。……彼らを騙したまま。
「ンニャア」
「ん?」
足首を何かが撫でる。
猫だ。黒猫だ。俺を飼い主か何かと勘違いしているのかグリグリと首を擦り付けてきている。
「首輪なし……ノラか?」
野良猫といえば不潔、感染症の恐れ有りなんてのが世間一般の考えだろうけど、俺はそんなに気にせずしゃがみ込んで野良猫の頭を撫でる。
「親とはぐれたか? 大変だな、まだちっさいのに」
まだまだ小さいその子猫は気持ちよさげに身をよじる。いや、嫌がっているだけかも? 残念ながら俺に猫語は分からない。
「ニャッ」
子猫はぴくっと身体を跳ねさすとT字路の向こうを振り向く。
「はぁ、はぁ……良かった……ちゃんと会えました」
そこにいた息を切らした少女を見て、俺は固まった。動揺などという言葉では表しきれない程の動揺。何故という言葉が頭の中を大量に駆け巡る。
これが仮に鏡花や蓮華、他の誰かなら決してここまで驚きはしなかった。別の意味で驚きはしただろうけど。
ただ、彼女がここに、しかも“あの日と同じ制服姿”でいることは全く訳が違う。
「お久しぶりです」
彼女は息を整えると頬を紅潮させて微笑んだ。
まるであの日をもう一度やり直そうとするように。
兄と同じく地毛だろう、少し明るい茶色の髪をふわふわと揺らし、丸くぱっちりとした目をこちらに向ける美少女。
今回は変質者に追われているわけでは無いらしい。呼吸は乱れているが余裕がある。
そんな俺の心情を察してか、彼女は照れるようにはにかむ。
「今回はその子を追いかけてたんです」
その子と指さしたのは俺の手をげしげしと殴ってきている黒猫だ。
「いえ、あの、今回も……ですかね。ほら、ここ通学路から離れてるじゃないですか」
「……ああ、確かに」
変質者に追われていたにしろ、何故こんな場所をという頭に微かに過っていた疑問が解消される。
全ては俺を詰ますためにアイツが用意したルート。アニメやマンガの策略家がよく使う逃げ道をわざと用意して目的地に誘導みたいなものだ。
当然変質者……変態おじさんの正体がブラッドちゃんだったのだからこの猫もその繋がりで間違いない。
「てめぇ、騙したな?」
子猫の頭を指で軽く弾くと、ふにゃあなんて間抜けな声を上げて地面を転がった。可愛い顔してあんな性悪ムッツリ男女の手先やりやがって。
「わわっ! 駄目ですよ、動物に暴力は」
「スキンシップだ、スキンシップ」
「DVする人の言い訳みたいなこと言って……本当に駄目ですよ?」
「いや、本気で心配しないで!?」
傍まで駆け寄ってきて、地面をごろごろ転がる子猫を撫でる彼女。必然的に俺との距離も近くなる。
「……なんで制服?」
「あの日の再現です」
「それってあの日からやり直してくれるってこと?」
「そんな酷いこと言わないでくださいっ」
彼女は不貞腐れるように唇を尖らす。
「まぁこれは流石に冗談だ。過ぎたるは及ばざるが如しって言うしな」
「それ、時間じゃなくて程度を表す言葉ですよ。何事もやり過ぎるのは良くないって意味です」
流石優等生。すぐに間違いを訂正してくれるぜ!
「いやぁ、頼りになるなぁ」
「うそ。頼りになんかしてないくせに」
「え?」
「頼りにしてるなら……私も連れて行ってください、異世界」
真剣な眼差し。声もほんの僅かに震え、力みと真剣さを思わせる。
俺としては彼女が何故そのことを知っているかも、そしてたかが高校二年生にありがちな妄想と捉えず真剣に受け止めているかも解りかねたが、そんな疑問は取っ払い、冗談ではなく本気で返事すべきだと判断した。
小さく息を吐き、切り替える。彼女を連れて行く、その可能性も検討してみる。だが、当然、答えは決まっていた。
「無理だ」
「っ……」
彼女が息をのむ。もとより快い回答など返ってくる筈もないと利口な彼女なら理解していただろうけど。
「第一どこで聞いた、そんな話」
「言ったら驚くと思いますよ」
「……快人からとか?」
「ハズレです」
てっきりあいつが口を滑らせたかと思ったが違うらしい。別に口封じなどしていないからいいんだけど。
となると他に事情を知っているのは蓮華とかか?
「鋼先輩」
思案する俺の頭を引き戻すかのように、光が俺を呼ぶ。どこか懐かしい響きで。
「先輩は先ほど、ここでの出会いからやり直してくれるかと聞きましたが」
この言い分、信じられないが信じるしかない。
戻っている。
解けたのだ、あの魔法が。
「残念ながらそれは出来ません」
「……冗談って言ったろ」
「やり直しはできません。あれからのことも……あれまでのことも」
彼女がじっと俺の目を見て言う。
ああ、そうか。
何か腑に落ちた。彼女は思い出したのだ。全てを。出会った後も、その前も。
この場での出会いも、間違いなくブラッドによって仕組まれた場だろう。向き合えということだ、俺の罪に。
「こんな道のど真ん中で話すのもアレだ。移動するか」
「はい」
彼女が、綾瀬光が微笑む。
いや、微笑んだのは彼女だけじゃない。
あの日、彼女と出会い再会したときと全く同種の懐かしさ。
けれどもう、吐き気は襲ってこなかった。
突然ですが新作を始めました。
「無味無臭のラブコメディ」
https://ncode.syosetu.com/n3927fx/
どこか本作っぽさを感じさせるかもしれないコメディよりのラブコメです。
お時間ございましたらまだまだ話数も少ないのでお読みください!
ちなみに本作もラストスパート走ってます。どれくらいのペースで続きかけるか分かりませんが、
ブクマとかポインツ評価とか感想を頂けると最後まで頑張る気持ちが膨らみます。
完走だけにね……
と、空気を乾燥させたところで、締めます。
これからもよろしくお願いいたします!
としぞう




