いきていたい。
僕は、大人になった。ぼろぼろの布切れを身に纏って、痛々しい傷を周囲に晒して。公園で独り、座っていたあの頃から僕は、大人になれた。
僕を育ててくれた男性の名前は、冬馬と言った。「パパ」とはずっと呼べなくて、冬馬と呼ばせてもらっている。冬馬はそれに対して、嫌な顔を見せずにずっと僕のために働いてくれていた。どこの誰かも知らない、僕なんかのために。
僕の本当の両親は、捜索願を出さなかった、らしい。両親や周辺の人の中で、僕はどうなっているのか知らない。ただ、冬馬のとこに警察がきたことは無かったし、街中に僕の顔の貼り紙がされることも無かった。
本当に僕は捨てられたんだな、と実感できたのは、小学中学年の頃だったか。何も思わないまま成長したけど。
両親の名前は覚えてない。僕を嘲笑う声と、蔑んだ目と、僕よりも何倍も大きい拳と足で意地悪をしてきたことだけ。忘れたくても忘れられない。名前さえ覚えてないのに、それだけはトラウマとして残り続けている。
冬馬は丁寧に僕を育ててくれた。子どもの狭い世界の中では、英雄みたいで。なんで僕は、この人の元に産まれてこなかったんだろうと不思議に感じた。冬馬は男性だし、無理だって分かっていたんだけど。
明日、僕は引越しをする。冬馬の元を離れて、一人暮らしをすることに決めた。もう少し一緒にいなよ、と冬馬は止めてくれた。だが固い決意で首を振ると、寂しそうに冬馬は頷いた。
冬馬に立派に育ててもらえたことを、誇りに思っている。それに対して何も恩が返せていない僕が、あまりにも惨めだ。
「冬馬、ごめん」
「どうした、歩夢。寂しくなったか?」
僕のしんみりとした空気をわざと読まなかったのか、冬馬は茶化したように笑った。それをゆっくりと否定する。
「僕、冬馬に何も恩を返せてない」
崖っぷちに立ったまま、誰かに背中を押してもらうのを待っていた幼い頃。冬馬には、その先に行くな、と手を引いてもらった。今となっては、どれだけ感謝してもしたりない。冬馬が助けてくれなかったら、僕はきっといなかった。
「なーに気にしてるんだ。立派に成長してくれて、俺は嬉しいよ」
冬馬は少しだけ白髪が目立つようになった。とは言えども、まだ若い。未だに大学生のようなノリを持ち合わせている冬馬は、にっかりと笑って答えてくれた。
あぁ、まただ。たったそれだけの答えで、僕の心は満たされたような錯覚に陥る。何度も冬馬にこうやって救われてきた。何があっても、冬馬がいれば大丈夫なような気がして頑張ってこられた。
でも明日からは、冬馬は側にいない。
「ねぇ……明日から僕、いなくなるけどさ」
「おう」
「寂しがるなよ、冬馬。早く彼女つくれよ」
「はっ、子どもが生意気な」
親と子のような会話ではまるでない。それがお互いに心地良くて、それが僕達の距離感であった。あくまで本物ではない。いつ離れ離れになってもおかしくないと、お互いにどこかで理解していたから。
それでも、僕にとっては。
「今まで、ありがとう。あの時冬馬に会えて良かった」
「あぁ。俺でよかったな」
「本当にね。ありがとう――
パパ」
冬馬は驚いたように目を丸くした。だけど聞こえていなかったみたいに、大声で笑った。僕も釣られて笑った。僕の親は、パパしかいないよ。
僕を助けてくれて、心の底から、ありがとう。




