優しさ
「な、なぁ落ち着けって。悪かったって」
じわじわと壁際に追い詰められていく。目の前には、親友に近い存在だと思っていた女子。その右手には、ナイフが力強く握られていた。
事の発端は、彼女が言うには俺。一緒に放課後を過ごしたり、遊びに行ったりしたことと、俺に好きな人ができたことが原因……らしい。
「私の気持ちを無下にするの? そんな人じゃないよね、ねぇ!」
正気ではない。今にもナイフを刺してきそうな勢いだ。俺が片思いの相談を持ちかけた途端に、おかしくなり始めた。彼女は俺に好意を寄せてくれていたみたいだ。
心臓がばくん、ばくんと大きな音を立てる。漫画の中では、いくらでもこんなシーン見たことあるけど、あくまで漫画の中だと笑っていた。現実で俺がこんなことになるなんて。
足が震えて、手が震えて、冷や汗をかき、背筋が凍る。全身に鳥肌が立って、なにかを考えようとして、こんがらがってしまう。
「あんなに優しくしてくれたじゃない! 私だから、特別に優しくしてくれたんでしょ。私だから、そうしてくれたんでしょ。嬉しかったよ。楽しかったよ。だから私、好きになったのよ」
やめてくれ。聞きたくない。いつもとは違う狂った声色で、いつもとは違う狂った笑顔で。一歩、また一歩。俺を壁際に追い込んでくる。
――逃げられない。
「大好きよ。髪の毛一本から、足の爪まで、全部全部、だぁいすきよ。優しいのは私にだけでいい。好きなのも私にだけでいい。他の人のところになんか、いかないで」
電池の切れかかった玩具みたいに、ごめん、をただひたすらに繰り返していた。どうすればいいのか、もう考えつかなかった。いつのまにか口から出ていた単語はそれだけで、他のことを喋ろうにも、言葉は思い通りに形になりはしなかった。
彼女が一歩大きく踏み出した。そう認識すると同時に、熱された鉄の棒を押し当てられたみたいに、お腹が熱く、熱くなる。あれ……痛い。痛い、痛い、痛い、痛い。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い、いたい。イタイ。イタイ、イタイ、イタイ。イタイ………………。
「優しい貴方が、ダイスキ」




