向日葵
私の名前だけが書かれている婚姻届。それは、寂しそうに机の上に置かれている。名字をくれる筈だった彼は、悪性の癌によって、つい先日居なくなった。
一緒に婚姻届を取りに行ったのに、一緒に生きていけないなんて。書けなくてごめん。そう言って婚姻届を渡してきた、彼の心底悔しそうな表情が忘れられない。
しかし彼の名前の無い婚姻届に、何故か住所が書かれている。私の家でも勿論無いし、彼の家でも無かった。私は今日、その住所が何なのかを確かめに行くことを決めた。
婚姻届と財布、スマホだけを手に、車を運転して3時間。高いビルが並ぶ所を通って、田んぼと畑だけの所を通って。もうすぐ目的地周辺です、とカーナビが教えてくれる頃、前方の黄色が目に入った。
山々に囲まれている土地の中心で、奥の奥まで広く存在する黄色。それが、大きな花弁を輝かせている向日葵だと気付いた時には、車を止めて、吸い寄せられるように歩いていた。
「なにこれ……どういうこと……?」
太陽の方を全ての向日葵が向いている。端の見えない壮大な向日葵畑に、心臓がばくばくと煩い。不意に背後から近付いてきた足音に、肩を跳ね上がらせて振り向いた。
「ここ、本当に綺麗よね」
後ろに立っていたのは、彼のお母さんだった。前に会ったときよりも痩せこけているが、優しい笑顔は変わっていない。
軽く会話を交わし、ここが彼の実家の土地だということ。それから、彼から手紙があるということを教えてもらった。
手の平サイズの白い紙。二つ折りにされているそれを、ひとつ深呼吸をしてから開いた。懐かしいような、真面目な彼の筆跡が……なんだか滲んでしまったな。
〈999本の向日葵を、愛しき君に贈ります〉




