第90話 終・お泊まり会っぽい話
「もう朝ですよ、起きてください」
「ん……」
身体を揺さぶられ、薄らと目を開ける。日の光の眩しさに思わず再度目を閉じ身をよじると、くすくすと楽しげな笑い声が聞こえた。
「もう、朝ですよ。兄さんももう出かけちゃいましたし」
家には私と貴方だけです、と彼女が嬉しそうに言う。
「折角の朝ご飯が冷めちゃいますから」
「ん……分かった、起きる……」
「もう。夜更かしでもしたんですか? ああ、きっと兄さんのおしゃべりに付き合ってたんですね」
目を擦りながら、ゆっくりと目を開ける。随分と虚脱感がある……それほどに疲れていたんだろうか。どこか呆けた気分で木造の天井を眺めていると、遮るように彼女が覆い被さるように顔を覗き込んできた。
もっとも、彼女の目に俺の顔は映っていないだろうけれど。
「おはようございます、コウさん」
「……おはよう、レイ」
それでも嬉しそうに笑う彼女に挨拶を返す。彼女の白く長い髪が頬をくすぐってくる。
「バルログは仕事に行ったって?」
「はい。コウさんも早く朝ご飯食べてくださいね」
「分かった、いつもすまない」
「ありがとう、でいいですよ。なんて、私が作っているわけじゃないですけど……っと、わわっ!」
身を傾けすぎたのか、バランスを崩したレイがベッド、というか俺の上に倒れ込んでくる。
とても軽い身体だ、なんて何度目かも分からない感想を抱いていた俺だが、対照にレイは熱された鉄みたいに一気に顔を赤くしていた。
「ご、ごめんなさい!」
「ありがとう、じゃないのか?」
「ふぇ……ええっ!? あ、ありがとうって……!」
「……悪い、冗談のつもりだったんだが。難しいな」
逆に困らせてしまったらしい。やはり、バルログやライラのようにはいかない。
「って、このままじゃつらいよな。すぐに起こすから」
「あ……はい」
身を起こし、レイの身体を抱き上げて再び車イスに乗せると、彼女は不機嫌そうに唇を尖らした。
「レイ?」
「……コウさんって朴念仁って言われません?」
「ぼくねんじん?」
「兄さんに聞いてくださいっ。よくライラさんにそう怒られてますから」
そう言ってそっぽを向いてしまう。どうやらまた機嫌を損ねてしまったらしい。
「って、あれ……?」
なんだか、頬が冷たい。
触れてみると何故か濡れていた。
「コウさん? どうかされましたっ!?」
俺の動揺を感じ取ったのか、レイが慌てる。まずい、また彼女を不安にしてしまう。
「い、いや、なんでもない」
鼻がツンとする。息苦しい。
泣いている……なんで。なんで、レイを見ているとこんなに胸が痛くなるんだ。
「コウさん」
「レイ……?」
彼女の小さく、暖かな手が俺の頬に触れた。
「私がいます」
「え……」
「私が傍にいますから。コウさんが冗談を言えるように、笑えるように……泣きたいときに泣けるように、私が傍で支えますから……」
レイの言葉が溶けるように消えていく。言葉だけじゃない、その姿が、いや俺の寝床としてあてがわれた寝室が真っ白に溶けていく。
ーー先輩。
全てが消えていく中で、レイとは違う、けれどレイと同じ暖かさを持った声が聞こえた気がした。
◇
「っ!」
飛び跳ねるように起き上がった。殆ど真っ暗な部屋だが、間違いなく快人の部屋だ。ベッドの上からは快人の寝息が聞こえてくる。
そもそも、床に敷いた布団の感触はあちらの世界のものよりよっぽど上質で比べるほどのものもない。
「夢……か」
そうだ、古藤プレゼンツのホラー映画を観た後、少しもめ事はあったものの事態は収束し、それぞれ寝る流れになったんだ。俺は快人の部屋に布団を敷いて、ゆうたと古藤は光の部屋にという感じで。
俺とゆうたはホラー現象に襲われないかとビクビクしたまま床についたわけだが……まさか、あんな夢を見るなんて。
思い出そのまま、というわけじゃない。彼女に起こして貰うということはあっても、彼女を見て涙を流すなんてことは一度も……。
頬に触れると湿った感触がした。レイの夢を見て、涙を流したのは今の俺だったってわけだ。彼女の夢を見ることは何度もあった。けれど、これほどに生々しく、まるであの頃のような懐かしさと暖かさがあって、そして虚しさが胸を突く夢は初めてだった。
とても、寝直す気分にはなれなかった。すぐに寝れば夢の続きを見れる気もしたが、もしも続きは続きでも、最後の瞬間を見てしまったらというネガティブな思考が頭の片隅に生まれてしまった。
「はぁ……」
思わず溜息が漏れた。
部屋の中は冷房が効いているというのに汗だくだ。喉が渇く。
他人の家を歩き回るのはあまりいいことでは無いと思うが、水ぐらい頂いてもいいだろう……いいよね。
この世界で言う勇者って連中は人の家に勝手に入っては壺を割ったりタンスの引き出しから物を盗んだりしている。それに比べればマシだよ、うん。
快人を起こさないように静かに部屋を出て、1階のリビングへ降りる。が、誰か起きてるらしく電気が点いていた。もしかして泥棒……?
「あ、鋼さん」
「綾瀬光?」
「光です」
いや、間違ってないだろ。
リビングにいたのは綾瀬光だった。彼女も今来たばかりなのか何かやっていたという感じではなかった。
「おはようございます。随分早いですね」
「おはようじゃねーよ。目が覚めちゃったんだよ。また寝る」
「そうですか。お水、飲みます?」
「是非に」
武士ですか、などと半笑いを浮かべながらもグラスに水を入れてくれる光。
「なんだか前もこんなことありましたね」
「え?」
「私が鋼さんにお水を……って、あれ? うちで会うのは昨日が初めてでしたよね……すみません、勘違いです」
1人でそう納得し、グラスをテーブルに置く光。俺の分と自分の分の2つ。
「もしかしたら夢に見たのかもしれません。デジャビュというんでしたっけ」
「……さあ、俺にもなんとも」
光が対面に腰を下ろす。どこか疲れた……いや寝ぼけた? とにかくボーッとした感じだ。
「鋼さん眠たそうですね」
「そりゃお前だろ。なんだ、ゆうたのイビキがうるさいのか」
「幽ちゃんはイビキかかないですよ。とても静かにうなされてました」
「うなされてるのかよ」
「紬ちゃんの抱き枕になってましたから」
「古藤も懲りないねぇ」
散々嫌いと喚かれたというのに。ポジティブか無神経のどちらか……どっちもかな?
「にしても鋼さん、幽ちゃんのことばかりですね」
「は?」
「凄く仲が良くて羨ましいです」
なんだ、その評価。
いや、そりゃあ仲が悪いとは思わない。けれど面と向かって仲が良いなんて言われると首を縦に振りづらいし……。
「もしも」
俺が返事に窮していると、光はまるで独り言のように呟いた。
「もしも私が先に出会っていたら、私がそうなれたのかな……」
ように、じゃない。完全な独り言だった。
それこそ意識していなければ簡単に聞き逃すくらいに小さくか細い声だ。鈍感主人公なら間違いない。
寝ぼけているのかと思うくらい無防備な光は手元を見ながら小さく、けれど大きな溜息を吐いた。
「あいつは俺を兄がわりに見てるだけだろ。お前にとっての快人みたいなもんで。もう快人がいるんだからお前の兄貴にはなれないだろ」
「それはそれで面白いと思いますよ、鋼兄さん……って確かにちょっと呼びづらいかもしれませんね」
クスクス笑う光。思わず独り言にFF外から失礼してしまった俺だが、不快感は与えなかったらしい。
「鋼さんの呼び方はやっぱり鋼さんがしっくりきます」
「そうかい」
「あとは、先輩、とか」
名前呼びより明らかに響きは遠のいているが何故か光は照れているようだった。
「なんだか特別な感じがしません? 先輩って」
「その感性が分かんねぇ」
「だって先輩なんて沢山いるじゃないですか。何人もそう呼べる対象がいるのに、先輩と呼ぶのは1人だけなんです。とっても贅沢だと思いません?」
なんだよ、敬称を独占して贅沢って。夫婦がお前、あなたと呼び合うみたいなイメージなのか?
「まあでも、お前はまだ殆ど名前呼びだろ? 友情レベルが足りないってことだな」
たまに先輩と呼ばれている気がするがその辺りはノーカン。前は最初からずっと先輩呼びだったけれど、それは俺が考えていいことじゃないだろう……。
「忘れないためです」
「え?」
「なぜか、まるで夢を見た後みたいに、気が付かない内に忘れてしまうんじゃないかって予感がしてしまって」
そんな光の言葉に暫く唖然としてしまった。もう何度目かも分からない、彼女が記憶をなくしたことに気付き、いつか思い出すかもしれない、そんな兆候。
それが嫌なのか、嬉しいのか……どう受け止めるべきか分からなくて、
「確かに見た夢を忘れるってのはあるあるだよな」
光が眠気を噛み殺しているのをいいことに、肝心な部分を流した。
当然追及されることもなく、光が本格的に船を漕ぎ始めたのを合図に解散の流れになった。
それでも、快人の部屋で再び布団の中に戻っても、一向に眠気はやってこなかった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
本日、5/9は本作がスタートして丁度1年になります。
そして本話で閑話含め丁度100話目になります。トータル3日に1回更新してるみたいです(ガバ計算)。すごい。
ありがたいことに多くの方にお読みいただき、
そしてそのお陰もあって書籍も出ることになりました。
何か特別返せる物があるわけでもありませんが、今後も細々と活動していく中でより多くの方に喜んでもらえるよう頑張っていければと思います。
今後とも何卒よろしくお願いいたします!