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第95話 理由

「俺があの世界に“帰る”のは、この世界に“帰ってくる”為です」


 指摘された、帰るという言葉を強調して言う。


「公輝さんの指摘通り、俺にはあちらに帰るという意識があります。どんなに否定しても、俺が……かつての椚木鋼の記憶を吹っ飛ばして生まれた俺にとって、あちらが生まれ故郷ですから」


 かつての俺と今の俺、それが全く別物だとはもう思いはしない。俺の中にかつての俺がいて、この世界や、鏡花をどこかで覚え懐かしむ気持ちがあるということは決して否定するものではない。

 それでも、だからこそ俺があちらの世界に未練を、自分の心の一部を残してきていることも否定してはならないのだ。今の俺とかつての俺と、そんな区別さえ無駄なんだ。


「この世界で生きるなら向こうへの未練は足枷になる。忘れられはしないし、無かったことにもできない」


 逃げ続けても過去はずっと追ってくる。こちらが足を止めれば追いつかれてしまうくらい、すぐ後ろに。


「だから、向き合いたいんです」


 俺は馬鹿だから全てを全て、正しく伝えられているかは分からない。綺麗事に聞こえているかもしれない。自分に酔っていると取られるかもしれない。それは普通に恥ずかしい。

 けれど恥ずかしいけれど、格好つけることで格好が付くなら我慢もしよう。


「……理屈は分かりました」


 最初に応えたのは蓮華だった。


「けれど、それで鋼は傷付いてもいいというのですか? 鋼から聞いた、胸をえぐるような話が、また鋼の身に降りかかるなんて、私は、私は……!」

「それは覚悟の上だ。むしろ、あの世界を怖いと思えることが成長に思えるくらいだぜ」

「鋼!」

「蓮華、やめなさい」


 厳しく、公輝さんが蓮華を諌める。


「鋼君を繋ぎ止めるために自分の感情を押し付けるのは、彼の優しさにつけ込む行為だ」

「私は鋼の身を案じているんです!」

「それが鋼君を苦しめるんだ。お前は、母さんに似ている。だから私も鋼君の気持ちが分かる……」


 公輝さんはそう諭すように蓮華に言うと、今度は俺の方に歩いてきて、後ろに回り込み俺を縛る鎖の錠前を片手で握り潰した。あ、握力……!?

 漸く、縛り付けられた状態から解放された俺だが、蛇に睨まれた蛙の如く身を動かさない。仮にその手の行き先が錠前でなく俺の頭なら、俺の頭はリンゴのように呆気なく脳汁ブッシャーしてただろう、などと変な仮定を思い浮かべながら。


「鋼君」

「……はい」


 なるべく震えないように握り拳を固く閉め、力を込めて応える。


「覚悟は決まっていたのだな。家族がどうじゃない、一人の男として。だとすれば私が言ったこともお節介だったかな」

「いえ……お陰で自分の中でも整理できました」 


 こうして無理矢理場を整えられたからこそ、自分でも改めて向き合うことができた。俺の過去を知る彼らと相対しなければ叶わなかったことだ。


「蓮華」


 びくりと彼女の肩が震える。


「確かにお前の言うとおりだ。向こうに行けば俺はしんどい思いをするだろうし、過去の記憶を取り戻しても苦しみばかり増すかもしれない。けれど、向こうの世界にも俺に期待してくれて、今も戻ってくるのを待ってくれてる人も少しはいるだろうし、無くした記憶の中にもきょ……桐生や、桐生の弟や、俺の両親や……忘れちゃいけなかったものもある。それを全部精算して、取り戻して……そうしなきゃこの世界で生きていくこともきっとどこかで限界が来る」

「この世界で生きていくために、戻るのが必要ということですか」

「ああ」

「こちらに戻ってこられる保証はあるのですか」

「……ない」

「そんな……」

「戻ってこられてもいつになるか分からない。思っているよりすぐかもしれない。けれど10年、20年先になるかも……こればかりは俺にも断言できないな」


 安全が確保されている場所に観光に行くわけじゃない。あそこでは何が起きてもおかしくないなんてことは、俺が誰よりも身に染みて知っていることだ。


「それでも……行くんですね」

「ああ。そう決めた」

「バカ……」


 俺の肩に顔を押し付け、蓮華が呟く。


「バカバカバカバカ……」

「返す言葉もない」

「鋼のくせに、主人公にはならないって言ったのに……そんなに真剣に言われたら止められません……」


 確かにあちらの世界じゃ俺は主人公と呼ばれる存在なのかもしれない。だからこそ、あちらの世界の物語を終わらせて、そしてこちらの世界に帰ってまた、快人の親友モブになるんだ。

 この世界は楽しい。本当に楽しい。天国みたいなもんだ。そういう意味じゃ天国で暮らすには現世で善行を積まなきゃいけないわけだし悲壮感もないな。


「これも惚れた弱みですね」

「え?」

「そういうところまで主人公にならなくていいです、バカ」

「ぐっ」


 腹を殴……いや、小突かれた。別に難聴を発動したつもりもなかったのだけれど。

 蓮華は顔を押し付けたまま、何度か深く呼吸を繰り返し、そして離れる。その表情は妙に晴れやかだった。


「分かりました。鋼、もう止めません」


 ですが、と大きく溜めて、蓮華は再び例の紙を見せてきた。


「ですから、代わりにこの件も保留にします」

「ほ、保留?」

「つまり私は鋼にほったらかされた状態です。鋼からお返事を貰うまで、オバさんになってもお婆さんになっても一生独り身のままです。ああ、可哀想な私」

「い、いや、なんか受け止め重くないか?」

「戻ってくるまで答えられないと言ったのは鋼の方でしょう?」

「それは、まあ、そうだな……」


 何も言い返せない。そりゃあそうなんだけど、そうまで受け止められると責任重大というか……。


「私もいつまでも孫が見られないのは辛いな……」

「公輝さんまでっ!?」

「だから鋼、絶対に帰ってきてくださいね。私は複数の殿方を同時に好きになるようなアバズレではありませんから」


 そう少し口悪く言って蓮華は、やはりとても魅力的としか表現できない笑顔を浮かべた。

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