第97話 押しかけ幼なじみ
アパート前。
準備があるからと冥渡によってぞんざいに車から投げ出された俺は若干勢いに流されたことを反省しつつ我が家への階段を上る……と。
「え」
思わず、そこに居た人物を見て声が漏れた。
俺の住んでいる部屋のドアに寄りかかり、単語カードをぱらぱら捲っている。なんというか、このボロアパートにあってもやはり画になるやつだ。
俺の間抜けな声に気が付いたのだろう、彼女は単語カードから俺に視線を移すと、寄りかかっていた体を起こす。
「おはよう」
「おはようって時間でもないだろ、もう日も沈むぞ」
「学校をサボる方が悪いのよ」
鏡花はそう責めるように言いつつ、ドアを開けるように促してくる。
「……上がるの?」
「当然」
当然らしい。一体何の用かと聞きたいところだが、僅かにピリピリしたオーラを放つ彼女に怯えた俺は大人しく鍵を開け、彼女を招き入れた。
「あれ……?」
部屋の中に入り、鏡花は違和感を覚えたらしい。不躾に部屋の中をキョロキョロと見渡す。
「随分片付いているわね」
客観的にではなく、前回来たときと比べてというニュアンスなのは明らかだ。
「そうですか?」
「明らかに物が減ってるし……何故敬語?」
「いつも僕は敬語ですよ」
ジトッと半目で睨まれつつ、冷や汗を垂らす。何故鏡花が不機嫌なのか分からない。まさか、大門ちゃん、俺が学校を辞めることをバラしたんじゃあるまいな。
鏡花は大して広くもない部屋を見渡し、ある一点で止まる。
「これ、何?」
それは部屋の隅に置いた俺の私服がぶち込まれたゴミ袋だった。一応リサイクル対象になるのかなとか思って衣服しか入れていないから汚くはないと思うんですけど。
「な、なんだろね……」
「貴方の服でしょう。この服、一緒に出掛けたときの物よね」
そんな衣服界のモブみたいな服を覚えているなんて何者だよ。
「大して服持ってないでしょう」
「そりゃそうだな」
「それに写真と一緒だし……」
「写真?」
「あ、えっと」
聞き返しただけなのに、なぜか鏡花は動揺したように固まる。なぜか生まれた沈黙にこちらも動揺していると、鏡花の鞄からおそらくスマホのバイブ音が聞こえた。
渡りに船とばかりにスマホを取り出す鏡花だが、画面を見た瞬間硬直する。心なしか顔も赤くなって見える彼女は、ぽろっと手からスマホを落としてしまう。
「おい、どーした」
「あっ、ちょっと……!」
咄嗟に身をかがめてスマホを拾う。よかった画面はバキバキにならずに……ん?
機種が違うためか、拾ったときに画面ボタンを押してしまったらしく、表示された待受画面を見て思わず固まる。
「え、俺やんけ」
待受は俺だった。鏡花が指定したモブ私服を纏った俺だった。何故鏡花の待受画面に俺が?
「違う、違うのよ」
まだ何も言っていないが何を言われるか察したのだろう、鏡花は頻りに首を横に振りながら否定する。
「これは、古藤さんが、『幼馴染みなら待受にして当然』とか、そんなことを言ってきて、それで……」
「なんか納得だわ……つーか、古藤に幼馴染みって知られてたのか」
あいつは幼馴染み至上派だからな……通りで俺と鏡花を生暖かい目で見てくることが増えたと思った。
「別に変な意味で設定しているわけじゃないから……!」
「分かったよ、分かってますよ!」
スマホを鏡花に返し、ちゃぶ台の前に胡座をかく。
「んで、何の用だよ。わざわざ待受を見せに来たわけじゃないだろ」
「当然でしょう……心配で見に来たのよ」
「心配? そんな心配されるようなことなんてなんかあったかな……」
「朝から生徒会長に拉致されて、そのまま一日学校を休んだとあれば心配するのも当然でしょう」
鏡花は少し不機嫌そうに答える。
「それならケータイに連絡してくれればいいんじゃない?」
「それは……」
つい先ほど待受画面のくだりをやったせいか、鏡花は気まずげに目を逸らす。
「ほ、ほら、鋼君のことだからどうせ無視するでしょう」
「しないだろ……多分」
「自信なさげじゃない」
「生憎日常的に電話が鳴る人気者じゃないんだ」
電話をされても見逃すことは多い。現代に適応できていないということかもしれない。待受画面もデフォルトのままだし。
「じゃあやっぱり私が正解ね」
「ぐうの音も出ない」
勝ち誇るように笑みを浮かべた鏡花は俺の対面に座り込んだ。正座で。
「無事は確認出来たろ?」
「そんなに帰って欲しいのかしら」
「今度はお前じゃなくてお前の親御さんが心配するぜ」
「今日は友達の家に泊まるって伝えてあるから問題ないわ」
「泊まる!?」
「古藤さんの家にだけれどね」
なんだよ、ここに泊まるかと思ったわ。心臓に悪い冗談だぜ。冗談じゃないみたいだけれど。
「でも友達の家と伝えただけだから、このまま鋼君の家に泊まってもいいわけよね?」
「いいわけあるかっ!」
今度の冗談は本当に心臓に来る冗談だった。全く、あの氷のナンチャラ、桐生鏡花氏もお茶目になったものだ。
「それで、あの服を入れたゴミ箱といい、整理されたというより物が減ったこの部屋から察するに、鋼君、貴方、夜逃げでもしようとしているのかしら?」
ハハハ、ナイスジョーク……。
そう誤魔化すには何故か彼女の眼光は、まるで殺人犯を崖上に追い詰めた刑事もしくは名探偵のように鋭い光を放っていた。




