ガラクタ
「屑」と書いてガラクタと読む。
「塵」と書いてガラクタと読む。
「馬鹿」と書いてガラクタと読む。
「出来損ない」と書いてガラクタと読む。
そして「ガラクタ」と書いて私と読む。
私は何故ガラクタなのか。考えるのをやめた日がいつか、もう覚えてない。生きててごめんなさいと謝る毎日だったことしか分からない。私の記憶の中にはいつも、ガラクタという文字しか無かった。
みんなが私を見てガラクタと言う。ある人は残念そうに項垂れて。ある人は嘲笑いながら見下して。ある人は名前を呼ぶように優しそうに笑顔で。
ガラクタでごめんなさい。生きててごめんなさい。誰にどれだけ全てを謝っても、誰も許してはくれないし、そもそも興味すら持たれていない。私がガラクタであることは当たり前で、むしろそれ以外の何でもなくて、どうでもいいこと。
だけど恋をとっくに忘れてしまった頃に私はとある製品に出会った。五体満足で、見た目も完璧、おそらく中身も完璧。その製品は私の隣にいつのまにか居て。
「研究員からしたら君はガラクタでも、僕からしたらガラクタなんかじゃないんだよ」
「君だって、大事な人間なんだ」
作られてからまだ1年も経ってない新しいその製品は、作られてもう10年も経つ私に優しくそう言った。私がどれだけ否定しても、その製品は私とすれ違ったりする度に伝えてきてくれた。
私は、私を表す別の言葉を素直に受け入れ始めた。その製品が言ってくれることが嬉しかった。
受け入れることが悪だとは気付かない、やはり私はガラクタだったのだ。
後日その製品は、処分された。そう聞いた。私はガラクタにしかなれない、ガラクタにしかなってはいけなかった。胸から込み上げてくるものが形にはならないまま、何処かに消えて無くなった。
処分されないまま、私はガラクタとして生きていかねばならないと知ってしまった。世界から色が消えた日だった。
人間がロボットになった世界のお話




