間違い探し
歩き方を忘れた。
今までどうやって歩いていたのか分からない。右足はどのように出して、左足はどのように出していたのか。地面をどのように踏みつけて、体はどのように前に出していたのか。
いきなり分からなくなる。周りの人の視線が異常に気になって、更に分からなくなる。どうやって歩けばいいのか分からない。体が固まってしまったようで、ロボットみたいに見えてるんじゃないかって冷や汗をかく。
息の仕方を忘れた。
ふと気付くと呼吸を止めていた。慌てて静かに息を吸い込んだところで、息が吐けないことに気が付いた。これまでどのように肺を使ってたのか、分からなかった。
次に息を吸い込もうとしても、かなり浅くて。息を吐き出そうとしても少ししか出せなくて。呼吸ができない。苦しくて。意識する前はどうやって呼吸をして生活してたんだっけ。
生き方を忘れた。
どうやって生きてきたのかまるで分からない。辛いことがあったとき、悲しいことがあったとき、どうやって泣いて訴えていたのだろう。昔の私は、どうやって明るく考えていたのだろう。
分からない。今の私には何もかもどんよりと曇っていて、雨が降りそう。なんのために生きていたのか分からなくて、これからなんのために生きていけばいいのかも分からない。
人生は間違いと間違いを繰り返して進んでく。どれが正しいのかなんて分からない。間違い探しは、間違いと間違いではできないみたいに、そんなの人生だってできないに決まってる。
どれが正解でどれが不正解で、分からないままだなんて不安になって、もどかしくなって、今どこに立っているのか分からなくなって、目の前が真っ暗になって。当たり前じゃないか。それが当然でいいじゃないか。
歩き方を忘れて。息の仕方を忘れて。生き方を忘れて。
そしたら新しい方法を探せばいいのか。正解が無いなら、自分で間違い探しを作ってしまおう。
私は本当に、歩き方を忘れるし、息の仕方を忘れるし、生き方を忘れる。幼い頃にどうやって笑っていたのかも、どうやって泣いていたのかも忘れる。そして大人になった私は、今、こうやって忘れていることを忘れる。
忘れてばかりで、自分が歩くべき道を見失って、いっそ死んでしまいたいって何度思ったことか。それさえ忘れている。
でも、それでも私は、忘れた歩き方を思い出して、忘れた息の仕方を思い出して、新しい生き方を見つけていく。
間違い探しの正解を求めて、間違いを繰り返していく。




