第93話 家族
「……どういう状況だ、これは」
「それは俺が聞きたいです……」
珍しく私服姿の公輝さんはリビングに来るなりそんな感想を漏らした。
そりゃあ、普段の生活スペースに、イスに座らされながら鎖で滅茶苦茶に拘束された男がいれば驚かないわけが無いだろう。
俺は命蓮寺家に連れてこられるなり、より強固に拘束されていた。漫画とかにたまによくある、世紀の凶悪犯を拘束している時みたいなイメージだ。拘束されているのは世紀の凶悪犯ではないけれど。
「お気になさらず、お父様。鋼には当然の処置です」
前言撤回、凶悪犯らしい。一応目隠しやマスクはさせられていないからまだマシかもしれない。
「そ、そうか」
「はい。ああ、お茶を入れてきますね。今日は冥渡さんだけしかいませんから」
「恐縮です……」
「いえいえ、冥渡さんが悪いのではなく、母のせいですよ。まぁ……最近は少し気持ちも分かるようになりましたが」
そう言ってリビングから出て行く蓮華。
ちなみに、お茶云々の話は蓮華の母、公輝さんの奥さんの意思によるもので、自分の気心が知れない女性が用意した飲み物、食べ物を公輝さんが口に入れるのが許せないらしい。ヤンデレかよぉ! ヤンデレ人妻……。ちなみに女性限定なので男は可。つまり、どういうことだ?
そんなわけで許されているのはここじゃ蓮華と瀬場さんなど一握りのみ。今日命蓮寺家に控えているのは冥渡だけで、こいつはまだ新人だから許されていないようだ。
「災難だな、鋼くん」
「いえ……」
「蓮華も年々家内に似てきた気がするよ」
少し疲れたように笑う公輝さん。隆々とした体つき、別に毛量が多いわけでないが、百獣の王の様な貫禄、オーラを放つ公輝さんだが、奥さんには頭が上がらないというのは(一部で)有名だ。食べ物を管理されてるのとか百獣の王のそれである。
にしたって、蓮華が”あの人”に似てきたというのは……。
「それにしても、学校を辞めると言ったそうだな」
「……はい」
「先に言っておくが、私は別にそれでもいいと思っている」
「え?」
「嚶鳴高校に入れたのも、君がこの世界に馴染むための一環だと思っていたし、学校は通って損はない。いいや、通っておかないと損をするというのが正しいか。だが、必要だというものでもないと私は思っている。実際、家内は大学を出ていないが教養はどの女性にも劣らないからな」
急に惚気る公輝さん。奥さんがヤンデレだろうがなんだろうが、本人達が納得しているのならそれはもうラブラブということなんだろう。末永くお幸せに。
「そういう意味では学校に通う、通わないは選択肢の一つだ。君が辞めるという選択をするのならそれでもいい」
「公輝さん……」
「というのはあくまで私の意見だ。娘に関してはそう思っていないだろうが」
「公輝さん?」
「冷静に考えてみなさい。蓮華が私と同じ考えなら、こうも問答無用に君を攫い、拘束などということはしないだろう?」
「攫ったってことは知ってたんですね」
「まさか。ただ、連れて来るとは聞いていたからな。あの子のことだ、後先考えず拉致してきたのだろう」
流石父親。理解されている。
「そういうところも母譲りだな。利口な子ではあると思うのだが、時に直情的に行動してしまう」
「まあ、言いたいことは少し分かります」
「だが、それが有効な相手もいる。私や、君のようにな」
有効って……そりゃあ普通に来いと言われたら俺だって……ばっくれる可能性もなきにしもあらずだったけれど。
「その反応を見るに、やはり学校を辞めるというのは後ろめたい理由のようだな。金銭的な理由なら気にする必要はないと言っていたし、それではないとは思っていたが」
「いや、でも、それも気になると言えば……」
「いつか君に渡そうと思っていた」
そう言って公輝さんは胸ポケットから取り出した通帳を俺の膝の上に放った。
「君の両親の保険金が入っている」
「保険金?」
「失踪から7年経てば、その者は死亡扱いとなる……受け取り先は君だ。手続きは私が代理で行ったがな」
拘束された状態では通帳を開くことはできないが、俺の殆ど覚えていない両親の成れの果てがこの薄っぺらい通帳なのだと思うと少し哀れな気分になった。
「君の学費も全てそこから出している。家内や娘は全て我々で負担すべきと言っていたが……君は気にすると思ってね」
「両親に養われていた……ってわけですか」
「それが普通だ。君はまだ子どもなのだから」
子ども。そんな風に思える時期はとっくに過ぎている。
「子どもです。貴方は、まだ」
耳に強く残る声。
ティーポットを持った蓮華がリビングに戻ってきた。
「お父様、やはり鋼のお金はご両親の保険金から出していたのですね」
「れ、蓮華……これはだな……」
「別に何も言っていませんよ。私たちが生活できるのはお父様が働いてくださっているおかげ……そのお金の使い道に何一つ口出しなどできることはありませんから」
蓮華はそう言って目を伏せ、カップに紅茶を注ぐと、丁寧にポットをテーブルに置く。
「お父様の仰るとおり、鋼は命蓮寺ではなく、椚木なのですから」
その声色はとても静かで、穏やかだったけれど、同時に心臓をわし掴んできた。何かを諦めるような、惜しむようなそんな感情を滲ませている。
「鋼もそうですか? 私たちは結局家族ではないですか? だから家を出て行って、そして……」
ぽたっ、と水滴が落ちる音がした。
蓮華の顔は下を向いて、その表情は長い髪に隠れて分からない。けれど、きっと彼女は。
「学校を辞めてどうするつもりですか」
公輝さんは見守るように黙っている。冥渡も視線を鋭くしながらも空気のように気配を消している。
「どこに行くつもりですか」
ゆっくり、顔を俯かせながら近づいてくる彼女を俺も黙って、固唾をのんで見ていた。
蓮華は、俺の目の前に来ると、正面から俺を優しく抱きしめた。ふわりと彼女の香りが漂ってくる。普段学校でつけている香水ではない、彼女らしい、懐かしい香りが。
「この世界では駄目なんですか」
震えるその声に、俺はただ黙って目を閉じた。




