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「糞が。糞が。糞が……!!」
荒い足取りで男は苛立ちを露わに部屋の中を何度も行ったり来たりを繰り返している。
薄暗い部屋の中にはたくさんの薬草やおどろおどろしい動物の骨、何の血かわからない瓶詰などが置かれている事もまた男の苛立ちを益々募らせた。
自分はこんな所にいる人間ではない。こんな得体の知れないような物に囲まれて、巡回に脅えながら暮らすなど冗談ではない。
本来なら今頃自分はあの光り輝くキャメロットの王宮にいたはずなのだ。計画は順調だった。資金も着実に集まっていた。あいつさえいなければ。
キャメロットの王子アーサー。
あの金髪を思い出すだけで腸が煮えくり返る。あのすかした顔を切り刻んでやるまで、この胃のむかつきは収まりそうになかった。
「苛立っているわね、カラドス卿」
いつの間にか部屋の中に現れたモルガンに男は舌打ちをした。
本当に気味の悪い女だ。気配というものを感じられない。
「当たり前だろう。この前の計画は結局うまく行かなかった。アーサーは死ななかった!!それに俺はもう、自分の手で奴を切り裂いてやらないと腹が収まらない……!」
「焦りは計画の歯車を狂わす。今は辛抱よ」
艶やかに笑ったモルガンの白い手に何か握られていることに気付いて、カラドスは顔をしかめた。その手には黒い布に包まれた長い得物が握られている。
「何だ?それは」
「そなたの悲願を叶えるための物よ」
モルガンが包みを開くとその中から黒い剣が現れた。刃も柄も漆黒の剣の周りを禍々しい黒い霧が包みこんでいる。その霧はまるで生きている蛇のようにうねっていた。
「……なんだ、この前のガキに渡した武器ではないか」
アーサーとウーサーを滅亡させるために女が利用した兄弟の内、兄が王宮に乗り込むためモルガンが準備した魔法のかかった剣だった。
「ええ。だけど、この剣はこの状態では不完全なのよ。あの少年に渡したものは未完成品」
モルガンはその剣を台座の上に置くと、円を描くように手をかざし、カラドスには聞き取れない言葉で何かを唱え始めた。
魔法の呪文。カラドスには何度聞いても不気味な吐息にしか聞こえない。モルガンが呪文を唱え終わると、剣の周りに漂っていた黒い霧が収まった。代わりに剣の中心が赤く光り出す。血のような真紅の光は何度か瞬き、カラドスはその光の点滅に魅入られたように剣に手を伸ばした。
「一太刀でもこの剣で傷を追えば、苦しみの渦にのまれるような死の呪がかけられる。どう?そなたの望みにふさわしい剣ではない?」
「ああ、最高だ」
カラドスは沸き立つ血潮に従うまま、漆黒の剣を掲げた。
その剣の光沢に苦悩に浮かぶアーサーの表情さえ見えるようだ。
熱に浮かされるようにカラドスは腰に剣を差すと、はやる気持ちを抑えながら部屋を出た。あの最高にすかした顔に切り傷をつけられるかと思うと、いてもたってもいられなかった。
カラドスが部屋から出て行くのを見届けたモルガンはその背中にばれぬよう侮蔑の視線を送った。
なんと愚かしい男。
ただ自分のプライドを傷つけられたという理由だけで、アーサーに固執し、己を失っている。
だが、それでいい。お前に喜びに満ちた人生を送る資格など存在しない。
あの男は気付いていない。私があの男を利用している事だけでなく、それ以上の事を考えていることにも。
「あの男、もう駄目だな」
カラドスが出て行って考えに耽っていたモルガンは、部屋に入って来た別の男の顔を見て顔をほころばせた。
「帰っていらしたのですね」
モルガンはすぐに近寄り、男の襟元を正しながら至近距離でその瞳を覗き込んだ。窪んだ眼に年と心労からくる皺が深く刻み込まれているが、元は好青年であったことを思わせる精悍な顔つき。頭の白髪は薄くはなっているが、決して見劣りするような生え方はしていない。こざっぱりとした髪型。
「ああ、今、戻った」
モルガンの仕草に満足げに頷いた男の首にまとわりつきながら、モルガンは身体を密着させた。
「悪い女だ。利用されていることも知らず、哀れだな」
「ふふふ。そうかしら?幸せじゃない?利用されていることにも気付かず、本人は本懐を成し遂げられるのだから」
それもそうだなと納得した男にモルガンは瞳の奥でそっとカラドスに向けたのと同じ侮蔑の気持ちを込めた。どの男も同じ、見た目の良い女が自分を立てれば、それが好意と勘違いをし、自分の自尊心を満足させる。
モルガンは甘えるように男の胸元に顔を埋め、それからその男の顔を見上げた。
自分が最もこの世で憎い男の面影を受け継ぐその顔を。