離したくない
「手、離してよ」
この人は馬鹿だ。俺といたら、不幸になるからって私のこと突き放したくせに、私を抱きしめたまま離してくれやしない。むしろ一声かけるごとに腕の力が強まり、息が止まりそう。
身動きが取れない。呼吸も浅い。だけどこの人の体温は心地良くて、安心する。力を抜いて、身を委ねた。それでも当然、この人は腕に力を込めたまま。
「ごめん」
何に対してのごめんなのかは、さっぱり分からない。けどなんか、悔しそう。自分で突き放しといて、全く離す気なんてないんだから笑っちゃう。
「ほら、離してよ」
ビクともしないこの人の体を、微弱な力で押してみる。案の定、更に強く抱きしめられてしまった。そろそろ肺が潰れて苦しい。もう、と一拍置いて、この人の腕の中から自分の腕を逃す。そしてこの人の背中にそっと手を回した。
「なんなのよ」
「…………離したくない」
「さっきは突き放したくせに?」
「ごめん……俺、ワガママ言ってる」
ほんと、ワガママなんだから。
ふっと笑って、回した手に少しだけ力を入れた。この人にギリギリ伝わるかな、くらいの力加減。伝わったのか否か、この人は優しく、力を緩めた。
「離さないでよ、ばか」
直後、耳元で囁かれた「ありがとう」と「愛してる」の言葉。くすぐったく感じながら、幸せを噛み締める。
私がプロポーズされたのは、この日から2日後のことだった。




