卵焼き
結婚して3年目になる。また倦怠期が来るなと日々思いながら、寝る前に夫の肩を揉むような日常。
人並みの料理はできるが、凝った料理は作れない。だから何か特別な日は、夫に料理をお願いしている。夫の誕生日も、夫自ら作ると言い出した為、作ったことがない。
けど私の誕生日に限っては、特に凝った料理は作らないようお願いしている。それなら私が作れば良いのだが、夫自身が作ると言い張っていた。
凝った料理が嫌なわけではない。……大の卵料理好きなだけだ。とにかく卵料理がすきで、一人暮らしをしていた時は、1週間の夜ご飯のおかずが、卵焼きだけだったことがある。
その時はまだ彼氏だった今の夫に、アレルギーになるから食べ過ぎは良くないぞ、と笑われた。アレルギーになったら流石に嫌だと、その日から、なるべく抑えるようにしていた。
そしてこれは、私のただの惚気話。
*
「誕生日おめでとう、由美。今日の料理、卵焼きでいいかな」
「ありがとう。卵焼きがいいな、楽しみにしてる!」
朝、私のほうが早く家を出て仕事に向かう。誕生日だからといって、仕事を休むわけにはいかない。誕生日が平日なことを毎年恨みながら、またいつも通り同じ仕事を繰り返した。
昼、自作のお弁当を休憩室で食べる。誕生日だからといって特別なお弁当にはしていない。夫からオマケで、デザートにさくらんぼを貰ったくらい。憂鬱になりながらも、冷凍食品ばかりのお弁当を、午後に向けて食べきった。
夜、終わりきらなかった仕事は残業せず、明日すぐに取り組めるように整理しておく。上司からたまに嫌味を言われるが、最近ではめっきり数が減った。仕事場から出て車に乗った瞬間、ポケットに入れたスマホが震える。
「もしもし。ごめん、卵焼き失敗しちゃった」
「別にいいよ、そんなの気にしなくて。というかわざわざ、それを言うために電話したの?」
「もう一度作り直すからさ、ちょっと寄り道してほしいってお願い」
「あぁ、そうなの。わかった、何分くらい?」
「んー……そうだな、20分くらいほしいな」
了解、とだけ答えて電話を切る。何処に寄り道しようかなと思考を巡らせた。
現在時刻は17時。今ならまだいろんな店が開いている。ただしその分、選択肢が多いせいで迷うのだ。
自分への誕生日プレゼントに、新しいハンカチでも見にいこうかと、車を発進させた。なかなか珍しい、ハンカチ専門店が家の側にある。私は結構な頻度で利用していて、常連の扱いになっていた。
*
「お誕生日おめでとうございます。ありがとうございましたー!」
店長さんに祝われてしまった。少し気恥ずかしく思いつつも、嬉しさで顔がニヤけてしまう。いつもは見るだけの、ほんのちょっとお高くて、その分上質なハンカチを数枚購入した。
電話が来てから、もうそろそろ20分経つ。購入したハンカチを、大切に鞄の中にしまって、家に帰る。
「おかえり、用意できてるよ」
「ただいま。すっごく良い匂いする」
ドアを開けた瞬間に、一気に香ってくる美味しそうな匂い。卵焼きではない匂いも混ざっていて、何か他の料理も作ったとみた。
「――嘘」
「お誕生日、おめでとう。いつもありがとうな、由美」
「嘘、嘘、そんな……えっ……」
部屋に入った刹那、テーブルに並べられた色とりどりの料理に目を奪われる。卵焼きだけしか、聞いてないのに。
大切なハンカチが入った鞄が、手から滑り落ちる。夫は何も言わず、笑顔でそれを拾って持っていてくれた。
「なんで、こんな……どうして……?」
「驚いてくれた?」
花が散らされたお洒落なサラダ。それから卵とニラの温かいスープ。お皿に盛られた、カリッとした衣の唐揚げ。そして中心に置かれている、3種類の卵焼き。
何も言えなかった。つい目頭が熱くなってしまう程に、嬉しくて、嬉しくて。こんなの思ってもいなかったから本当に、ビックリして、それでもやっぱり、とにかく嬉しくて。
「なによ、これぇ……!」
「喜んでもらえてるみたいで良かった」
まだ着替えを済ませていないことも忘れ、夫に抱きつく。思いきり抱きしめると、夫は優しく抱きしめ返してくれた。この温もりが心地良くて。
「卵焼き失敗したなんて、嘘だったんでしょ……もう……!」
「あはは、流石にバレた? いやぁ、準備が間に合わなくてさ」
「こんなのバレるに決まってるじゃん、ばか……!」
ささ、食べて食べてと背中を軽く叩かれる。浮かんだ涙を拭い、席に座った。目の前に広がる、きっと食べきれない料理の数々が嬉しくて、心はもう、お腹いっぱいだった。
夫は自分の分と、私の分のご飯を持ってきてくれた。夫が席に座ったと同時に、両手を合わせる。いつもならここで、同じく手を合わせる夫が、今日はニコニコしたまま私を見ていた。
多分、催促しているんだろうなと察し、私は夫への感謝も込めて短くお辞儀をしてから――
「いただきます!!」




