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創世の傍観者とマーリン  作者: 雪次さなえ
第一部 第一章 憧れの世界へ
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       ***



 それでも残酷に、無情に、日常は回る。


 あんなにも世界の中心のような海音が消えても、次の日は当たり前にやってくる。

 毎日、朝起きて、支度をして、満員電車に乗って、出勤して、仕事をして、ご飯を食べて、また仕事をして、理不尽に怒られて、また仕事して、座れない電車で帰って。そして休日がようやくやってきて。


 土曜日、佐和は手に借りた小説を持って図書館に向かった。

 実の家族が行方不明だろうと容赦なく、図書の返却期限がやってくるなんて、もういっそ笑いたくなるような気分だ。

 土曜日だというのに図書館の利用者は少なく、いつも以上に静かだった。

 入口横のカウンターの司書に本を手渡し、返却手続きを済ませてきびすを返そうと思った足が止まった。

 ……久しぶりにあそこへ行ってみようかな。

 カウンターに背を向けて書架の間をずっと進む。

 突き当たって右、本棚に隠れるようにあるのは閲覧用の木造の机だ。

 隠れるようにひっそりとしているその席が佐和は大好きだった。

 休日の昼間にはこの席にだけ優しい陽だまりができる。本に囲まれながらあったかい日差しに包まれる佐和の特等席。

 社会人になってから寂しい時や悲しい時、一人になりたい時は決まってここに来ていた。

 佐和は誰もいない席に腰掛け、うつぶせて本棚の方をぼんやりと見た。

 優しい陽だまりが背中をぽかぽかと暖めてくれるような気がした。


 辛いことがあっても日常は残酷に回って、でも、この席のように優しいことも普通に在ってくれるのかもしれない。今は会えないだけで。

 ここにいるとそんな気持ちになれる。

 うん。

 静かな空気。どこからか聞こえてくる紙をめくる音。窓から少しだけ入ってきた風は冷たいけれど、それも心地いい。

 そうだ、嘆いていたって仕方ない。

 顔を伏せたままぎゅっと拳を握った。

 海音なら大丈夫だ。だって主人公が死んだらお話にならない。だから、生きてる。生きて、きっと闘ってる。

 それなのに海音の帰りを待つ自分が諦めちゃいけない。黒い感情に負けちゃいけない。


「よし……」


 できることから一つずつ、やるしかない。

 背中に当たる見えない日差しが励ましてくれているような気がした。


「頑張る。頑張る……」


 周りに人がいないのを良いことに佐和は決意を口で何回も繰り返した。


「……よしっ!」


 黒い感情を振り切るように立ち上がるとなんだか力が湧いてきたような気さえする。

 まずは帰ったらお母さんだ。何か無理矢理にでも食べさせて……。

 これからの計画を練るのに燃えていた佐和の目に、ふと横の本棚の一冊が飛びこんできた。まるで陽の光を浴びているように輝く真紅の背表紙。

 綺麗……。

 吸い込まれるように本棚に近付き、真紅の背表紙に指をかけ、すっと抜き出すとずっしりとした重さが両腕にかかった。


「これ、なんの本?king…arthur……アーサー王伝説?」


 高そうな真紅の表紙に金色でタイトルが綴られている。

 開くと高校時代世界史の教科書の挿絵なんかに載っていそうな中世ヨーロッパの画風で描かれているのは石の台座から剣を抜き、天に向かって掲げる男の絵だ。

 アーサー王伝説って確か、剣を抜いた人間が王様になれるとかいう話だっけ。それにその王様を導くおじいちゃん魔法使いがいて。

 小さな頃に見たアニメを思いだしながらぺらぺらとページをめくると、年老いた魔術師の挿絵も載っている。そして、とあるページで佐和は紙をめくるのをやめた。


「誰だろ……この女性」


 湖の真ん中に立つ美しく描かれた女性の絵になんだか胸がざわついた。

 挿絵の横には原文がのっている。英文科出身の佐和にとっては簡単な文だ。


「えっとこの女性は……二、ニムエ?」


 その途端、背に感じていた日差しが消えた。

 水滴が水溜りに落ちる音に顔をあげると、書架も電気の明るさも机もない洞窟に佐和は立っていた。


「……え?」


 身体を包んでいた日差しの温もりも消えて、どこからか忍び寄ってくる冷気に背筋がぞっとした。

 洞窟の天井は高く、横道がいくつもあって、時々遠くから水の滴る音が響いてくることから相当広い空間が続いているようだ。

 佐和は目をこすっても目の前の景色が変わらないことを確かめ、本を閉じて頬をつねった。


「痛い……」


 でも、こんなのは絶対夢だ。だって図書館にいたはずなのに次の瞬間には薄暗い洞窟にいるなんて、そんなのはあり得ない。

 そもそも日本にこんな洞窟があるんだろうか。

 真っ黒い岩肌。それにどこかに水があるのか、反射した光が黒い天井でちらちらと揺れている。

 絶対こんな所、日本にはない……。

 きっと海音のことで眠れてなかったから白夢中を見ているんだ。そうに違いない。

 あの席の陽だまりが気持ち良すぎてうたたねしてるんだ。少ししたらきっと目が覚めるはず。

 佐和がふと後ろを向いた瞬間、遠くの岩肌の影を何かが横切った。木の葉が触れ合うような乾いた音が響いてくる。


「な、何、なんか……いるの……?」


 思わず持っていた本を胸に抱える。

 痴漢相手ならこの分厚さの本なら多少の武器にはなるはずだ。

 今度は地面の水溜まりがはねた音が聞こえてくる。それも最初は小さかった音がどんどん大きく、徐々に近づいて来ている。


「何、なんなの……」


 ぞくりと背中が泡立つ。これは知ってる。

 この感覚は―――何かとんでもなくマズイことが起こる前の感覚だ。

 刹那、音の正体が岩の柱の影からゆっくりと出てきた。

 黒々と身体は光り、掲げた二本のハサミと尻尾の先の針が光る。いわゆるサソリだ。ただし、大きさは見上げる程、3メートルは余裕である。

 たぶん目らしき部分が佐和を捉えた気がした。


「い……いやあああ!!!」


 佐和が逃げ出すと同時にサソリが猛烈な勢いで追いかけてきた。無我夢中でサソリとは反対方向に駆け出す。

 何あれ、何あれ、何あれ。

 聞いたこともないサソリの甲高い咆哮が耳をつく。目から涙が溢れて止まらない。


「来ないでえええ!!!」


 怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。

 本能が叫ぶ。止まったら殺される。とにかくその核心だけが足を動かす。けれど、恐怖に震える足はうまく動いてくれない。


「やっ……!」


 足元の水溜りに(つまず)いて転んだ拍子にひざや腕を思いっきり擦った。


「いたっ……」


 血が滴る自分の膝、そこから顔をあげるといつの間にか目の前にまで迫って来ていたサソリがはさみを掲げていた。


 なんでそんな顔すんの。

 やめてよ、見ないで。

 サソリが佐和の膝を見た気がした。次いでそこから滴る血を。

 何、興奮してんの。


「いや……」


 やめて、やめて、やめて、やめて、やめて。


「いや……」


 死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。


「誰か……助けてえ!!」

「ドリヒレオグ!!」


 頭を抱えて佐和が叫んだ途端、目の前でサソリの頭が爆発した。

 頭から煙を出しながら、鋭く吠えたサソリが鋏をもう一度掲げる。


「ひっ…!」

「ドリヒレオグ!!」


 今度は佐和にも爆発がよく見えた。

 そこで初めてサソリの頭が爆発したのではないとわかった。

 火の玉だ。火の玉が遠くからサソリ目掛けて飛んできたのが当たったんだ。

 ……ううん……それよりも、この声……。

 聞き慣れた声の方向を振り替えると、洞窟の柱の横に一人の女の子が立っている。

 見たこともないベージュのマントをはためかせ、仁王立ちする少女が突き出した右腕からさらに炎がもう一撃、サソリに向かって放たれた。

 炎の攻撃を受けたサソリがゆっくりと倒れると地響きが響き渡る。倒れたサソリの向こうから走って近付いて来るその少女を見て、堪えていた涙が一筋こぼれた。

 もうなんだか懐かしく感じる気さえする。ずっとずっと探していた姿が駆け寄ってくる。


「大丈夫!?お姉ちゃん!?」

「……海音……」


 約二週間ぶりに会った海音はなんだか大人びていた。

 ボブだった髪は肩に付くぐらいまで伸びてゆるやかなウェーブを描いている。服は見たこともないベージュのマントを羽織っているし、マントの下の服も佐和が見たことのない服だ。白のチュニックに赤のベストを前紐で締めて、その下の赤いスカートは膝上でふわりと広がっていた。足元は佐和の知らない白い膝まである編み込みのブーツだ。いなくなった日に来ていた赤いコートも洋服も着ていない。何もかもが違っていた。


「う、海音、どこに行ってたの!?てか、あんた今、火!火、出したよね!?」

「お姉ちゃんこそなんで!?なんで、こんなとこに!」


 座り込んだ佐和に目線を合わせた海音は手を伸ばすと佐和を立ち上がらせた。


「私よりも先にあんた!二週間も行方眩ませて!どんだけ心配したと思ってるの!」


 立ち上がった佐和が海音の肩を思いっきりつかんで揺さぶると、海音は寂しげに目を伏せた。


「二週間……そっか、そっちの世界は二週間しか経ってないんだ……」

「何言って……」


 目を泳がせていた海音が佐和を見つめ直してきた。その目が佐和と会った途端、海音の両目から涙がぽろぽろとこぼれだした。


「海音…?」

「お姉ちゃん……怖かったよぉ……!」


 突然海音に抱きつかれた佐和は目を白黒させた。

 怖いって、そんなの、今、怪物に襲われてたのは私の方なのに?

 胸に飛び込んできた海音がわんわん泣くのを見つめていると不思議な気分になってきた。さっきまでの恐怖がどこかへ薄れていって、心の奥底からゆっくりと浸ってくる気持ち。


 海音。

 なんでもいい。もう、とにかく。

 海音が無事で良かった。


 泣き喚く海音の背中をぽんぽん叩きながら佐和も少しだけ泣いた。




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