心の景色
私は昔から、よく気を失った。
というと聞こえが悪い。私は昔から、ふと頭がぼんやりとして、いろんな景色が見えることがあった。
最初の頃は、綺麗な景色だなぁとか、枯れた木ばかりだなぁとか、何も考えずに景色を楽しんでいた。何か重要な予定がある日は、今日は景色が見られませんようにと願ったりもした。
コントロールすることはできないけれど、それはいつのまにか日常の一部で、見られることを楽しみにしたり、見てしまうことを不安に思ったりした。
だけど最近の私は、景色に意味があるのではないかと考え始めた。景色を見られる条件があることに気付いたから。
その条件というのが、誰かと対面して会話している時。たったそれだけ? と思うかもしれないけど、私が一人でいる時に景色を見たことは無い。必ず誰かが目の前にいる時だけだった。
じゃあ景色の意味はなんだろうと考えてみて、すぐに気付いた。今まで気にしなかったせいで全く分からなかったけど、考えてみると案外分かりやすいものだった。
私が見る景色は、相手の心の中なんだ。
決定的になったのは、湖の周りに枯れ木が生えた景色を見たとき。湖は澄んでいてとても綺麗だったけど、木は葉っぱ一枚もついていなくて寂しそうだった。
そんな景色を見たときの相手は、酷く疲れていて。「独りで何か頑張りすぎてない?」って問いかけたら「よく分かったね」と苦笑いされた。
でも近々、遊びに行くから、それまでもう少しだけ頑張るよ。
そう、相手は言うだけだった。やっぱり景色は相手の心の中なんだなと気付いたときに、私は今までに見た景色を後悔した。
何もない雪山。暗い森の中。誰もいない砂浜。
今まで見た景色の中で、どれだけの人が苦しんでいたのか。どれだけの人に声をかけられたのか。そう考えてしまうと、自己嫌悪でいっぱいになる。
「あず、また何か考えているの?」
「あ…………真里。うん、考え事してた」
親友が声をかけてくれて、はっと我に返った。いつもいつも迷惑をかけてしまって申し訳ない。ごめんね、と謝ろうとしたところで、また頭がぼんやりとする。いつも景色を見ている、あの感覚。
――だけど何も見えない。なんの景色も見えなくて、実はただ本当に頭がぼんやりとしているんじゃないかと疑わしい。
夢を見ているときみたいに、私はそこにいるような感じがするのに、何も見えない。目隠しして歩いている、頼りない感覚と言えば近いか。
「ねぇ、あずってば」
「…………あっ、ごめん。またぼーっとしてた」
親友に肩を叩かれ、また我に返った。ごめんと両手を合わせて、なんだったんだろうという疑問は心にしまっておく。
珍しくカフェに誘われ、喜んで付き合う。いろいろとお喋りをして、お腹を抱えて笑った。
その、翌日だった。
親友は自殺して、この世から消え去った。




